↑左大文字
昨日は五山の送り火やった。
お精霊(しょらい)さんたちが帰らはる。
また来年・・・。
この送り火、初盆の時は感無量だったのを思い出す。
これでお盆が終わり。
地蔵盆というのがある。
なんでまたやるの?
子供の時そう思いました。
地蔵盆を調べてみました。
以下のようなことです。
↑昼間の左大文字
地蔵盆(じぞうぼん)は、地蔵菩薩の縁日(毎月24日)であり、なおかつお盆の期間中でもある旧暦7月24日に向け、その前日の宵縁日を中心とした3日間の期間を指し、またそのうちの日を選んで行われる地蔵菩薩の祭のことをいう。地蔵盆は一般には寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではなく、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角(辻)の地蔵が対象となっている。
旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆(お盆)期間中であり、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。現代では、参加する人々の仕事などに合わせ、多少日程をずらして土日に行うところも増えている。
↑左大文字
小さい時、子供が参加するから「児童盆」だと思っていたし・・・。
まあ、ある意味で子供と関係ありますが。
親より先に亡くなった子供を「親に先立つ不孝物」とよばれ、あの世の賽の河原で石を積まさされる。完成したら鬼がでてきて潰される。また積むということの繰り返し。「ひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため~」と歌いながら作業する。そんな可哀想な子供の霊を救うのがお地蔵さんなんです。虐待で亡くなった子供もやっぱり親に先立つ不孝者なんだろうか・・・。お地蔵さんどうなんですか?
このお地蔵さんは、地獄の地主でもある。地獄運営の組織に土地を貸しているのです。だから地獄でも顔が利く。閻魔さんでも頭があがらないそうです。
だから冤罪で地獄に落ちている人も救済できるのです。
↑左大文字
京都は、昔から町内に一体はお地蔵さんがありました。
きっと上記のような事情があったのでしょうね。
それが明治初期の廃仏毀釈でかなり潰された。市電の敷石になったお地蔵さんも多かったそうです。
お地蔵さん、現在の地球上の可哀想な子供たちをしっかり救済してほしい。
お願いしますね。
↑船形
五山の送り火から話題がそれてしまいました。
今年はなんかシラッ~としてしまいますね。
あの騒動は、京都人特有の答え方がトラブルの原因だったかもね。
あの話しがきた時に、「へ~、よろしおすな~、かんがえさせてもわりまっさ」と言ったのかも。
この答えを聞いた他府県の人は、「前向きに検討してくれるんだ」と思ったかもしれません。
相手が京都人ならそれで通用する。
京都人は、きつく断らないです。
理由は、相手を傷つけないのと自分も傷つきたくないからです。
京都は色んな権力者が変わった。明日権力者がかわったら命を落とすかもしれない。
だからあたりさわりのないような答え方をするのがDNAに入っている。
↑鳥居形
よく舞妓さんを誘う時の話しがある。
他府県の客「○○奴ちゃん、こんどこんどお茶でも飲みに行こうよ」
舞妓「へぇ、おおきに~」
この場合、「あんたとお茶なんて行くのいやや」という意味もある。
それに気づかないといけないのです。
さらに「何日にする?」
舞妓「へえ、おおきに!」
これは、「この田舎物、やぼやな~、ええかげんわからんのか」というような意味になります。
もちろんニアンスで意味が変わりますが。
送り火の件は、話しをもっていった人が「かんがえときまっさ」を間違って解釈したかも。言った京都人も相手が他府県の方だと配慮しなかった。
ひょっとして話しを持っていた人が「大文字焼で燃やして欲しい」と言ったかな。
京都人は「五山の送り火」を「大文字焼」と言われるのを絶対嫌うから。
ちょっと腹を立て「かんがえときまっさっ!」と断ったのかも。
なんてことをかってに妄想しておりました。
↑鶴屋吉信「宵待草」
五山の送り火に因んだ生菓子は、欲しかったけど私の独断と偏見で該当なしでした。
やっぱり夏場の生菓子はいけません。
↑焼皮、粒あん
Twitter→@kyo_otoko