団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

自分が稼いで家族を支えるのがどんなに大変かを痛感する日々だ。

2021-11-30 02:33:04 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「亡き父へ『お疲れさま』」というタイトルで、43歳の男性が投稿されていました。


 父は十三年前、肺がんで他界した。

 中小企業の営業マンで部長職だったが、脳梗塞で体を壊し定年まで数年残してリストラされたようで会社を去った。

 父の最後の出勤日、母から「『お疲れさま』と言ってあげてね」と頼まれたものの、大学生だった自分は声を掛けることができなかった。

 父はうつ病も発症し、いら立ちや悲壮感も加わって紫煙ばかりくゆらせる姿が痛々しかったこともあり、つい反発してしまったのだ。

 やがて自分も社会人になって二十年がたった今、4歳と1歳の息子二人の父親となり、亡き父の偉大さを少しは理解できるようになった。

 自分が稼いで家族を支えるのがどんなに大変かを痛感する日々だ。

 今なら天国の父には「お疲れさまでした」と言ってあげられる。

 新型コロナウィルスの感染が落ち着いたら北海道に帰省し墓前で伝えたいと思う。


 以上です。


 投稿者さんも4歳と1歳の息子二人の父親となり、亡き父の偉大さを少しは理解できるようになったようですね。

 稼ぐということは大変ですよね。

 たとえ困難な仕事でもやり遂げないと飯の食いあげです。
 頑張ってやり遂げる以外ないです。

 バイト先の先輩とバイト帰りに、コーヒーをよく飲みに行きました。

 先輩が「奥様にたとえ百円でも稼いで見よ」と言われたそうです。
 百円稼ぐのも大変ですよね。
 一度も外で働いた経験がない人には。

 朝 出勤姿の会社員を見ますと、大変な土砂降りでも出掛けられます。
 稼ぐために皆さん頑張っていらっしゃるんだと年金暮らしの私はそう思います。




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昨日の午後 息子が結婚記念日のケーキを持って来てくれました。

2021-11-29 04:19:29 | 日記



 昨日の午後 息子が結婚記念日のケーキを持って来てくれました。

 私は下段のモンブランを夕食前にいただきました。

 前日 息子が購入した中古の住宅をかみさんと息子の家族と一緒に見に行きました。

 やはり中古ですので間取りなどは古いです。

 リフォーム中ですがしっかりした建物ですし、部屋数も孫たちに一人ずつ渡せるだけの数がありました。

 私はいっせんも援助していません。

 息子と嫁さんの努力の賜物ですね。

 息子はある程度貯金がありましたが、不動産屋さんは「貯金は使わずお子様たちの進学費用に回して、全てローンにした方が良いですよ」とのアドバイスをいただいたようです。

 ローンに全て回せば、住宅ローン減税を利用する際戻りが多いとのことでした。

 なるほど、素人の発想とは違いますね。

 私が出来なかった住宅購入を、息子は中古とはいえやり遂げました。

 住宅ローンを払うのは大変ですが、無理なローンは組んでいないのでなんとかなると思います。

 その際 息子に「新しいmacを買った」と言いました。

 息子宅のパソコンが壊れてしまったので、息子が古いmacをもらうということになりました。

 ということで、昨日息子が取りに来ました。

 息子に渡して私の机には新しいmacのみになり、机の上がすっきりしました。

 息子が「ちょっと遠い市街に有名なケーキ屋さんがあり、とても美味しいから今度持って来てあげる」行って帰りました。

 ちょっと楽しみです。☺️






幸せな結末  大滝詠一 我が心の大滝詠一
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そのご長男が結婚されるなんて、おばあさまが大変喜ばれるのも分かるような気がします。

2021-11-28 02:20:48 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「嬉しい日」というタイトルで、78歳の女性が投稿されていました。

