団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

神様は、これでもか!と次々と試練を与えてくださる。

2023-08-31 00:29:10 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「老いと老老介護」というタイトルで、70歳の女性が投稿されていました。


 先日出かけた帰り、電車に乗った。

 夕方で、とても混んでいた。

 すると近くに座っていたお嬢さまが「どうぞ」と私に向かって言ってくださった。

 とっさに「あ、大丈夫ですよ」と言ったものの、せっかくのご厚意、ありがたくお礼を言って座らせていただいた。

 初めてのことで、何が何だかいろんなことが頭の中を駆け巡って落ち着かなかった。

 そう言えば、最近自分でも老いを感じていた。

 背中は丸くなりつつ、膝が痛い。

 白髪頭は何とかヘアマニキュアで隠しているものの、鏡に映る姿は、まさにばあさんだ!

 体幹が弱ってきたのか、歩くこともつらくなってきた。

 体は正直だ。

 思い起こせば主人が五十二歳でくも膜下出血で倒れ障害者となった。

 介護生活十八年になった昨年は、頭の大きな手術をして全く歩けなくなった。

 おむつ生活にもなった。

 先日は誤嚥性肺炎で入院した。

 神様は、これでもか!と次々と試練を与えてくださる。

 102キロの巨体の主人。

 おまけに高次脳機能障害もあり、何かと大変だ。

 まだまだ七十歳。

 されど七十歳。

 気持ちだけは常に若くと思っている。

 これからもケアマネさんはじめ、沢山の方々のお世話になりながら、感謝の気持ちを忘れず、二人三脚で頑張っていこうと思う。

 以上です。


 十九年間も自宅介護をされているんだ。

 施設に入ることが出来ないのかな?

  デー・サービスは、利用されてるみたいだ。

 ご主人は少しも改善されず、だんだん悪くなってきているご様子。
 
>神様は、これでもか!と次々と試練を与えてくださる。

 このように思われる気持ち、十分分かります。

 私はこのような老老介護が続けば、最悪ご主人を殺してご自分も死ぬという結果になることを懸念してしまいます。

 ケアマネさんにも色々ご相談されているようですが、何とか施設に入れないのかケアマネさんに骨を折って頂きたいです。

 余談ですが、施設ではご主人のように102キロの巨体の持ち主は嫌われます。

 ひとりで対処出来ないので後回しにされて、後で二人で対応する以外ないからです。

 これだけいろんな病気をされているのに体重が減らないのが不思議です。

 最近 私は足が痛くなり、歩けなくなっています。

 かみさんはそれを見て「私に面倒を見てもらうつもりだから、歩こうとしないんだ!」といつも言います。苦笑

 いざとなれば私は施設に入るつもりですので、かみさんに迷惑はかけないつもりです。






岩崎宏美 - 思秋期 - 1977
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過日、自宅のベランダでひっくり返ってもがくセミがいました。

2023-08-30 00:59:18 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「宙舞う生き物に見入る」というタイトルで、80歳の男性が投稿されていました。


 自宅近くの緑地公園を散歩するたび、飛び交う野鳥や虫に見入ってしまいます。

 早朝、シラサギが優雅に餌場の川から山の方に向かう一方、ヒヨドリのつがいは波乗りのように低空を飛行していました。

 カラスがバサバサと飛んでいく先はごみ捨て場。

 メジロが木々の間を忙しそうに飛び回っていたのは、天敵から身を隠そうとしてでしょうか。

 モンシロチョウがヒラヒラと舞えば、アオスジアゲハは木陰を俊敏に飛んでいました。

 まだセミは元気で懸命に鳴いています。

 過日、自宅のベランダでひっくり返ってもがくセミがいました。

 かわいそうで、私は手に取って「また遊びにおいでよ」と心の中でつぶやきながら宙に投げました。

 身近な自然と触れる時間が何よりのわが楽しみです。


 以上です。


 投稿者さんのご自宅近くの公園は、いろんな野鳥や虫がいていいですね。

 私の近くの公園は、カラスばかりです。苦笑

 昆虫もトンボぐらいしか見かけないです。

>過日、自宅のベランダでひっくり返ってもがくセミがいました。
 かわいそうで、私は手に取って「また遊びにおいでよ」と心の中でつぶやきながら宙に投げました。

「地面に転がって動かずにいるセミは、死期が迫って体力が失われ、弱って動けなくなっている」と思います。

 宙に投げても、そのうちまたどこかに落ちてもがいているのでは。

 何しろ体力が失われ死期が迫っているのですから。

 ベランダで死なせてやればよかったのにと思いました。






La Boheme ラ ボエーム
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自宅にあった息子のギターは、元はといえば私のギターでした。

