京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

コワァ~イ!!

2013年10月31日 05時32分00秒 | 社寺・和菓子


再びハロウィンネタ。
もうひとつよくわからないのがハロウィンという行事。
アメリカの遊園地系のイベント(それも期間が長いからよけいわからなくなる)や百貨店や雑貨店の飾り付けで認識している。
先日の大阪での白人男性が悪魔らしき服装で御堂筋線の駅ホームを歩いているのが印象的だった。
日本の女性もらしい服装をしていたけど、もうひとつハロウィンかどうかわからなかった。


↑千本玉寿軒「ハロウィン」
この和菓子の顔、ちょっと怖いですね。



もともとはアメリカじゃなく、古代のヨーロッパにいたケルト人の風習からきたらしい。ケルト人は、紀元前1500年~400年ぐらいに存在した。
突然いなくなったというのでなくキリスト教的なものに習合していったのでしょうね。
そのケルト人の考え方で、10月31日に亡くなった人の魂が帰ってくる。その時、悪い霊的なものも帰ってくる。だから取り憑かれないように悪い霊的な服装をして仲間だと本物の悪霊に思わせ騙すという風習がはじまり。
その行事とキリスト教の行事とうまく習合したようです。


↑上用、黒こしあん、かぼちゃあん
かぼちゃあんが入っているのがnice!

アメリカに移住した人たちが発展させ現在のような形になったようです。
日本で言うと「節分」なんかな・・・。それと「お盆」を組み合わせたような感じかな。
日本人的にいったらまったく接点がない行事かもね。


↑これは方広寺の鐘の内側、淀君の亡霊。日本ってこんな控えめの怖さがありますね。控えめ過ぎてどれか説明しないとわからない。

日本人って面白いですよね。
なんでも楽しんじゃえとやってします。
海外からすると不思議な民族だと思います。
なんでも習合するという大らかさはすごい。
でも自分で自分がダンダンわからなくなってしまう危険性はありますね。


↑アップした部分。でも淀君と会ったことないから確認できませんね。

京男のハロウィンのイメージは、映画かな。
1967年の映画『幽霊島』というのがありました。
ホラー映画ではないのですが、その中に出てくる案山子や馬に乗る骸骨のイメージが幼い京男にとって強烈だった。
たぶん父親が連れていったのだと思う。
同年ソ連映画『妖婆・死棺の呪い』も怖かった。原作が文豪ゴーゴリの短編を映画化したものです。美女が棺桶の上に乗り、空中を飛んで結界にドンドン当たるのが凄かったな。
amazonで『妖婆・死棺の呪い』はありますよ。
よかったらそうぞ。

日本の幽霊の方は、私のまわりに家に出るとか、あそこは出るとかありますね。
本物というのは、演出もないからあまり怖くないというのが印象ですね。
波長があって近づいて来て逃げたという体験談は怖かった。
京都の繁華街は魑魅魍魎の住む場所なんです。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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七福

2013年10月30日 04時58分28秒 | 
実家に行く時、近所の食べ屋さんを開拓している。
昔は、観光地の割りにレストランが少ない。
でも最近、増えてきたように思う。
実家で、長女がまだ小さい時「グリル子宝」から洋食弁当とかを持ってきてもらっていた。お寿司屋さんや仕出し屋さんはちょっと遠いところから出前してもらっていたけど。


↑日替わり定食

いまは、結構いい雰囲気のお店が増えてきた。
いずれ実家に住むと思うけど、それはそれで楽しみかも。
いまの場所は最低ですからね。


↑海老・セロリ・ジャガイモ・フクロタケ・ニンジンの炒め物

先日も「七福屋」に続けて行ってきました。
ちょうど中華料理を探していたのです。
両親の付き添いで京大病院に行くのが水曜日が多く、定休日で夏の間はいけなかった。
もっとも両親の付き添いで病院に行くとドクターとのネゴシエーション作業で疲れて食事どころではなくなっておりました。
ドクターだけならいいのですが、両親も抑えないといけないので大変なんですよ。


