ここは、東福寺の開山堂。
1280年入定の聖一国師を祀る場所。
ここは、落ち着きます。
考え事をするというより、なにも考えない場所かな。
私にとってなにも「考えない」のは大切なこと。
ここに座って、ひたすらスマホを弄くっている女性がいたけど、すごくもったいないことだと思いました。
「おやめなさい」とアドバイスするのは、余計なお世話なので放って置きましたけど。
すると「カチャン!」という音。
スマホを落としていた。
バッテリーとかフタとか外れてバラバラになっていた。
象徴的な現象なんだけどな。
(その女性、慌てて元通りにして、ちゃんと作動するか必死になって操作していました)
開山堂に向かう参道をはさみ、右側は池泉鑑賞式庭園。築山に植木と石がバランスよく配置された所は、智積院の庭園を思い起こさせます。
同じく左側は枯山水式庭園。白砂が碁盤の目になるよう整えられています。
この碁盤の目のような模様が面白いですね。
座って観ながら考えていました。
「なんだろう?」
ここからは、京男の妄想。
開山堂に向かう参道の右側が我々の住む「この世」。
緑があり、水があり、色の世界。
それに対し、碁盤の目の枯山水は、神仏の世界。
整然と碁盤の目が並んでいる。
真ん中の道が「悟り」を表現しているのかも。
神仏の世界に行くと無色で悩みなどとは無関係。もちろん四季とも無関係。
逆に池泉鑑賞式庭園は、豊かだけど生老病死があり、四季もある。
どちらも実相ではなく、神仏の世界とわれわれ人間界、両方楽しむこと。
それが人間本来の道。
そう教えているように観じました。
建仁寺に「丸・三角・四角の庭」があります。
あれとは、違う感動の世界でした。
和菓子 | |
中村 肇 | |
河出書房新社 |
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
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