団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

中学時代に好きだった女の子が、夢に現れたのです。(笑)

2019-02-28 03:30:42 | 日記
 1昨日 徹子の部屋で鈴木雅之さんの「夢で逢えたら」という歌を久しぶりに聴きました。

 🎵夢で逢えたら 素敵なことね 
あなたに逢えるまで 眠り続けたい🎵

 という歌詞があります。

 夢に想う人が出るなんて、まずはないです。
ところがこの歌を聴いた影響か、
中学時代に好きだった女の子が、夢に現れたのです。(笑)

 学校の帰りに偶然会い、途中まで一緒に話しながら歩いたり、
校庭から2階にいた同級生と話をしていたら、同級生がからかって彼女を呼び出し、
戸惑いながら彼女と話したりしたこともありました。

 ここでやめておけばいいものを、高校生になって彼女に付き合って欲しいとの手紙を
書いて断られました。(苦笑)

 55歳の学年の同窓会に彼女も来ていましたが、話しかけられませんでした。
彼女は眼鏡をかけていましたが、眼が彼女の一番の魅力なので、残念な思いがしました。

 1年前 同級生の友人から呼び出しがあり食事をした時、
彼女の話が出ました。

 彼女は何でも中小企業の社長さんの娘さんで、婿養子をもらったという話でした。
気さくな女性だったので、まさか社長令嬢だとは思いませんでした。(苦笑)







大滝詠一 夢で逢えたら
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お墓参りに行ってきました。

2019-02-27 03:35:29 | 日記
  昨日の午前中 お墓参りに行ってきました。
母の命日でした。

 強い風が吹いていましたが、快晴でした。
母が亡くなった日もそういえば快晴でした。
私がまもなく60歳の定年を迎える頃でした。

 まさかその日に亡くなると思っていなかったので、職安へ通信教育の教育訓練支援給付金を申請に行っていました。
申請を終えて職安のチラシ類を見ていましたら、携帯に母が入院している看護士さんから電話が入りました。
「危篤なので早く来てください」と言われましたが、病院へ行くのに時間がかかるので、もう間に合わないと思いました。

 当時かみさんはパートへ行っていましたので、かみさんに連絡して、かみさんの運転で急いで実家の
近くの病院に駆けつけましたが、すでに亡くなっていました。
なかなか死に目には会えないものです。
両親とも死に目に会えませんでした。

 話はがらっと変わりますが、パチンコをやめて20年ぐらい経ちます。
昔は休みによく行ったものですが、今はやりたいと思いません。
今 ギャンブルでやっているものは、競馬に宝くじ、あとはギャンブルと言えるかどうか分かりませんが、
株ですかね。

 最近 競馬が、まるっきり当たりません。
もう止めようかなと思いました。
競馬を見るのは好きですので、お金をかけることを止めようと思います。

 宝くじと株は、相変わらず損していますが、当分止めるつもりはないです。(笑)


 またまた話は変わります。
ブログで若い頃何度も失恋したことを書いていますが、
ある女性を初めてデートに誘った時、「私なんかでいいの?」と言った人がいました。
一瞬戸惑いました。(苦笑)
なんて返答したのか憶えていません。

 何と控えめな女性だと思い、より好感を持ちました。
残念ながら長く付き合うことはなかったのですが。
「私なんかでいいの?」と言われたら、より好きになりますね。(笑)







Eiichi Ohtaki - 大瀧詠一ファースト (1972) FULL ALBUM
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何度も振り返り手を振る二人の姿がありました。

2019-02-26 03:41:57 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に60歳の女性が「両親の後ろ姿」というタイトルで投稿されていました。


 20年前の12月、私は突然、夫を亡くしました。
子どもはなく、想像もしていなかった一人の生活は、
美しいものを見ても美しいとは思えず、悲しいニュースを聞いても悲しいとは思えず、
何の感情もないままに時間だけが流れていきました。

 外に出れば、華やかなクリスマスイルミネーションの中、幸せそうに買い物をする家族ばかりに目が行き、
逃げるように帰りました。

 誰とも会いたくなく、引きこもりがちになった私を静かに見守り、そっと助けてくれたのは実家の両親でした。

 ある寒い日、父の自転車に母の手作りおでんを載せ、二人で届けてくれました。
実家から私のマンションまで歩くと片道約1時間。
おでんの他に果物もあり、すでに70歳を超えていた父には重い荷物だったはずです。