↑黒酢の酢豚セット

この間、やっと「七福屋」に行けました。
ここは、上海家庭料理ということです。
お昼のランチが結構お値打ちでした。
いずれ両親も連れてこようっと。
両親をつれてペルシャ料理という訳にも行かないしね。


↑いいですよ~

お店の名前に因んで「七福」をちょっと書いておきます。

1.生福/衣食住・生活が豊か→大黒天
2.商福/商売が繁盛→恵比須天
3.金福/金銭を得る→弁才(財)天
4.神福/神々からの恩恵→毘沙門天
5.家福/家庭の繁栄→布袋
6.寿福/健康で長寿→寿老人
7.子福/子孫の繁栄→福禄寿

※便秘に「七ふく」(七ふく製薬株式会社)・・・わかるかな・・・。


「七福屋」地図


↑最近、消耗しているのかな・・・こんなものを食べたくなるのですよ。

和菓子
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鬼、笑う

2013年10月29日 05時20分00秒 | 和菓子


10月も、もうすぐ終わりですね。
年賀状・・・とか、お歳暮は・・・なんて言い出す。
お節料理・・・は、もう予約受付しているか・・・。
まだ二ヶ月あるのに・・・。
そうそうクリスマスケーキなんかも予約受付していた。
その隣でハロウィンの飾り付けをしていたりする。
日本って面白い国ですね。
なんでもありだし。


↑東福寺へ行く道。ここもきれいに紅葉する予定。

先日大阪に行った時、地下鉄のホームを悪魔の姿をした外人が歩いていた。
あれには驚いた。
京都では、ああいうのは見かけない。
家に帰って京女に言うと「USJに行くからじゃない」とそのまんまの答えだった。
せめて「お金をおろしに行くのにあんな服装はしなくていいんじゃないかな・・・」ぐらい言うのが礼儀なのに(親しき仲にも礼儀あり)。
そうしたら、気持ちよく「UFJやんか」と答えられる。(自分でツッコミを入れてしまった)
宇宙に行くためかいな・・・。
それは「UFO」や。(ツッコム元気もない)
「面倒臭い人やね」といわれ
あんな服装をして地下鉄に乗るのがちょっと悲しいなぁ。


↑長久堂「ハロウィン」
こういう西洋モチーフはどうも生菓子に合いませんね。


↑こなし、黒こしあん

ハロウィンってそれなりに定着してきているのかなぁ・・・。
あまり日本に合わないように思うけど。
日本的に言えばお盆となる。
お盆に幽霊の服装をして墓場やお寺を練り歩くはちょっと「×」ですね。
お菓子は黄白の上用では、地味だし。


↑長久堂「田守神」
ハロウィンの案山子ではありません。りっぱな日本の案山子です。


↑外郎、備中白こしあん

昔から日本は、なんでも吸収して習合してします。
ある意味平和的な国。
でもダンダン自分が何処の国の人間かわからなくなっていくかも。
それもインターナショナルでいいのかもね。
私はイヤヤけど。

なんてことを考えながら、業務で来年の年間スケジュールを書き込む作業をしていました。
こんなことをしていると2014年が終わったような錯覚になる。
鬼が後ろで笑っているように感じましたね。

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三十数年前は楚楚としていた??

2013年10月28日 05時24分13秒 | 洛外・食
ここは、大阪市内の靫(うつぼ)公園。
ずいぶん変な名前ですね。
昔、このあたりが海でウツボが群れをなして生息していた。
そしてこの界隈に漁師やウツボ料理専門店がいっぱいあった。
ウツボの刺身(姿造り)、唐揚げ、天ぷら、丸焼き、煮物、ウツボご飯、デザートでは、ウツボのババロア、お酒もあった「ウツボ酒」、お土産のウツボチップ・・・なんかを食べさせていた。なんてのはフィクションです。
ただし、料理は、ある地方で実際に京男は食べております。(笑)
ウツボ酒の匂いはいまでもわすれられません。おそろしく生臭い匂いだった。



