2021年12月18日の中日新聞に鷲田 清一(ワシダ キヨカズ)先生(哲学者)が「骨太のまっすぐな言葉」「政治の酷薄に抗おう」というタイトルで投稿されていました。
あの大震災から三年経って、東北の陸前高田の初老の男性がため息とともにこう漏らしたと、美術家・瀬尾夏美の「あわいゆくころ」にある。
<めちゃくちゃに色んなものを失くしてから(・・・・・・・)まだ失くすものがあるなんて思いもしなかったよねえ。>
これ以上、失くすものは何もないと思っていたのに、まだあった。
仲間はもう戻ってこない。
新たな造成で元のまちも消えてなくなったと。
このところの国政についても、わたしたちはつい同じような口調でつぶやいてしまう。
「政治はもうこれ以上酷薄になりようがないと思っていたけど、いくらでも国民に冷たくなれるものだったんだねえ」と。
公文書の改ざんを死で訴えた財務省職員にも、オリンピックの強行によって遅れた東北復興にも、米軍基地移転をめぐる沖縄の民意にたいしても、国の対応は酷薄をさらに超えて、非情ともいえるものであった。
そしてもう一点、言葉の荒廃と責任の放棄がある。
どれほど非道な発言をしても通るし、進退も問われない。
永田町のそういう空気が路上やネット上に広がり、心無い誹謗中傷を野放しにしてきた。
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これまでもえげつない政治はあまたあったけれど、戦後政治をふり返るに、この九年間ほどに酷薄な時代はかってなかったようにおもう。
首相の姿勢もそうだが、それ以上に、それに同調、もしくはそれを黙認してきた政権与党の議員に、あるいは一部の自治体首長に、わたしは「残念」ということで済ませられない思いを抱いた。
不幸なことにこれにコロナ禍が被さった。
いわゆるエッセンシャルワーカーへの対応においても、休業者への給付金の、度を超えて煩瑣な手続きにあっても、政治の酷薄さは今なお続く。
コロナ禍については、医学的見地のみならず、さまざまの文明史的見地からの判断がありうる。
そのなかで上の被災地の男性の言葉を裏返しにしたのが、(前にこの欄でも紹介した)イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノの次の言葉だ。
<今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないのか>
(『コロナの時代の僕ら』飯田亮介訳)
かれの言葉は、コロナ禍のみならず、それをとおしてわたしたちの社会が野放図にくり返してきた思慮なきふるまいに、あらためて注意を喚起した。
が、その後、ある映像で耳にした宮城県在住の美術家の言葉は、それよりもはるかに強烈であった。
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コロナ禍のさなかにくり返しいわれた(ステイホーム)、「その内へのこもり方が中途半端だった。 まだまだ甘かったかも」と、志賀理江子は言う。
そしてそれに続け、「どんな芸術、どんな表現よりも、いまは<外>の世界の方が過酷」。
だから「一年ほど穴の中に入るとかしないと、状況は変えられない」というのだ(Kyoto Experiment オンライン・インタビューズ03)。
ここには、リモートワークできる人やいやでも現場に出向かざるをえない人たちとの分断を目の当たりにして、後者のリスクに拮抗するようなステイのありようを探らねばという強い思いがこもる。
政治の酷薄に抗い、それを押し返してゆくには、骨太のまっすぐな言葉が要る。
思い起こせば、陸前高田で母と家を失くした写真家の畠山直哉も、震災直後、同じ烈しさで次のように書いていた・・・。
<大津波や原発事故をもし「未曾有の出来事」と言うなら、それに対しては「未曾有の物言い」が用意されなければならないはずだ。>
以上です。
「未曾有の物言い」の意味がよく分からないので、ネットで調べてみました。
畠山直哉 写真展「まっぷたつの風景」展覧会プラン [© sendai mediatheque]
「大津波や原発事故をもし『未曾有の出来事』と言うなら、それに対しては『未曾有の物言い』が用意されなければならないはずだ」と語ったのは写真家・畠山直哉だ。
その言葉は、生まれ故郷や家族をあの大津波に奪われてしまったことへの憤りとともに、失われたものへの深いまなざしを感じさせた。
2016年に開催された畠山直哉 写真展「まっぷたつの風景」では、2カ月の会期中に対談を3回、てつがくカフェを3回行なった。
震災から5年の日々をままならないままに過ごしている人たちが東北にはたくさんいて、畠山はまず彼らに向けてこの場を開こうとしているように感じられたからだ。
実際、会場には、あの日から自問自答を繰り返してきた人びとが多く集まり、なかには12回もこの展覧会に足を運んでくれた人もいた。
いがらしみきお×畠山直哉 対談「人工天国─現在の風景に何をみるのか?─」2016年11月23日開催 [© sendai mediatheque]
志賀理江子×畠山直哉 対談 「暗夜光路─写真は何をするのか?─」2016年12月24日開催 [© sendai mediatheque]
「未曾有の出来事」はひとりでは到底、手に負えない。向き合うには痛みが伴う。
しかし淡々と「手間をかける」ことでしか向き合うことはできないと、ここに集った人びとはどこかで覚悟していたように思う。
全6回にわたる対話の連なりを黒板に記し会場に展示したが、「未曾有の物言い」が体をなして現われたように感じられた。
それは過剰な意味を求め過ぎるのものではなかったし、だからといって時に任せた諦めとも違った。
これまでの出来事を一つひとつ問いなおし、その経験を語り共有することで、「明日」という不安定なものに対して再び身をひらいていく孵化の時でもあった。
そして同時に、それぞれが歩んできた震災後の日々への労いが見られた。
「未曾有の物言い」とは、「これまでの出来事を一つひとつ問いなおし、その経験を語り共有することで、「明日」という不安定なものに対して再び身をひらいていく孵化の時でもあった。」と言うことだったんですね。
竹内まりや 元気を出して