2023-08-29 01:11:08 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「ギターの一件」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。


 恥をご報告せねばならない。

 一年ほど前に、昭和歌謡のギターの名曲に感動し舞い上がったあげく、自分でギターを弾いて歌います、と当欄で宣言した。

 あまつさえ「朗報を待たれよ」と豪語してしまった。

 まずは「独奏ギター名曲集」を購入し、ついで新聞の通販で安物のギターを入手した。

 そこまでは上出来だった。

 さあ、あとは稽古だと、ギターを抱えたところで、早くも挫折した。

 若い頃には苦もなくできていた調弦(チューニング)が、まったくできないのだ。

 何度か挑戦はしてみたものの、己の衰えにげんなりして、せっかく入手したギターも投げ出してしまい、今や置物と化している。

 おじさんは思い上がっていた。

 傲慢だった。

 若い頃に少々かじったギターなど簡単に弾けるだろうとなめていた。

 実はおじさんは子どもの頃からオカリナを吹いていて得意だった。

 妻がオカリナを習い始めた時に「まあ、ワシより上手になることはあるまい」と高をくくっていた。

 それが、何年もの稽古を積んだ妻の演奏は、とてもおじさんの及ぶところではなくなったのだ。

 昔日の栄光など修練の前にはゴミ同然。

 諸兄姉、豪語してすみませんでした。

 以上です。

 今 大学生の長男孫が、軽音学部に入って楽しんでいます。

 高校時代、自宅にあった息子のギターで、ギター教室に通いギターをマスターしました。

 今はエレキ・ギターを弾いています。

 私も孫の為、孫が欲しがった少し高価なエレキ・ギターを買ってやりました。

 自宅にあった息子のギターは、元はといえば私のギターでした。

 私がマスター出来なかったギターを息子が持って行きましたが、息子もマスター出来ず、孫がマスターしたという結果となりました。

 オカリナは、私が小学校5年時買って吹けるようになりました。

 おとなしい性格だったと思いますが、学校に持って行き音楽の時間に吹いていました。

 音楽の先生がそれを見て、「演奏会で吹いた」らと言われ、クラスの仲間はハーモニカ、私だけはオカリナで演奏しました。

 今から考えると恥ずかしくなります。

 クラスの仲間はどう思ったでしょう。

 オカリナも小学校を卒業すると使わなくなり、どこかにいってしまいました。






ラ・ボエム ジリオラ・チンクェッティ Gigliola Cinquetti - La boheme - Piccola citta (Senza rete) ジリオラ・チンクェッティ
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政府が安全だというなら、岸田首相始め、自民党の国会議員、及び官僚の幹部は、毎日福島の魚を食べて頂きたい。