名前の由来は、豊臣秀吉さんらしい。
豊臣秀吉が大坂市中の巡視をしたとき魚売り商人が市売りで「やすー、やすー」「やすい、やすい」と叫んでいるのに巡り合いました。
このとき秀吉は、魚の入れたビク(魚篭)を見て、「やすー、やすー」のという呼び声を、矢を盛って背中に背負う用具である「靱」を「矢の素」として売っているのだと思ってしまいます。
そこで秀吉は、「矢の巣とは靱のことだろう」と言ったところ、商人らがこれを上意と受けとめてしまい、一帯を靱町と名付けたそうです。
まあ、実際にその場にいたわけではないのでよくわかりませんけど。



話しが違うところに行きそう。
元にもどします。
靫公園に来た目的は、作品を展示している作家さんと会うためでした。


↑豚ツラミ肉の煮こごりテリーヌ

この靫公園まで来るのは、京男にとって大冒険でしたね。
自宅からタクシーに乗り、京阪七条駅へ、そこから京阪電車に乗り淀屋橋へ。
淀屋橋で御堂筋線に乗り換え、地下鉄四ツ橋線の本町駅まで行くのです。
問題は、行くルートです。
理屈では、地下鉄御堂筋線に乗り、次の本町で下車し、四ツ橋線の本町駅に移動すればいいのです。ただ、その距離なんです。かなりの道のり。
大阪の方に聞くと地下鉄御堂筋線で大国町まで行き、地下鉄四ツ橋線に乗り換え、四ツ橋線の本町駅にいくのが実践的とおっしゃる。
実際、乗り換えてみてわかりませした。
アドバイスをありがとうございました。


↑田舎風お肉のパテ

問題は、もう一つあります。
エレベーターを探しながらの移動なんです。
乗り換える際にも必要だし、地上に出る時も必要。
階段をあがるわけにはまいりません。
いつも乗り換える駅ならわかるのですが、はじめての駅となると大変。
地上に出る時も間違えると地上にでてからまた歩かないといけない。
まあ、ものは考えようでいい筋肉トレーニングになります。
地下鉄の御堂筋線は、いつ乗っても混んでいるので座れないのがちょっとネックですね。席を譲ってもらえないの?といわれそうだけど、京男の場合、あまり同情されない雰囲気を漂わせているからしかたないのですよ。
やっぱり病院から借りた木製の昔ながらの松葉杖で移動するのがいいのかな・・・。
でもあの松葉杖で移動するのは大変だからできません。


↑牛赤身ランプ肉のステーキ、赤ワインソース

靫公園で彫刻の作家さんと一時間ぐらい話しておりました。
お昼になったので、予約してあった羽山料理店に移動。
久しぶりです。前回は、2010年10月30日でした。
ひょっとしてその時の食事が最後の晩餐になった可能性もあったのです。
今回は、最後のランチにならないか・・・なんて心配は京男の場合は考えません。
懲りないタイプなんですよ。
時間的に今回ランチで、作家さんと楽しく会話しながらランチをいただきました。


↑あさぎり緑茶のプチポ(プリン)

作家さんと最初に出会ったのは、京男が23歳ぐらいの時だった。
その頃は、楚楚とした大人しい感じの青年だったらしい。
「いまもやろ!」と思わず言ってしまいましたけど。
いつからこんなになってしもたんやろ・・・。



※ステッキ&アンブレラ・ホルダーを使ってみました。
京阪電車の特急に乗った時、杖の扱いがこまっておりました。
このステッキ&アンブレラ・ホルダーはかなり有効ですね。
もちろんセミナーの時、杖を置く場合も役に立ちました。

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タクシー用サングラス??

