ピアノの先生の生活

ピアノ講師、ブライダル奏者としての日常と
その都度のはまりものへの情熱を綴るくだらな雑記

またしても訃報

2007-01-21 00:06:34 | 趣味
“クラッシャー”バンバン・ビガロの訃報を聞いた。
「誰それ?」と言われる方が多いかと思うが、20年ほど前から新日本プロレスに
参戦していたアメリカ人のプロレスラーだ。
坊主頭に刺青を施した強面。かなりのデブなのにやたらと身軽で柔らかい。
炎の絵柄の衣装はかつて浅草キットが「浅ヤン」でよく着ていたーでわかるかなあ?
♪バ~ン・バ~ン・ビッガロ~♪というテーマ曲なんだけど(笑)。

何を隠そう自分が初めてナマでプロレス観戦したのが、このビガロが初来日にして
メインを張るシリーズ「ブレイジング・チェリーブロッサム ビガロー'87 」の
最終戦・両国国技館大会だったのだ。
当時の新日はタイガーマスクらの大量離脱のどん底から、UWFとの業務提携でようやく
這い上がりつつあるというところ。
客足も今一つだったのか、テレビ中継の際にチケットプレゼントの応募があったのだ。
全くそう言ったくじ運に恵まれない自分が当たったのだから、相当数配布して
いたのではないかと思われる。
それは「ビガロからのプレゼント」という名目だったため、同じ様に当選した中には
「ビガロシート」とされた一角に座らされ、ビガロの旗を振って応援するように
指示された人もいたと後で聞いた。良かったー、自分は普通の席で~。
ビガロは最終戦に至るまでも暴れまくっていて、越中選手をリング状から投げ捨てて
場外フェンスにぶつけて失神させたとか、それによって越中のIWGPジュニアタイトルマッチは
どうなるのかと危ぶまれていたとか、そういうくだらないことはよく覚えているもんだなあと
今更ながら自分にビックリだ。
だからと言ってこの両国戦でビガロがどうなったのか全く覚えていない。
多分、猪木選手とやってドローとかだったんだろうなと思う。
その後も新日外人を支え続けたが、それゆえ、北尾のデビュー戦の噛ませ犬に
させられたりしていたのは悲しい。
ここ数年は来日も無くウワサも聞かず、巨漢な選手だけに健康状態はどうなんだろと
思っていたら案の定だ。
驚いたのは自分と二つしか年が違わなかったこと!そっかー、三銃士とそう変わらんのかー。
新日本の外国人選手史に残る立派な仕事をした選手であった。
御冥福をお祈りしています。