団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

年賀状を頂いて肉筆のコメントが書かれていると、その年賀状は印象に残ります。

2024-01-31 02:50:31 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「肉筆の言葉 強く伝わる」というタイトルで、71歳の女性が投稿されていました。

 わが家に届いた前年とほぼ同じ90枚ほどの年賀状には「今年限りで失礼します」という年賀状じまいを予告する人が何人もいた。

 そんな中、脳梗塞を患って右手が不自由になった友人女性からのものは、左手で一生懸命書いたであろうことがはがきから容易に推察できた。

 最近はパソコンで印刷した自作の年賀状が増えているが、短くても肉筆の言葉がそこに添えてあると、その人の思いや心境がよりストレートに伝わってくる。

 「〇〇を頑張ろう」と前向きな決意があれば、普段なかなか顔を合わせなくても元気そうな様子が手に取るように分かる。

 頂いた年賀状を前に皆さんに幸あることを願った。

 以上です。

 最近 年賀状じまいの年賀状を頂く事が多くなりました。

 いろんな思いがありやめられると思いますが、なんだか寂しいです。

 年賀状を頂いて肉筆のコメントが書かれていると、その年賀状は印象に残ります。

 日頃 顔を合わせていないので、その方の様子が伺えてうれしいです。

 何も書かれていない年賀状もいただきますが、印象が希薄になります。

 私は字が下手ですが、やはりひとことコメントを書いてます。

 そうすれば相手の方に私の思いが少しは伝わるのではと思っています。

 毎年頂く年賀状が減っていますので、ちょっと寂しいです。




絶唱 舟木一夫 1968
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後期高齢者となって終活を始めた。

2024-01-30 03:05:32 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「家族葬で送ってほしい」というタイトルで、75歳の男性が投稿されていました。

 後期高齢者となって終活を始めた。

 資産はそれほどないため、葬儀の準備から取りかかった。

 私は次男で実家を出たため、菩提寺や墓、仏壇をどうするかを考えなくてはならなかった。

 死後、魂が残るとは自分は考えていないこともあり、妻や娘の意見を確認した結果、これらを一切持たないことにした。

 葬儀については、派手なものは私には似合わないと思い、通夜も告別式もしない家族葬というかたちがいいと思った。

 近親者がそれぞれしのんでくれれば十分。

 ここまで終活が進んで、わが心はすっきりし、すがすがしさも覚えた。

 後は健康に気を配って余生を楽しく過ごすだけだ。

 以上です。

 投稿者さんは、合理的な方なんですね。

 私はというと、父親が亡くなる前に母親に「神道でいきたい」と言って了解を得ていました。

 うちは新家でしたので、宗教に関して何もしがらみがないです。

 義兄から神道は安く済むし、縛りもあまりないと聞いていましたので神道でいこうと決めていました。

 最初は宮司さんのコネがなくお願いするのに苦労しましたが、今は地元の神社にお願いすれば適正な価格で来て頂けます。

 私は神道に乗っとり葬儀を進めてもらって、その後は小田和正さんの曲を流してもらえれば十分です。

 葬儀には近親者の方をお呼びするだけのつもりです。

 お墓もありますし、後は葬儀屋さんを決めておくだけです。




舟木一夫さん 東京は恋する 95年
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50代になり、夫に先立たれ、誰かに寄りかかる?術をなくしてしまった。

2024-01-29 01:30:53 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「ジム通い」と言うタイトルで、52歳のパートの女性が投稿されていました。

 ボクシングジムに通い出して2年になる。

 最初は、こんなおばさんがボクシングなんてしていいのか?と少々恥ずかしい思いもあったが、約1時間の体験をした。

 体を慣らし、縄跳びをし、シャドーボクシング、サンドバッグ、そしてリング上でのミット打ち。

 終わった後の興奮と爽快感!即、入ります!となった。

 あれから週2回を目標に通っている。

 もちろん通えない時もあるが、私のモットーは無理をしない、である。

 私の通うジムにはプロの方もみえる。

 ボクシングが全く未経験の私は、息子のような歳のプロの方、プロを目指す子たちを応援するようになった。

 プロの方の気迫は素晴らしく、こちらまで気持ちが引き締まる。

 50代になり、夫に先立たれ、誰かに寄りかかる?術をなくしてしまった。

 子どももいる「私が生きなきゃっ!」と、自分に何が足りないか考えた挙げ句、運動することだと思った。

 今年も約1時間の汗を流しに行く。

 帰りの自転車をこぐ時の爽快感を味わいながら、思わず幸せだな、と感じている。

 家に帰り、シャワーを浴びたら、とりあえずビール。

 2度目の幸せを噛み締めながら、夕飯の準備に取りかかる。

 以上です。

 投稿者さんは、前向きに生きていらっしゃいますね、頼もしいです。
 
>50代になり、夫に先立たれ、誰かに寄りかかる?術をなくしてしまった。
 子どももいる「私が生きなきゃっ!」と、自分に何が足りないか考えた挙げ句、運動することだと思った。

