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神奈川県の西部にある「小さな町」で暮らす私777>日々の生活の様子、見たこと、感じたこと、思ったことを綴っていきます。

何でも見てやろう~~

2007-07-30 | インポート
「ベ平連」と「何でも見てやろう」・・・この言葉で代表される「大田 実」さんが亡くなられました。

彼の著「何でも見てやろう」が出版されたのは、もう30年以上も前。
この本の題名が「好奇心旺盛」の私の心にピタッと来たんです(笑)。

夢中で、一気に読みました~~。
彼の目線で見た世界中の国々、人々・・・「世界中には、こんなに楽しくて不思議で魅力のある国がたくさんあるんだ!」
「絶対にそんな国を旅したい!」と「大きな夢」を持ったのもこの時でした。

その後の彼の活動=反戦・反核などの国際的な市民運動の様子を新聞やTVニュースで見聞きしながら、「彼が貧しい世界中の人々と直接に触れ合って感じたこと」・・・つまり「何でも見てやろう」の内容が「原点」になっているのだと思いました。

そして、私の「夢の原点」でもある本。

はちきれそうな好奇心を持って行く「外国」~~、
「観光」という目的だけではなく、その国でホームステイし日常の生活を体験したり、ボランティアをしたり、学校を訪問したり・・・いろいろな形で訪れている国々・・・
現地の人たちに「そんな体験まで?」とあきれられることもある、まさに「何でも見てやろう」精神で楽しんでいます(笑)。

これからも、旅だけではなく、日常生活でも「良き好奇心」を忘れずに日々を送って行きたいと思っています。

大田 実氏のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

貴船まつり~~♪

2007-07-30 | 日記・エッセイ・コラム

毎年7月27日・28日の両日に行われる「貴船祭り」。

宮城県・塩竈神社、広島県・厳島神社と並ぶ日本三大船祭りの一つである「貴船祭り」。

国指定重要無形民族文化財である「貴船祭り」。

神奈川県の西部にある「小さな町の祭り」です~~。

神輿が神社から「海を渡って」村里にお出ましになる「船祭り」であることから、「船」の競演が見ものです~~♪

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←「小早船」

東西に華を競う祭りの主役の船です。満艦飾の舳先には「裃」を着けた「舳乗り」が微動だもせずに座っています。大変な役割です!

船体を左右に大きく揺さぶりながら向きを変えるときは、観客はハラハラ・・・

この小早船の「水浮け」(進水)や、組み立てた屋形の安全性、操船には熟練した技術が必要とされます。漁業と石材運搬業が主産業であった町ならではでしょう。

→「回伝馬」

神輿の海上渡御の際に、「神輿船」「小早船2隻」「囃子船2隻」を曳航する大型の伝馬船で、こちらも2隻あります。2007_0727matsuri0030

曳航の途中からは「競漕」も行われ、私が子どもの頃には「町が東西」に分かれての応援で、漕ぎ手に多大な期待がかけられたものです。

ちなみに・・・私の父は、この回伝馬の「リーダー」でした。舳先に立ち、大声で「応援歌」を歌い、漕ぎ手を叱咤激励していた姿・・・祭りの度に思い出し、涙が出そうになります。

2007_0727matsuri0099 ←「囃子船」

二日間、海で陸で「祭りを盛り上げる」のが、「囃子連」が乗る船です。

こちらも東西2隻があります。海上渡御の際はこの囃子船で、お神輿が町中を練り歩く時は「屋台車」で、打ちならします。

町内の子ども達は、小学校に入学すると、各地区の「子ども会」で、「太鼓」の練習を行い、「子ども神輿」や「小ども囃子」で、祭りに華を添えてくれます。

2007_0727matsuri0124 そして、大人になって町を離れていても、「この祭り」のために、何を置いても休暇をとり帰って来て「囃子連」の一人として祭りを楽しむ・・・そ2007_0727matsuri0025んな人が多い町です。

→囃子船の一番右で「笛」を吹いているのが、息子同然の「甥」です~(笑 彼も「お祭りっ子」の一人です(笑)。

いでたちはこれ~~~→

2007_0728matsuri0060 ←「鹿島おどり」

この踊りは「相模湾沿岸」から小田原西部、伊豆北川までの「石材産出」にかかわった地域の22社で行われる神事です。

悪疫退散、大漁、海上安全を祈願して踊ったと言われています。

他の市町村は、「白装束」「烏帽子」というスタイルで踊るのだそうですが、私の町は「浴衣」に「三色の帯」「そろいの手甲」「無帽」です。

これは、昔から「小江戸」と呼ばれていたほどの華やかさを誇っていた地域性を反映したものと言われています。

貴船祭りは「鹿島踊りに始まり、鹿島踊りに終る」というほど、重要なみどころの一つで す。

26日の夜「村里」の神社で「祭りの準備も滞りなく終わりました。無事に二日間の祭りが終了しますように」と願って踊りを奉納することから始って、27日に神社での「発輿式」での奉納、村里の「神輿のお假殿」安置時から、28日の神輿の町中の巡回についていき、要所要所で踊ります。

この「踊り」を高い場所から見ることや、隊列を組んで歩くメンバーの前を横切ったりすることは、絶対に「禁止」です!

2階から見ている人は「降りろ~~」と怒鳴れます(苦笑)。

この「鹿島踊り連」は、↓花山車に先行し、歩いて、歩いて~~~ですから、一番2007_0727matsuri0073疲れる役どころでしょうか?

今は、「保存会」に入って踊っているのは「小学生」も多いんです!→

本当にお疲れ様~~。

2007_0727matsuri0132 ←「花山車」

重さが90kgにもなるという「花山車」は、かつては「石材関係者」が担当していました。日頃の仕事を通じて培った腕力を「祭りで披露する」、一種の力比べでした。

海上で「回伝馬」を漕ぎ、陸で「花山車」を持つ・・・男ならではの分野です!

このように「貴船まつり」は、当初、職業によって「役割分担」が決められていたのです。

鹿島踊りは「漁業関係者」。 囃子は「商人」。 回伝馬と花山車は「石材関係者」。

神輿は「厄年の男」。 小早船の舳乗りは「世襲制」。

町中の人たちが「祭り」を楽しめるようになっているのに・・・「女・子ども」は関係ない「祭り」なんです(笑)。見るだけ!

近年、若い女性も担げるように「付け神輿」がいくつか出るようになりました。

子ども達も各町内で、小さな山車や神輿を作って、いっしょに楽しむようになりましたが・・・。

「貴船まつり」には、古くからの「仕来り」が多くあり、今もそれを守ってきていましたが、「伝統の大切さ」と、「住民の楽しみ」との間で、少しづつ変化があるのも事実です。

2007_0728matsuri0021 神輿の「みそぎ」~~♪

港の東西の海に入ります! この場面を見たくて大勢の見物客が、港を埋め尽くします!

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←「神輿の海上渡御」

神社の本殿から、100段の階段を一気に駆け下りてきた「神輿」と、神主さま、鹿島踊り連な乗った「神輿船」を中心に、「小早船」「囃子船」を「回伝馬」が曳航する風景は、とてもきれいで「古式にのっとった祭り」の良さを感じるものです。2007_0727matsuri0155

28日の夜、「神輿が神社」にお帰りになる際は、これらの船の「ちょうちん」に火が入り、「幻想的」な光景となります~~♪

この夜も海岸は人々で埋め尽くされます。