<2012・3・2 初掲載 記事>
最終追加記事に、当日の模様が書かれた新聞記事、見つかりましたので、本日、2016・9・5 添付致しました。
他界して、すでに丸4年半以上。
それでも、この記事の読者が切れ目が無く続いている。
そのことに驚くと同時に、本当に、北公次は、ファンに今も支えられて、心の中にしっかり生き続いているんだなあ・・・と痛感致します。
性格、極めてドライな江木俊夫が他界した後に、こういう意味で、ファンの心の中で、生き続けるでしょうか・・・・・・・・
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9日前に私のブログ(2016・9・27 再掲載しました)を読んだ人は、その続編としてとらえていただいていい。
元フォーリーブスの北公次の病死は、私の想像を遥かに超える大きな扱いで、正直驚いた。
”あのひとは今”的な扱いで終わる、と思っていた。
いま、まだまだ芸能界で権勢をふるっているジャニー喜多川(本名は北川廣で、日本人)の、ホモ・セクシュアルの性癖を改めて本にした北公次だけに、芸能マスコミは葬儀取材すらジャニーズ事務所に気遣って行かないと思っていたら、まあ・・・・・。
スポーツ新聞と雑誌社のカメラマンが、下町の小さな葬儀場に大挙して押しかけた。さすがに、先ほどの理由で、テレビ局は出棺のときにも姿は無かったけれども。
さて、通夜、告別式ともに、参列者の人数、報道では600人、はたまた700人とバラつき有り。実際には500人前後。参列した親戚に話を聞いてみると「ほとんど親戚付き合いは、無かった。それなので、癌になっていたことすら知らなかったんです」という声が多かった。
この葬儀で、通夜、告別式、納骨のあと、今風にすぐさま続けて執り行った初七日も、取り仕切ったのは、生前彼が住んでいたマンション付近の、親交があった創価学会会員たち。
むろん、彼が深く入信していた縁だ。その影響も有り、親戚とは遠い存在になっていた。
参列者の多くは、かつてのファン。そして今もファンの中年・熟じゅくに熟れきった御婦人たち。親族や業界関係者と呼ばれる人達は、葬儀会場の2階にしつらえられたスペースへ。
式場の手前、左側には当時人気があった歌手やタレントの名が書かれた板が何段にもわたってズラリと並んでいた。しかし、会場に足を自ら運んだのは、野口五郎など数えるほど。
親族のなかにも、あまり、とりたてての涙は見られなかった。付き合いが。深くないままだったせいもあるだろう。
ところが、一般のファンは、いつもは駐車場にしている、その空きスペースに組み立てられたテント下の祭壇に向かって手を合わせ、御焼香(写真左下)。祭壇に飾られた3年前のステージ写真をじっと見つめ、涙を流す人も。99%は女性。
加えて、その整理と、北の事務所名を刷り込んだ名札を胸につけてテキパキとさばいていたのは、なんと長年のファンの女性たち。聞けば、北に事務所はあるものの「個人」事務所。
それも、実態は「現在の奥様が、電話応対も含めて1人でやっていたの」。で、「代わりに、私たちが、やっている」と言う。それでも、300万円近くの、全費用。
そう、現在のと書いたが、かつて私が取材の際に会ったのは前妻だった。当時は、同棲中。熱烈ファンは詳しい。ひっそりと聞くと、当時の彼女の職業は、スチュワーデス。
ああ!! それで、大田区の幹線道路沿いのアパートに住んでいたのか!・・・・。そこからタクシーを拾い、羽田空港へと向かっていたのだった。。
当時は、写真はおろか、名前も伏せ、職業すら、一切語らなかった。ただ、美人であったし、彼女の給与で、北公次を養っていたことは事実だ。高給の身であろうことは、想像出来た。
点と線が、少しつながった。
その後、入籍。そして、離婚。ところが、再びその女性と結婚するも。今度は2度目の離婚。
他の仕事になかなか就かず、芸能活動に執着する夫。そんな溝生む生活のなかでも、男の子と女の子が産まれた。離婚後、2児の親権は生活力のある妻のもとに。彼女は2児の手を固く握り、北海道札幌市へと旅立っていった。
今の妻と知り合ったのは、ファンたちの話しを聞く限りにおいては、妻が麻布で経営していたブティックに、北がポスターを貼ってもらおうと訪ねたのがキッカケとのこと。喫茶店も経営していたとの情報もある。
結婚して、女の子も産まれた。北自身も、一念発起。
フォーリーブス再結成、そして解散後もこまめにソロ・ライブ活動を展開。
地元、江戸川区のライブハウスを中心に、名古屋、そして大阪でも定期ライブ。バック・ミュージシャンは、キーボード奏者1人。必要最低限の人件費と演奏。
すでに打ち込んだ音に乗せて、かつてのヒット曲はむろんのこと、自分が作ったオリジナル曲、そして敬愛してやまないマイケル・ジャクソンの曲を歌いまくった。