 ご主人を早く亡くされ、お子様を守りながら生きる術を考えられたようです。

 運動にボクシングを選ばれた事が良かったようです。

 ボクシングの魅力にハマられたようです。笑い

>家に帰り、シャワーを浴びたら、とりあえずビール。

 ビールが美味しいでしょうね、私もそんな美味しいビールを飲んで見たいです。




舟木一夫さん 哀愁の夜 97年
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カメラを意識していない写真を遺影写真にしたいと思っています。

2024-01-28 02:03:19 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「遺影」というタイトルで63歳の女性が投稿されていました。

 小さい頃からの遺影のイメージといえば、薄暗い仏間に飾ってある白黒のちょっと怖い感じのする写真だった。

 昨年6月に義姉が67歳で亡くなった。

 家族や兄弟思いで、明るくエネルギッシュな義姉は、闘病中も弱音を吐くことなく、 最期は自宅で家族に見守られながら永遠の眠りについた。

 そんな義姉の死が思いのほかショックで、夕暮れ時や夜寝る前になると、義姉を思い出しては寂しく落ち着かない日々を過ごしていた。

 ふと葬儀の時の義姉の写真が素敵な笑顔だったのを思い出し、姪に送ってもらって部屋に飾った。

 それからは遺影に話しかけたり、ぼんやりと眺めたりして心が落ち着いた。

 遺影の大切さをしみじみと感じた私は、自分たちの遺影のことを考えるようになった。

 私たち夫婦も60歳を過ぎ、今は2人に1人が癌になる時代、遺影など遠い先のことと油断してはいられない。

 元気な時の顔の写真の方がよいではないか。

 私は、いつも写真を撮ってもらうときに笑顔を心がけているので、きっと娘がとっておきの1枚を選んでくれるだろう。

 問題は主人だ。

 歳とともに頑固になりつつある最近の写真は、どれも渋い顔である。

 これは何とかせねばと、写真を撮るたびに「はい、笑って|、にっこりね|」と声をかけるこの頃である。

 以上です。

 父が亡くなった時、遺影写真を作るため葬儀屋さんから依頼を受けました。

 「早く下さい」と督促されますので、アルバムから探しますが適当な写真が見つかりません。やむなく40台と思えるような若い写真を出しました。

 今思っても後悔ばかりです。

 遺影写真で心に残っているのは、ドリフターズのいかりや長介さんの遺影写真です。

 カッコ良い遺影写真でした。

 私は芸能人でないのでそんなカッコ良い写真は見当たりませんが、カメラを意識していない写真を遺影写真にしたいと思っています。

 今は写真の加工技術も進歩しているので、葬儀屋さんが上手く加工してくれると助かるのですが。

 エンディング・ノートに現時点気に入っている遺影写真を残しておけば、息子たちも困らないのでは。

 3年に1度は、更新しないとまずいと思うのですが。 



舟木一夫さん 北国の街 97年
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私は初のボーナスをもらった時、両親にもおばあちゃんにもお年玉をあげませんでした。

2024-01-27 01:14:26 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「孫がくれたお年玉」というタイトルで、75歳の女性が投稿されていました。

 近所に住む息子の長男、私の可愛い孫である。

 昨年、高校を卒業して就職した。

 会社が近いこともあって、昼食をとりに家へ帰るのですが、両親は勤めていて誰もいないので、週2日くらいだけど食べに来るか聞いてみた。

 我が家は後期高齢者の2人なので、安否確認もしてもらえそうだし・・・。

 小さい時から時々一緒に食事をしていて、いつも「おいしい、おいしい」と言ってくれてはいた。

 来てくれる事になったはいいが、さあ大変。

 週2日が意外と早くやってきて、ボケてはいられない。

 ランチメニューは、前日の夕食作りから始まる。

 少しずつ残しておいた揚げ物や総菜から天丼や牛丼に、鍋のスープは味噌煮込みうどんに、カレーの残りはカレーうどんに。

 寒い時はさっぱりしたものをと、いろいろ考える。

 いつまでできるかわからないけど、楽しくランチを作っている。

 その孫が、お年玉をくれた。

 「おじいちゃんと半分ずつにするように」と。

 うれしくて仏壇に供え、三が日が過ぎて夫と分けたが、もったいなくて使えない。

 使う日はいつになるだろう。

 ボーナスが出たらしく、その気持ちが本当にうれしくて、ありがとう。

 体に気を付けて頑張ってネ!!応援しているよ。

 おばあちゃんも頑張るネ!!

 以上です。

 おばあちゃんからの提案、週2日食事を作ってくださる。

 お孫さんにとって大変うれしい提案だったと思います。

 おばあちゃんが考えた美味しそうな食事、それにひとりぼっちで食べるのではないので、食事がより美味しいと思います。
 それに、お孫さんからのお年玉、うれしいですよね。

 もったいなくて使えないおばあちゃんの気持ちよく分かります。

 私は初のボーナスをもらった時、両親にもおばあちゃんにもお年玉をあげませんでした。

 今から思うと、あげれば大変喜ばれたのにと後悔します。

 全部使わずに、ちょっとは節約して両親、おばあちゃんにあげれば良かった。




舟木一夫さん 高原のお嬢さん 改40年 紅白
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