団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

算数は得意で、通知表は5でした。

2024-05-02 00:59:36 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「算数」というタイトルで、74歳の女性が投稿されていました。

 私は算数が大好きでした。

 小学校6年の時、担任の先生が毎日、授業の終わりに黒板に算数の問題を1問書きます。

 その問題が解けた人から帰っていいというルールがありました。

 みんな放課後は、校庭で遊びたいので必死で解いていました。

 解けない時には、先生が丁寧に教えてくださいました。

 あまり難しい問題はなかったように思います。

 今思うと、先生は「解けた!」という嬉しい思いを私たちに感じて欲しかったのでしょうね。

 優しい先生でした。

 私が算数を好きになったきっかけです。

 それから私は、算数から数学が好きになりました。

 我が家は貧乏でしたので、高校止まり。

 公立で絶対に受かる学校しか選べませんでした。

 高校1年の時、進路コース選びがありました。

 もちろん就職コース。

 でも数学の先生が「進学コースで思いきり数学の勉強をするのもありだぞ!」と言ってくださいました。嬉しかったです。

 高校時代、数学の授業がある日はルンルンでした。

 分からない問題があると、ずーっと考えていました。

 先生に聞いたら、すぐ答えが出るのでイヤでした。

 私の息子と娘は、数学が苦手でした。

 埼玉にいる孫たちも苦手だとか。

 私のDNAは、どこに行ったのでしょうか?

 以上です。

 私も小学校5年生の時、先生が算数の問題を2〜3問、次から次に出されました。

 早く出来た順に、先生に解答を見てもらうのです。

 いつも私とライバルの男子生徒がいて、早く解答を見てもらうよう競っていました。

 必死でした。笑い

 算数は得意で、通知表は5でした。

 中学に入ると算数が数学になりました。

 数学は苦手でした、特に幾何の問題が苦手でした。

 3人の孫も数学が苦手のようで、大学は文系に行くようです。

 上の二人は文系の学部に行きました。

 末っ子は、文系のコースを選んだようです。

 どうもおじいちゃんの遺伝子を引き継いだようです。苦笑



内気なジョニー    ジョニー ・ソマーズ
コメント (4)
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