赤泊港から東に向かうと「多田」という地区が見えてくる。ここは海洋深層水を作成する大きな工場があるので有名だ。この多田地区に、多田弁天崎という祠がある。道路端に小さめの赤い鳥居があるので大抵のドライバーは気づくはずだ。この多田弁天崎には農耕にまつわる伝説がある。設置された看板の案内書きによれば、土佐国(高知県)の永楽又兵衛という農夫の倅三助が継母にいじめられて佐渡へ流されたという。何故いじめられたくらいで佐渡へ流されなきゃならないのか?そもそもこの辺から無理を生じ始めている。三助の実母は悲しんだという。実母がいて継母がいるという事は、おやじが離婚後三助を連れ子にして再婚したのだろう。実母は、佐渡へ行く三助に籾(もみ)三升に鍬(すき)・鎌を持たせたという。そして佐渡に着いた三助は、能登の国から流されたお菊(この女もいじめで流されたのか?)という女性に多田の浜でめぐり逢い、二人は夫婦となり三助のもってきた籾をまいて稲を育てた。これが佐渡の稲作の始まりとこじつけている。つまり、多田の地は佐渡農耕文化発祥の地だったと言うのだ。全然知らなかったよ。
この地の地名は、二人が巡り逢った場所ゆえ、逢田となり、中古には大田と変わり、更に現在では多田と変遷した。多田の西北方に男神山、女神山という二つの山が仲良く並んでいるが三助、お菊をそれぞれ祀った山とされており、丁度紅葉山公園からよく見える位置にある。多田の弁天崎は佐渡七弁天崎の一つであり三助・お菊が真夏に語り涼んだいこいの地だそうだ。