2013年10月27日 06時29分47秒 | モノ

↑改造前の状態

京男は、あまりよる出歩きません。
門限が厳しいので・・・ということでもないけど。
家に帰る時は、大抵タクシーに乗ることが多い。
明るい時は、歩いて登る場合もあるみはありますが。


↑仕上がった偏向サングラス(度数無し)

日が暮れるとタクシーが拾い難い。
ヘッドライトで空車かどうか見えない。
最近のヘッドライトの仕様なのかもしれないけど、あのブルーがかったライトが妙に眩しい。
市内を走る車はあそこまで明るく道路を照らす必要はないように思う。
反対車線や車高の低い車は、眩しくて人が横断歩道以外のところで渡っても見えないかも。


↑お気に入りの形の眼鏡。古い時代のドラマに登場する眼鏡です。ノーズパッドがないタイプ。眼鏡を鼻筋の骨で支える。

このことが気になっていて、眼科の外来に行った時、ドクターに相談した。
ドクターが言うには「白内障で光りが乱反射して眩しいのです」とのこと。
ほんまかいな。
黄色い系のヘッドライトは眩しくないんやけど・・・。
そんなことを思いつつ「どないしたらよろしいねん」と聞きました。
ドクターは「偏向眼鏡をしたらいいですよ」とのこと。
「偏向眼鏡?あの水面がスケスケになる眼鏡?」(こう聞く京男の頭の中では、小学校をでたところで、露天商のおっさんが「なんでも透けるレンズ」というのを売っていた。卵を透かすと中身が見えると子供を騙して売っているオッサンの口上が浮かんでいた。これがあればなんでも透けまっせ!」と)
ドクターは、続けて「偏光眼鏡は乱反射を防ぐから眩しくならないのです」と。


↑合体させるとこうなります。簡単に外せます。

病院からの帰り、いつもの眼鏡研究社に行く。
眼科のドクターより眼鏡研究社のおじさんの方が信用できる。
おじさん曰く「偏向レンズでもある程度眩しいですよ。ある程度濃度をつけないとね」
ということは、眼鏡用のサングラスが2セットあるのです。
その内、最近あまり使っていない黄色を外し、偏向レンズにすることにした。
おじさんは「黄色のガラスはなにに使っていたの?」と質問。
黄色は、視野が明るくなり、もののシルエットがハッキリ見えるのです。
アーティリーをする時、ターゲットをしっかり見るために使っていたと答える。
余談ですが、この黄色のガラスを通して夜桜を見たことがある。
その時の桜は円山公園の桜でした。
形が気持ち悪くみえました。


↑カメラの偏光フィルタと基本的に同じ

さて、できるだけ色が薄くて偏向効果のあるガラスで作りました。
まだ、使っていません。
どうなるか楽しみ。


↑顔を傾けると偏向の度合いが変わります

でも一つ問題がある。
夜にこの眼鏡+偏向サングラスをしてタクシーの空車を認識できて拾うことになる時、タクシーが止まってくれるか問題かも。
夜にサングラスをしている人ですよ。
認識してすぐにこのサングラスの部分を外せば問題ないか。
足元が暗くて歩き難いだろうしね。


↑さて実力はどうかな?

今日の記事とは関係ないけど、京女とタクシーを拾おうと待っていた時、タクシーが来た。京女が手を挙げようとしてよく見ると「タクケテください」という表示だった。後ろの席にサリーマン風の客が二人乗っていた。
なんだったのかな・・・。その日のニュースを見たけど事件はなかった。
不思議だった。あれ一人だったら自分を疑いますよね。

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雨でしたね

2013年10月26日 06時06分10秒 | 風景・和菓子

↑雨の写真を撮ろうと窓をあけたら、カラスが止まっていた。鳴きもせずジッと雨の中止まっていた。諦めの境地かも。このカットを撮った直後スッといなくなった。

昨日京都市内は、多少雨がキツかったけど、18号の時のような感じではなかった。
テレビを観ていないのでなんとも言えませんけど。
本日は、大阪に行きます。
もちろん傘は持っていきません。
晴れるんだと思います。
よかった。
雨が降ったらどうしようもないし。