ローテーションは、3か月に1回の2時間の1ステージ。最近は。1日2ステージに。CDも手作り、販売。商売の才覚溢れる妻の助力無しには考えられない。
住まいは、この日の斎場からそう遠くない高級賃貸マンション。月額家賃16万円。
中学生のいとしい長女と妻をそばに、東京スカイツリーが一望できたはず。そんな幸せな日々のなか、日ごとに自分の体をむしばんでいっている肝臓癌に気づいていたであろう。
青山孝史の葬儀の際の顔色は、今想えば、良いものでは無かった。
実は、子育ての手も離れ、ライブに毎回通うファンたちは気づいていた!!北公次が肝臓癌で、余命いくばくもないことを。
「なぜ!? だって見るたびに、コーちゃんの体、どんどん痩せて行ってるし、そしておなかはポンポコリンに出て行ってる。それって、3年前に肝臓癌で亡くなったター坊(青山孝史の愛称)の時と、おんなじなんだもん。ねえ」
周りにいた女性たちも、大きくうなずく。
彼女たちにとって、青春の輝けるひととき、憧れのアイドルがまた1人、この世を去った。声も徐々に出なくなり、苦しそうになりつつあるのも、つぶさに見続けてきた。
どこかで”覚悟”も、していた。
それでもいざ、「御出棺です」の声を聴くや、200人を超える長年にわたるファンが、声をあげて泣いた、泣き崩れた。自分の亭主が死んだとき、果たして、ここまで泣き崩れるであろうか・・・・
ちなみに、「フォーリーブス」の元メンバーの、江木俊夫。北の死に対して、代表するかのようにマスコミに積極的にコメントを発していたが、葬儀には通夜にチラッと顔を出したのみ。
翌日以降は、「仕事」を理由に欠席。
一方の、おりも政夫。
北が家族と住んでいた高層賃貸マンションから比較的近い所に住んでいたこともあり、ちょくちょく逢っていた姿を、近所の人たちが目撃していた。
むろん、葬儀には終始いて、代表して挨拶もしていた。
そんな事実は、参列していた長年の女性ファンも、すでに知っていた。
江木、おりも。生き残っている、その2人の人柄のありようを、あからさまにクチにはしない。
だが、彼女たちは、しっかり冷静に、その目で見つめていた。
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3時間後、80人あまり。
喪服を着たままのファンが列を大きく崩すこともせず、葬儀会場の外にいた。まだ冬。若いころ、「出待ち」に慣れていたとはいえ・・・・・んんんん・・・・・。声のなかには、関西弁や九州弁も混じる。
「この多くのファンが、いつかいなくなるかもしれない。そう思うと不安」 そう、私にシャレで心境を漏らしたアイドルが、かつていた。
ファンに、生活を支えられた北公次。.
「お骨になって、思ったより早く戻ってきました。いま、中で初七日法要をやっていると思います」
最後まで、外で見守り、見送るんですか、皆さんは? 何人もが、うなずく。彼女たちにとっても、それぞれの胸に宿る”青春”に別れを告げる、ある意味での「式」なのかもしれない。
最期に、ひとつ残した質問をした。
同棲もしていた最初の奥さん、来てました?
「今日は誰も見ていないけれど、昨日の通夜には来てたようですよ、北海道から。大人になっていた子供さん、2人と一緒に」
北公次こと、松下公次。享年63。・・・・短くも、幸せな人生ではなかったか
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偶然、本日、古い取材資料を束ねていたところ、この記事の「葬儀・告別式」を報じた、スポーツ新聞の記事が見つかりました。ちょっと一部破れてたり、よれてしまっておりますが・・・・・。
ファンの方々の中には、想い出が一瞬でもさらに甦るか・・・・・も知れません。
添付致しました。
よろしければ、お読みください。
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2017・2・23
新たな北公次の記事と、かつて彼を取材した時の想い出をたどった再掲載記事。
2本、アップ、致しました。
よろしければ、ご一読下さい
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【 2022・2・22 追記 】
そうでした
永遠に、ファンの心の奥深くに、今も、しっかり息づいている、スター
北公次が、この世を去って、丸10年目
この記事、多くの人に、読まれてます
いまだかつて、こんなスター
いたこと知りません
10年ですよ
すごいなあ・・・・・
素顔
この、憧れの大スターが、控え室で、おいしそうに、ジャムパン、食べていた姿を観て、夢がしぼんで・・・・・・いった、大竹しのぶの、淡い想い出
それも、どこか、クスッと、いいなあと・・・・・・