2023-08-28 01:14:57 | 日記
 中日新聞の「中日春秋」に、下記の事が書かれていました。

 中日春秋
 2023年8月25日 分

 福島県楢葉町の大滝神社は、太平洋岸から木戸川沿いに上った所にある。

 伝統の「お浜下り神事」が四月に行われた。

 ご神体をみこしに載せ海近くまで練り歩いた後、サカキにつけた海水をみこしにかける。

 海水によって神様に元気になってもらう狙いという。

 伝承によれば、大滝神社の神は紀州熊野から来た。

 那智麻呂という山伏が熊野の神をまつる適地を探し海を北上。木戸川河口で縁を直感したという。

 神をもたらしてくれた海。

 聖なる存在だから、お浜下りも生まれた。

 福島の太平洋岸の多くの神社でも同様の行事が受け継がれているという。

 海を慕い、敬う人たちはどんな思いでニュースに接しただろう。

 大滝神社から遠くない東京電力福島第一原発で昨日、放射性物質を含む処理水の海への放出が始まった。

 安全性に問題はないと政府は言うが、風評被害への懸念は漁師らの間で根強く、涙する人をNHKで見た。胸がふさがる。

 処理水の元になる汚染水が今なお生まれ処置に苦労するのは、事故で溶け落ちた核燃料を水で冷やし続けねばならないから。

 惨事から十二年を経ても人々に強いる心痛。

 原子力を、全能の神ならぬ人間が扱ってよいのかと改めて考えてしまう。

 放出前、漁師が地元紙に「どれだけ反対と言っても国は決めてしまえば流すのだろう」と語っていた。思いを託してもいい相手は神様ぐらいだろうか。

 以上です。


>原子力を、全能の神ならぬ人間が扱ってよいのかと改めて考えてしまう。

 原子力を人間が扱うのは無理でしょうね。

>安全性に問題はないと政府は言うが、風評被害への懸念は漁師らの間で根強く、涙する人をNHKで見た。胸がふさがる。

 福島の漁業関係者の方には申し訳ないですが、当分私は日本の魚を食べないつもりです。

 北欧の魚なら、大丈夫のように思いますが。

 福島第一原発災害が起こった時、私は魚は北欧の魚を選択しました。

 本当に北欧の魚か分かりませんが。苦笑

 お米も東北のお米は選択しないで、地元の愛知県産か北海道産を買うようにしていました。

 政府は風評被害と言いましたが、政府の言うことなんて信じていません。

 噂ですが、東京電力が原子力発電所を東京ではなく福島に持って行ったのは、もしも何か起こったら東京が大惨事になるかららしい。

 それでは困るので、福島に持って行ったという話があります。

 政府が安全だというなら、岸田首相始め、自民党の国会議員、及び官僚の幹部は、毎日福島の魚を食べて頂きたい。

 そうすれば、国民も安心して福島の魚を食べる事ができるし、風評被害もなくなると思います。

 政府は風評被害に備えて800億円の基金を用意しているようですが、風評被害がなくなれば800億円を福祉に廻せるのでは。






ラ・ボエーム
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一度口から出しちまった言葉はもう元に戻せねーんだぞ。言葉は刃物なんだ、使い方を間違えると厄介な凶器になる

2023-08-27 01:24:09 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「言葉は時に刃物のよう」というタイトルで、15歳の女子高校生さんが投稿されていました。


 インターネット上は心ない言葉であふれている。

 それに触れるたび、どれだけの人が傷ついているのだろうかと思う。

 映画の主人公は「一度口から出しちまった言葉はもう元に戻せねーんだぞ。言葉は刃物なんだ、使い方を間違えると厄介な凶器になる」と言っていた。

 友達のけんかをとめるために発せられたものだったが、現代を生きる私たちに向けてのメッセージみたいに思えた。

 私にも経験がある。

 決して相手は悪気がなく軽い気持ちで発したのだろうが、言われた方はネガティブな言葉やフレーズはなかなか忘れることができないものだ。

 言葉は素晴らしくコミュニケーションの大事な手段だ。

 しかしながら使い方を誤ってしまうと、刃物になって相手の心に突き刺さる。

 一層、心していかないといけない。

 以上です。


>映画の主人公は「一度口から出しちまった言葉はもう元に戻せねーんだぞ。言葉は刃物なんだ、使い方を間違えると厄介な凶器になる」と言っていた。

 一度口から出した言葉は、もう元に戻りませんよね。

 私も言葉で相手を傷つけてしまった事がなん度もあります。

 若い時 好きだった女の子に「そんなこと大した事じゃない」と相手がちょっと自慢されたことをけなしてしまった事があります。

 後で「しまった」と思いましたが、言ってしまった事は今更どうしようもありませんでした。

 けなしたのは相手に関心があるからですが、そんなこと相手が分かるはずがないですよね。

 これが元で、結局彼女と親しくなることが出来ませんでした。

 若気の至りですが、その後も相手を傷つける言葉を言ったりしています。

 後で反省していますが、つい口に出してしまいます。

 どうしようもない人間ですね。苦笑






聞かせてよ愛の言葉を 金子由香利 UPC‐0240
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