↑お化粧したお地蔵さん
京都の古い町では、8月19日、20日ぐらいに地蔵盆をしています。
古い町では、町内に一体はお地蔵さんがいてはります。
普段でも、きれいなお花があがっています。
お地蔵さんの縁日は24日なんです。
だから本来は、その24日の前後に地蔵菩薩の祭をします。
最近は、週末にしてしまうことが多いのですが、仕方ないかな。
もともとは、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれたんです。
8月24日が裏盆にあたることから、盂蘭盆にちなんで地蔵会と呼ばれるようになった。
京男は、小さい時、子どもが集まって行事をするから児童盆やと思もてました。
↑お供えもていねいにつくったはります。
地蔵のある町内の人々はこの日にかけて地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付けて、地蔵の前に集って灯籠を立てたりお供え物をしたりして祀る。
行灯なんかを作って飾ったりしました。
地蔵盆当日の朝に「数珠回し」がおこなわれる。これは、町内の子供が、直径2、3メートルの大きな数珠をかこんですわり、おっさん(和尚さん)の読経にあわせて順々にまわす。
いまでは、子どもが少くのうなって、ず~っと前の子どもさんたちが数珠回しをしています。ちょっと悲しい景色。
お地蔵さん(地蔵菩薩)は、なぜ子どもを守るのでしょう?
こんな話があります。幼い子供が親より先に世を去ると、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいないことから、三途の川を渡れず賽の河原で鬼のいじめに遭いながら石の塔婆作りを永遠に続けなければならないとされている。お地蔵さんは、賽の河原に率先して足を運んでは鬼から子供達を守ってやり、仏法や経文を聞かせて徳を与え、成仏への道を開いていく。
そんなことから、お地蔵さんは子どもの守りとして各町内に据えられているんです。
最近は、お地蔵さんのこんな話もわからん人が多くなってきたから。子どもにとって受難の時代がきたのかな。
この地蔵盆が終わると夏休みが終り。
宿題に追われる毎日になった。それは学校が始まっても続いていた・・・。
町内のお年寄りとお話ししました。
「そこにある。石は拝まへんけど、こうやってお地蔵さんの形になったら、手を合わす。不思議やね」とおじいさん。
「きっと拝む人の心に仏さんがいてはるから、この石が尊いと思うのかもしれへんね。犬とか猫では、その区別ができひんし」と京男。
こんな会話をしていて、もう少しでバスに乗り遅れそうになりました。(笑)
これらのお地蔵さんたちは、清水寺の境内のもの。
明治維新後に成立した新政府が1868年(明治元年)3月に発した太政官布告神仏分離令、1870年(明治3年)の大教宣布など神道国教・祭政一致の政策によって引き起こされた仏教施設の破壊など、いわゆる「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の時に京都市内のお地蔵さんたちが壊された。その一部を清水寺が引き取らはったのやそうです。