団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

夫婦が「好きなものだったり、面白いなと思うものだったり、ふたり一緒の部分がある」なんて最高ですね。

2019-10-31 01:19:54 | 日記
 10月28日に、八千草薫さんが亡くなりました。
その件に関して29日にブログを書きましたが、28日に亡くなったことを知った時、
去年本を出版された事を知りました。
早速ネットでその日に去年出版された本を注文しました。

 昨日の午後 本が届きました。





 本のタイトルは亡くなったご主人がよく言われた「まあまあふうふう」という言葉を表題にされていました。

 本の中身をちらっと見ましたが、ご自宅の様子を写した写真が、とてもほのぼのとしていい感じです。

 とりあえず、一節を紹介します。
「馬が合う」から上手くいく。
というタイトルの章です。



 主人は、とにかく嘘がつけない、正直な人でした。
はしご酒をして明け方帰ってきたようなときでも、嘘がつけないんです。
普通だったら、誤魔化したり、ちょっと言い訳したりするものなのでしょうけれど、一切しません。

 普段、私が主人に問いたいと思っていることを溜めておいて、
こういう時に聞くと、みんな正直に一つずつ丁寧に話してくれて(笑)。

 仕事も正直で真っ直ぐ。
特に男性の俳優さんにはとても厳しくて容赦がありませんでした。

 スタジオ中に響くような大声で若い俳優さんやスタッフの方を叱り飛ばすのは、撮影所では日常の光景でした。
映画の撮影では、監督を筆頭に撮影チームのことをよく「〇〇組」ーー「黒澤組」とか「小津組」というふうに呼びます。
撮影現場のスタッフルームの入り口にも「〇〇組」と書いた看板がかかっています。

 主人の場合は「谷口組」になるのですが、あまりに厳しくて口が悪いものだから、
谷口組ならぬ、「悪口組」なんて呼ばれたりして。

 でも、そうやってずけずけと口は悪いのですけれど、その言葉にはどこかユーモアと愛情があったんですね。

 主人は、その俳優さんが好きだから遠慮なく叱るんですね。
好きだから怒る。
だから見ていると、
「あぁ、この俳優さんが好きなんだ」と、わかるんです。

 そういう気持ちがわかるから、「ワハハ」と笑って許せるのですね。


 私は宝塚から始まって、芸能界という大変なところに
何もわからないまま飛び込んでしまったわけですけれど、
昔も今も、女性がそういう厳しい世界にいるというのは、やっぱりなかなか大変なことなのです。
それでも、思い詰めないでやってこられたのは、こんな主人のおかげかなぁと思います。

 撮影現場ではあれほど厳しく演技に注文をつける主人が、私の仕事については何も言いませんでした。
「あのドラマは面白かったね」と作品の感想を言ってくれるくらいで、
直接アドバイスされることは一切ありませんでしたが、私には、それが逆に良かったのですね。 
「作品を楽しめた」ということは、「私も及第点だった」と思うことにしました。

 そんな人だからこそ、家では緊張しないでいられたな、と今になって思います。
主人も気を遣ってくれていたのだとも思うのです。

 これは、”おのろけ”になるのですけれど、もう本当に安心して生きてこられた、という感じです。

 好きなものだったり、面白いなと思うものだったり、ふたり一緒の部分があって。
「馬が合った」とでも言うのかな。
だから、私という女優も、結局は、主人に育てられたんじゃないかと、そう思うのです。


 以上です。


夫婦が「好きなものだったり、面白いなと思うものだったり、ふたり一緒の部分がある」なんて最高ですね。
馬が合う夫婦が一番です。(笑)

 私はそうはいかないですが。(苦笑)

 
 






虹と雪のバラード トワ・エ・モワ
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私も「らしさ」と言う呪縛に囚われています。

2019-10-30 02:31:06 | 日記
 中日新聞の「おじさん図鑑」に「らしさ」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。


 若き日のおじさんは「らしさ」を強要されることに反発を感じていた。
「子どもらしく」「学生らしく」「若者らしく」と大人から言われると、
口をとがらせて「らしさ」の中身や意味を問いかえした。