 この2、3日の冷え込みに庭の千両が一段と色を深め、どの年よりも輝いて見えるのは、私だけでしょうか。

 それもそのはず、私は今一番の喜びに包まれているからです。

 孫が結婚するのです。

 それも初孫の男子です。

 思えば、この孫が高校一年の時、嫁である母親がわずか数ヶ月、病んだだけで旅立ちました。

 他に中学生と小学生の二人の子を残して・・・。

 嫁の無念さを思うと「この世に神がいるならば、どうか助けてください」と願う毎日でした。

 母さん子であった孫たちのショックは私以上に大きかったでしょう。

 でも長男は、弟妹の手本のようにしっかりと立ち上がり、大学進学、就職と立派に成長してくれました。

 ただ、その間、母の日が来るたびに、私の胸は悲しみに張り裂けそうでした。

 孫たちは「母さんは空から見てるから大丈夫」と言ってくれ、私の方がどれだけ助けられたでしょうか。

 あれから十二年、元気に育ってくれました。

 そして、あの時に高校一年生だった孫は結婚するのです。

 嬉しいです。本当に嬉しいです。

 「嫁よ! あなたの息子はきれいなお嫁さんを迎えますよ。見えますか!」

 澄み渡る晩秋の空に、私は叫んでいます。


 以上です。


 早くにお母様を亡くされたのに、しっかりお孫さんが成長されましたね。
 
 特にご長男のお孫さんは弟妹の手本のように成長されて。

 そのご長男が結婚されるなんて、おばあさまが大変喜ばれるのも分かるような気がします。

 私がこの記事を見てかみさんに「〇〇(長男の孫の名前)が結婚するまで生きたい」と言いましたら「そんなに生きられるわけがない!」と言われてしまいました。

 仮に30歳で結婚したら、今18歳なのであと十二年生きればいい。

 私はその時、86歳。

 確かにきついですね。😅





平井 堅 『いつか離れる日が来ても 』MUSIC VIDEO
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今のままでは、最高裁判所裁判官の国民審査はこの方が言われるように税金の無駄遣いですね。

2021-11-27 02:03:03 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「裁判官審査 改善が必要」というタイトルで90歳の男性が投稿されていました。

 10月31日投開票の衆院選と同時に行われた最高裁判所裁判官の国民審査が、今回も大いに気になりました。

 国民審査の公報を開いても各裁判官の人柄がうかがえず、これまでと同じく審査のしようがありませんでした。

 有権者目線とは完全に懸け離れているなと思い、何らかの改善がない限り、この先も形式的な審査に終わる気がしてきました。

 投票箱の前で「これではもったいなく、考えようによっては税金の無駄遣いだ」という気がしてきました。

 報道によれば国民審査は今回が25回目。

 有効投票の過半数が「X」と記し、罷免されたケースは過去にないそうです。

 以上です。


 今のままでは、最高裁判所裁判官の国民審査はこの方が言われるように税金の無駄遣いですね。

 形骸化しているとしか言いようがないです。

 今回の最高裁判官の対象は11人だったですが、「X」が半分以上占めた方は当然いませんでした。

 私が思うにはダメと思う裁判官が「X」なら、いいと思う裁判官には「○」をつけるという方式にすれば、まだ形骸化しないと思います。

 おそらく今は何も印を書かない方が多いように思います。

 これでは意味がないと思います。

 無記入は無効。

 「○」か「X」にしたら、罷免される裁判官の生まれるようになるのでは。

 ちなみに私はこの制度が意味がないと思っていますので、全員に「X」を記入しています。

 ささやかな抵抗です。😅

 






平井堅X小田和正 - 瞳をとじて (国立代々木体育館 2006.08.19)
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陽が暮れてから行われる鵜飼は、幻想的でした。

2021-11-26 01:43:45 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「鵜飼支える人々に感謝」というタイトルで、57歳の女性が投稿されていました。


 夫の還暦祝いで10月半ば、岐阜市の長良川温泉で一泊しました。

 近くにいながらなかなか見に行けずにいた鵜飼が目的でした。

 その日は今年の最終日で大勢の観光客が詰めかけ、大いに盛り上がっていました。

 観光船から見えたライトアップされた岐阜城、鵜船のかがり火、昔ながらの装束の鵜匠の所作は幻想的でした。

 舟は川幅いっぱいに並び、一斉にアユを浅瀬に追い込む「総がらみ」は迫力があり、見応えがありました。

 ホテルの部屋から翌朝、川沿いでごみを拾う人たちの姿が見えました。

 おかげで山紫水明が保たれていることに感謝し、また伝統行事を見に行きたくなりました。

 生まれ育った岐阜の良さを再確認し、末長く後世に伝わることを願っています。

 以上です。


 私は40代後半 岐阜支店に勤務した事があります。

 その時 岐阜支店全員で鵜飼を見に行った事があります。

 鵜舟に乗って陽が暮れるのを待ち、陽が暮れると鵜飼が始まります。

 投稿者さんが書かれていますように、観光船から見えたライトアップされた岐阜城、鵜船のかがり火、昔ながらの装束の鵜匠の所作は幻想的でした。

 鵜飼が始まる前にちょっとした食事をしました。
 煮アユが出ました。初めて食べましたが、美味しかったことを思い出します。

 もう二度と見に行くことはないと思いますが、良い経験をしました。





1リットルの涙 3月9日
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