↑昨日はこの屋根が綺麗に見えた

テレビのニュースが異常なほど騒ぎますね。
頭の「羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)」という言葉が浮かびました。
意味は、熱い吸い物を飲んでやけどをしたのに懲りて、冷たい膾も吹いてさまそうとする意味。
備える必要はないとは言いませんが、めったやたらに「危ない、危ない」と言うとダンダン危険な警報に対して神経が麻痺してしまうように思います。


↑一番雨がキツかった時の写真

自分で天気図を見てどうなるか判断したらいいと思う。
ジェット気流の蛇行状態も教えてほしいな。スピードも。
測定できていないのかな・・・。
そのデータと台風の状態をスーパーコンピュータで計算したら出てこないかな・・・動く予測。お安くない予算で作っただろうに。
自分の直観の方が信頼できるように思います。
現に今日は晴れるとずっと思っていたんだけどな・・・。
だから二週間前にランチを予約して置いた。
その予約はキャンセルしようと思ったことは一度もなかったしね。
さてどんな一日になるかな?
少なくとも空気は綺麗そう。


↑雨に負けるな金木犀

これだけでは、ちょっと色気がないので生菓子をどうぞ。


↑長久堂「姫橘」


↑外郎、白あん(金柑一粒)
この生菓子の面白いところは、金柑が一個入っていること。

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土力&十万

2013年10月25日 05時19分15秒 | 社寺


東福寺の写真が残っていました。
ここは、東福寺の塔頭「同聚院(どうじゅいん どうしゅういん)」。
東福寺というと禅寺なのに、ここは密教的な雰囲気ですね。
本尊が不動明王が祀ってある。



門の所に「土力不動明王」と書いてあります。
「土+力」とも「十+万」とも読める単純だけど作字しなければならない文字ですね。
読みは「土力(どりき)」「十万(じゅうまん)」と読む。





「土力」の場合は、土の力=産土を表し、土地を守護する仏という意味。
「十万」の場合は、この不動明王は他と違って常に十万の一族・従者を従えているという意味。
不思議ですね。
文字のパワーみたいなものを感じませんか?


↑水掛不動さん。
「藤よ志」に奉公に上った晩やった。「早う立派な板場はんになりいや」ゆうて、長い事水掛不動さんにお願いしてくれはりましたなァ。あの晩から私(わて)は、私(わて)は、こいさんが、好きになりました。腕をみがいて 浪花に戻りゃ~♪その水掛不動さんは、大阪だす。


↑眷属の龍神さんかな・・・。

お寺の説明によると、毎年二月二日に、方寸の紙に「じゅう(「十」の下に「万」の一字)」の字を書いた屋守護(やさご)の符が加持して参拝者に配布されています。この神符を門戸に貼れば、その家は火災や諸難を逃れ、福徳円満で子孫繁栄に恵まれると信仰されています。
憶えていたら授けてもらいに行こうかな。
節分の行事はちょっと飽きてきたしね。


↑○の部分で護摩木を焚くのかな?

よく「努力しましょう」なんて言葉がありますね。
本当は「土力しましょう」という方がいいのかもしれません。
いかがでしょう。

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ガンバルヤツ、ガンバラナイヤツ

2013年10月24日 04時37分43秒 | モノ
これは、現在使用しているメインのPCのデスクトップ。
右隅にあるのは、ハードディスク。
上から「起動ディスク」「Time Machineという自動的に起動ディスクの変更データのバックアップを取るシステム用の1テラの外付HD」「2テラの外付HD」これだけの構成です。
「2テラの外付HD」は起動ディスクとして使えるようにOSをインストールしてあります。
このメインの他に1テラ内蔵のPCがあり、それにも1テラの外付HDが繋がっている。それも「Time Machine」「OS」が完備。
外出用のMacBook Airもあります。それにも「1テラのHD」と「Time Machine」「OS」が完備。
他に本当に重要なデータを定期的にUSBメモリ32ギガに収納しております。
仕事で使うというのは、大変でしょ。



