団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

うちのかみさんは、こんなご主人と結婚したかっただろうな。

2024-05-04 02:02:39 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「料理を作るか、食器を洗うか」というタイトルで、66歳の女性が投稿されていました。

 私たちは共働きだったので、結婚する時に家事のルールを決めた。

 その一つが「早く帰った者が料理を作り、作らなかった者が食器を洗う」というルールだ。

 中学校勤務が長かった夫は、夜遅くの帰宅が多かった。

 私は食事を用意し、子どもと食事をした。

 夫は1人で食べて家族の分の食器を洗っていた。

 退職と同時に夫は宣言した。

 「これからは、自分が料理を作る」と。

 私は食器洗い担当となった。

 夫はスーパーでの買い出しを担当し、携帯の料理アプリを見ながら食事を作り出した。

 食に関心のある夫は、そば道場でそば打ちに入れ込み、初段を取った。

 続いてパン教室に通い、パンやスイーツ作りに励んだ。

 研究熱心な夫は、料理と菓子作りの腕をますます上げた。

 ケーキや和菓子を知人にふるまうと「なんと女子力が高いこと!」と言われたそうだ。

 いや、女子力ではない。

 生活力だ。

 生きることを楽しむ力だ。

 スイスに住む息子は今、8週間の育休中だ。

 料理の作り方がわからないと、私ではなく父親に聞いてくる。

 だから、私が親の介護で県外の実家に帰省した時も、全く心配はしなかった。

 だが、戻ると「食事は自分のために作ってもつまらない」と言った。

 食べる人が必要なのだ。

 だから、私は今、毎日おいしく食べることに専念している。

 以上です。

>中学校勤務が長かった夫は、夜遅くの帰宅が多かった。
 私は食事を用意し、子どもと食事をした。
 夫は1人で食べて家族の分の食器を洗っていた。

 共働きって大変だ。
 結婚したのにひとりで食事をして、家族の分の食器を洗うんだ。
 私はかみさんが当時専業主婦だったので、かみさんが食事を作り、私が食べるのを見守ってくれました。
 家庭を持ったなあと実感しました。
 独身の時は実家に帰ると、両親はすでに寝ており私はひとりで食事をしてました。
 味気のない生活を送っていました。

 投稿者のご主人、退職されると料理を作る側にまわり、美味しい料理や美味しいお菓子作りに励んで、メキメキ腕を上げられたようですね。

 うちのかみさんは、こんなご主人と結婚したかっただろうな。
 「あなた作る人、私食べる人」が、理想のようですから。笑い
 私には、とても真似出来ません。



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コメント (2)
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