 大抵の大人は問いに応えず、「だからおまえはダメなんだ」と怒るのだった。

 「らしさ」は、たとえば「あんなことするなんて、あの人らしいね」というふうに
”独自性”を表す言葉ではなかろうか。

 子どもや若者を、よくある類型イメージにはめこんで、
「らしくない」と批判するのは、独自性とは真逆の言葉になってはいないか。

 「こうでなければいけない」とか「こうあるべきだ」とかの考え方に
われわれはどうもとらわれがちだ。

 つまり、その方が楽だからだろう。
「みな同じ」の同調的な姿勢が「らしさ」を強要する根源のような気がしてならない。

 「男らしさ」や「女らしさ」にしても同様だ。
中身を検証すれば、確定的な正解はなかろう。

 だから、「男らしくない」とか「ジジイらしくない」といわれてもおじさんはビクともしない。
ただ、「そんなこと言うなんて、”おまえらしく”ないな」と批判されると、シュンとしてしまう。


 以上です。




 私も「らしさ」と言う呪縛に囚われています。
 子どもの頃、母方の祖母から、「男らしくしなさい!」、「男のクセに怖がりだね」、
「男の子は泣かない!」といわれたりしたものですから、いまだに「男はちょっとやそっとでは、泣いてはいけない」と、
思っています。

 女の人にも「女らしい」人を求めていますね。
もの言いの優しい女性や気がきく女性に接すると、「あの子は女性らしいね」と褒めたりします。(笑)

 男性はこうあるべきだ、女性はこうでなければいけないなんて、狭い考えは捨てないといけないですね。










(デビュー当時)トワ・エ・モア/「空よ」(本人歌唱) 1970年
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「まあまあふうふう」。 肩に力を入れすぎず、ほどよく生きる。良い言葉ですね。

2019-10-29 01:59:52 | 日記
 


 昨日 私の大好きな八千草薫さんが亡くなりました。
いつまでもかわいくて、上品な女優さんでした。

 私はこんな女性をお嫁さんにしたかった。
無理と分かっていますが。(苦笑)

 八千草さんの本名は、瞳(ひとみ)というお名前だそうです。
ぴったりのお名前ですね。

下記は、「文藝春秋」2019年8月号に載った最後の手記ということです。


 馬馬虎虎。

 今は亡き主人がよく言っていた言葉です。
宝塚出身の私がだんだんと映画に出演するようになった頃、慣れない現場でガチガチに緊張することが多かった。
主人はそれに気づいていたのでしょう。私の緊張をほぐすように、この言葉を何度も言い聞かせてくれました。

 これは中国の言葉で、「まあまあふうふう」という読み方をするのだそうです。
本来は「いい加減な」とか「やっつけに」という意味があるようですが、私達夫婦は「良い加減」という解釈で使っていました。
肩に力を入れすぎず、ほどよく生きる、といったニュアンスになるのでしょうか。
主人にこの言葉を教えてもらってからの私は、良い加減に力を抜き、楽に生きることが出来るようになった気がします。

 歳をとるにしたがって、「まあまあふうふう」はいっそう、私の心の奥深くまで染み込んできています。

 昔は「歳をとる」という現象について、深く考えることはありませんでした。
気づいたら20代、30代、40代……あっという間に時を刻んでいました。

 年齢を少し意識するようになったのは、80歳を過ぎてからだと思います。
ペットボトルの蓋が開けられなくなる。
階段を昇るのがしんどくなる。今まで簡単に出来ていたことが難しくなりました。
舞台で勢いあまって転んでしまったこともあります。

 こうして振り返ると、自分の体がどんどん変わっていくのを感じます。
否応なく“体力の衰え”という現実を突きつけられると、やっぱりショックを受けますよね。あーあ、とため息もついてしまいます。

「歳をとる」というのは、皆、経験したことがないですから、いつでも初体験。未知のものは誰だって怖いでしょう。

 体力、筋力、思考力が低下していくなかで、不安になることもあります。
でも、どうにもならないことを、うだうだと考え続けるのはつまらない。
それで50歳まで若返るわけでもないですしね。
変わっていく自分をちょっとずつ受け入れていくしかありません。
だから悩みが出てきたときは、「えいっ!」と思い切って、考えること自体を諦めてしまいます。
そうやって楽しく、肩の力を抜いて、歳をとることができればいいなと思っていますね。