 「体に気を付けて」とだけ言い残し、自転車を引きながら帰る両親をベランダから見送りました。
何度も振り返り手を振る二人の姿がありました。
親に心配をかける自分に涙が止まりませんでした。

 あれから20年。
主人がいない生活は相変わらず心細く、寂しさが消えることはありません。
でも、ベランダから見た後ろ姿は、今の、そしてこれからの私を強くしてくれるのです。


以上です。



>美しいものを見ても美しいとは思えず、悲しいニュースを聞いても悲しいとは思えず、
何の感情もないままに時間だけが流れていきました。

 最愛の連れ合いを亡くすということは、人間にとって最大のストレスのようです。
心が死んでしまうという状態もわかるような気がします。


>「体に気を付けて」とだけ言い残し、自転車を引きながら帰る両親をベランダから見送りました。
何度も振り返り手を振る二人の姿がありました。

 幾つになっても、親はありがたいものですね。
私も椎間板ヘルニアで半年近く入院していた時に、目が不自由な母親がお見舞いにきてくれました。
まもなく50を迎えようとしていましたが、母に心配かけて申し訳ない気持ちと
ありがたい気持ちがいっぱいでした。
母親の無償の愛を感じました。








大滝詠一  私の青空
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私は「延命治療はしないでください」と、お願いしました。

2019-02-25 02:50:08 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に76歳の女性が「理想の最期意思表示を」というタイトルで投稿されていました。

 「いい機会だから皆聞いてくれ。今から俺の遺言を言う」。
25年前、自らの喜寿の祝いで親族が集まった席で父が突然言い出しました。
和やかに食事をしていた私たちの間に緊張が走り、父は「俺が病気になったら
くれぐれも延命治療はしないでほしい」と続けました。
70代後半となっても元気で活動的だった父の言葉を、そのときの私は聞き流していました。

 ところが翌年の春、父が突然体調を崩したので病院に駆け付けたら「ステージ4の肺がんで余命1年」と
医師に言われました。
本人にがんだとは伝えないまま、できる限り父の希望に沿った方法での治療を選びました。
その次の年の3月、父は78歳でなくなりました。
父の希望を聞いたおかげで私たちは納得したかたちで見送ることができたと思っています。

 そろそろ私も子どもらに父のような意思表示をしておかねばいけないと考え始めています。


 以上です。


>父は「俺が病気になったら
くれぐれも延命治療はしないでほしい」と続けました。

 かみさんには言ってあるんですが、子供達には言ってないです。
子供達が判断に迷わないように言っておいたほうがいいですね。

 11年前 母親が正月明けに入院した際、お医者さんに余命3ヶ月と宣告されました。
母親が86歳という高齢なこともあり、私は「延命治療はしないでください」と、お願いしました。
明日 母親の命日です。
お墓まいりに行くつもりです。







テレサ・テン/ そして・・・めぐり逢い
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父のアルバムにあった写真

2019-02-24 03:03:03 | 日記
 昔 子供の頃 父のアルバムを見たことがあります。
特に印象に残っている写真。
1枚は若い頃 友人と写っている写真。
もう1枚は戦地に赴く時の写真でした。

 若い頃の写真はセーター姿で、髪がフサフサ、ポマードでびっしり決めてギターを抱かえていました。
友人と笑顔で写っていました。
私が物心ついたときは父の髪はほとんどなかったので、いつも父が「俺は髪がフサフサあったが、
28歳の時目覚めたら、髪が無くなった」という話は、本当の話のようです。

 もう1枚の写真は父を挟んで若い二人の女性が写っている写真です。
写真館で撮ったようです。
父は軍服姿で真ん中に座っています。
戦地に赴く前の写真らしく、三人共が緊張した顔で写っています。

 ひとりの女性は着物姿、もうひとりの女性は洋装で髪が茶色のように見えます。
カラー写真ではないので、そこは確かでありません。
着物姿の写真は親戚の女性ではないかと思うのですが、洋装の綺麗な女性は誰なのか分かりません。
父に「だれ ?」と訊くのもはばかられ、とうとう訊かずじまいでした。

 そういえば私のアルバムも実家に置いたままです。
かみさんが私の子供の頃の写真を見たいと言ったこともありました。
秋に弟に会うときに持ってきてもらおうかな。
でも残っているかが問題です。

 そのアルバムに高校の修学旅行の時、写真を撮らせてもらった女性の写真が貼ってあります。
その写真は破棄しなければ。(笑)






愛の終わりに テレサ・テンTeresa Teng
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