京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

京寿司・・・2

2020年02月14日 03時41分44秒 | 洛外・和菓子
昨日の記事の続き。
本日は、京寿司の内訳です。
昔から京都に伝わるお寿司。
小さい時、お客様がこられたらこのようなお寿司とお吸い物を出前してもらっていました。
その家の人は、お茶漬を食べておりました。
それが「京のお茶漬」の実体。
もう少し上等?のお客様には、仕出し弁当の場合もありました。


↑太巻、小さい時、シイタケが苦手だったな。卵だけ抜いて食べていた。ボンボンの京男。

他の家庭はどうかようわかりませんが、京都市内の家庭でその家人が食べている食事をお客様に出すことはなかったと思います。
それはお客様に対し失礼という気持ちがあったのかも。
そんな事情もあるので、京都市内では、お寿司屋さん、うどん屋さん、仕出し屋さん、洋食屋さんがたくさんありました。中華料理は少なかったかも。


↑おぼろ巻、おぼろ昆布も紫蘇も苦手だった。

お寿司は、生ものを使わないのが普通だったと思います。
それは、物流や冷蔵庫が完備してなかったからです。
魚は、酢でしめて使っていた。
刺身は、鮒や鯉、例外的に生きた状態で京都市内に運べる鱧(はも)は、ありました。ただ、刺身といっても鱧は、骨切りをして吉野葛をまぶし、湯通ししたものを食べるのが普通だった。


↑いそ巻、酢でしめた鯖が入っている。小さい時、苦手だった。

それと京寿司は、お茶屋との関係もあった。
つまり酒席でちょっとつまめる状態になっていた。
いろいろな昆布でラッピングしてある箱寿司が主流。それなら乾燥を防げる。防腐効果はどうかわかりませんが。


↑鯖姿寿司、鯖の模様が苦手だった。皮のない部位は食べていた。

これらのお寿司は、醤油をつけないのが基本だと思います。
そして、一口で食べられる配慮がしてある。
作る時、一つ一つちゃんと味付けがなされている。
だから京寿司は手間がかかります。
いまとなっては高価なのは、仕事が必要だからです。
江戸前の握り寿司は、鮮度が良ければそれでいいのですが、京寿司はそうはいきません。


↑ハモ箱


↑これは、小さい時好物でした。あの鱧だと認識していなかったのでしょうね。

小さい時は、京寿司を好きでなかった。
食べるものがあまりない。
鱧の箱寿司とケラ箱の卵だけ食べていた。伊達巻の卵も。
いなりだって、稲荷神社の狐を想像して食べるのがいやだった。
今は、美味しく食べるのですが。


↑ケラ箱(卵とえび)


↑エビは苦手で、卵だけ食べていた。関東のと違いあまり甘くない。関東の卵なら嫌いになっていたでしょう。

こういう京寿司、たまに食べたくなります。
この京寿司「もっと広まったらいいのに」と思う。
寿司というと握り寿司が主流だけど、京都に旅行に来て、江戸前や金沢系の寿司を食べることはないと思う。


↑タイ箱?


↑この薄い昆布は、旨味をつけるのと乾燥を防ぐという意味なんです。

牛肉だって、昔、いまのようにホルモンを食べていません。
最近、女性が喜んでホルモン焼を食べたりしているけど、あれにはびっくりさせられる。ビールだってジョッキで飲む。百年の恋も冷めますね。口をひらけば「ヤバイ!」なんていいます。大股で闊歩するのも、ちょっと悲しい気分になる。
人前でバッグからおにぎりを出して、歩きながら食べるのも興醒め。忙しいのかな?
「品格」とか「魅力」ってなんだろう?


↑いなり

京都市は、観光都市なんだそうです。
なら他の地方で食べられない独自の食べ物がもっとあっていいと思う。
東京で流行ったものが京都市内で出店している。甘味だってなんでも抹茶を使えばいいなんて考える。もう少しちゃんと企画したらいいのに・・・。
ちゃんとしたリサーチをして出店しないから大抵うまく行かなくてすぐに閉店したりする。マスゴミやネットも悪い。
ちょっと悲しい京都市内。
インバウンドなんてことを当てにしないで、もっとまっとうに企画して欲しいものです。まあ、言うのは簡単だけど。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)000(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
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