 以上です。


 八千草さんは年齢を意識されるようになったのは、80歳をすぎてからなんだ!
私は70歳で年齢を意識しましたね。
ペットボトルの蓋が開けにくくなっていますし、階段を昇るのがしんどくなっています。(苦笑)

「まあまあふうふう」。
肩に力を入れすぎず、ほどよく生きる。
良い言葉ですね。






初恋の人に似ている
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ドン・ペリを飲みたいとは思いませんね。

2019-10-28 02:25:55 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「豚と真珠」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。



 物入れを片付けていたら、立派な箱入りの洋酒が出てきた。
いつ誰に頂いたかまったく思い出せない。

 箱を開けると高級そうな洋酒がビロードの布で包んである。
独りで飲めそうにないので何かの集まりに持って行くことにした。

 たまたま「朋(とも)あり遠方より来る」ことがあり、数人で飲むことになった。
良い機会だと、その洋酒を持参し披瀝に及ぶと、歓声が上がった。

 「おいおい、これ、ドン・ペリじゃないか!しかもロゼのドン・ペリだ。
高級クラブでは、一本何十万するかわからない代物だぜ。どうしたんだ、これ!」

 正直におじさんがたぶんもらいものだと答えると、興奮した友人たちに口々に叱られた。

 「誰にいつもらったかも覚えてない、ドン・ペリも知らない。まったく豚に真珠、猫にカツオ節だ」
「バカ、猫に小判だろ」

 豚でも猫でもいい、まずは開けて飲もうということになり、
おじさんは生まれて初めてドン・ペリなるシャンパンを味わった。

 ここで読者諸兄姉にご報告を。
「べつに飛び上がるほどうまくもないし、ごくふつうの発泡酒でした」。
やっぱり”豚に真珠”だったか。



 以上です











 私も30年前ぐらい名古屋のホテル・オークラのレストランでシャンパンは飲んだことがあります。
1本5千円ぐらいでしたので、ドン・ペリではありません。
かみさんがシャンパンで気分を悪くしたので、困ってしまいました。
飲み慣れないものを飲むものではないですね。(苦笑)

 高級クラブですと↑の写真のドン・ペリの価格が、4〜5倍になるそうです。
高級クラブで、そんな高い洋酒を飲む人の気持ちが分からないです。
「黒い花びら」という歌で、第1回のレコード大賞を取られた水原弘さんが、
高級クラブでいつもドン・ペリを飲まれていたようで、お金も無くなり、身体も壊されたそうです。
(ドン・ペリではなく、レミーマルタンだったかも)

 ドン・ペリを飲みたいとは思いませんね。










The Beatles - Let It Be - Let It Be (STEREO REMASTERED)
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思えば職場を去るときは大抵体を壊していた。

2019-10-27 02:28:27 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「無理せず ひと息が大切」というタイトルで60歳の無職の女性が投稿されていました。



 思えば、生きるために私は必死で働いてきた。
2歳のとき、養蚕農家だった祖母の手伝いで蚕に餌のクワを与えるのが最初の仕事だったと記憶している。

 短大を中退して百貨店の万年筆売り場で販売員となり社会人生活を始めた。

 次にまんじゅう工場で製造のアルバイトをした。
タイピスト養成の専門学校で一年間学んでから印刷会社で正社員のタイピストとして三年間働き、
その稼ぎを基にして写真の専門学校で一年間学んだ。

 印刷会社や食品会社、家具会社などでのパートを転々とした。

 50歳になって自分が無理しすぎていたことに気付いた。
思えば職場を去るときは大抵体を壊していた。

 今は好きなクラッシック音楽を聴き、ひと息つく時間を大切にしている。


 以上です。


 投稿者さんは、大変な人生を生きていらっしゃったんですね。
それでもタイピストの養成学校へ行かれたり、写真の専門学校で学び、
技術を身に付ける努力もされたようです。

 職場を辞められるのは、大抵体を壊されていたことが理由のようです。
無理をされていて、体を壊されたんですね。

 50歳になって無理されていたことに気付かれてよかったと思います。
これから仕事をされるときは、少し余裕が持てる仕事に携わっていただきたいです。

 体を壊しては、何にもなりませんから。







イマジン【訳詞付】- ジョン・レノン
コメント (10)
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