京男がPCを始めたのが1990年だった。
もちろんインターネットなんてのは、存在しなかった。
23年前ですよ!
あらゆるトラブルに遭遇しました。
結論は「諸行無常・・・形あるものは必ず壊れる」
それに備えるのは、バックアップのみ。
最近は、クラウドという考え方もあるけど、あまり信用できない。
HDの容量とコスト、メモリのコストは安く巨大化しました。
でもよく壊れます。


↑到着した2テラのHD

事の始まりは、上から2番目の1テラのハードディスクがシステムを起動してもディスクトップ上に現れないこと。しかもカチカチ・・・という音がする。
こんなことで諦めてはいけない。
「出てこい!!」と念じながら、HDのスイッチをオフ・オンとしてみると、出てくるではないか。
昔、MOやフロッピーが表示されない時、両手で挟んで「治れ!」と気合いをかけると表示されるということが多々ありました。
それと同じです。
そういえば、あるパーティ会場でお会いしたおばさまが故障した洗濯機を抱きしめて治すというのを話されていた。それで19年も使っているらしい。でも今回は、抱きついても治らない。どうしたらいいでしょう?と話された。
そこで「素っ裸でやるといい。静電気が問題」などと言ってしまった。その後、どうされたか怖くて聞けません。
昔、PCのメモリを増設する時、静電気が問題だからシャワーを浴びて、素っ裸で増設すると静電気にやられないという話しが頭にあったのかな・・・。
それともその洗濯機がオス?だったとか。きっと横型ドラムの洗濯機はメスだと思う。その場合は、おっさんが素っ裸で・・・(すんませんアホな話しになってしまった)


↑FireWire 400→800 接続用コネクタ

それでこうやって出たのはいいですが、信頼できませんよね。
キットカットに電話して、いつもの担当に事情を話し、この機種は今もあるかと質問。FireWireの400が無くなっているそうです。もう・・・。
400→800の接続用コネクタで対応しないといけない。なんのことかわからない人もあられると思う。読みとばしてください。
ついでに2テラのHDを発注。それをパーディションを作って使えば便利。
まあ、壊れたらそれでおしまいですけど。


↑最終的にこうなった。すごい構成。これでもデータが失われる時は失われる。諦観(ていかん)というやつかいな。

以上を電話だけで発注。
住所とかは登録してあるので、代引きだ送ってもらえばそれでいい。
ネットで注文できるのですが、電話で質問することが多いですね。
店頭在庫があれば次の日に到着します。



ここから、自然の話題。
「金木犀の再チャレンジ!」
窓の外の金木犀をみてビックリしました。
なんと花の蕾があるではないですか。
今年は、匂いを発することもなく蕾のまま散ったのです。
あの香りが楽しめないのか・・・とがっかりしていた。



でも、写真のように蕾ができているではありませんか。
これはすごい。
金木犀も悔しかったのでしょうね。
願わくば台風で蕾が落ちませんように。
金木犀君の顔晴りに拍手!
そういえば週末台風が来そうですね。
大阪に行く予定。
根拠がないけど、行ける気がするのです。
しかも傘無しで。
気象庁のスパコンで計算できないらしい。
大阪方面に限っていえば、行けるように思うのです。
だからスケジュールはそのままにして起きます。
さて、どうなるか?晴男の力はいかほどのものか?
スパコンより京男の直観の方が確かなのか?

和菓子
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歯科に行った建物の気持ち??

2013年10月23日 05時36分12秒 | 和菓子


昨日は、マンションの配管を新しくするという工事をした。
聴覚が敏感なのか、工事をするドリルの音がとても気持ち悪かった。
歯科で歯を削られるような感じになる。
部屋にいても落ち着かない。
ノイズキャンセルのイヤフォンを使うと音は消えるのですが、床から伝わってくる振動がなんともいえない。
部屋を出て留守にする訳にもいかないしね。
建物の気持ちというのがあるのなら、こんな感じなのかな・・・。
不思議な感じでした。



さて本日は、生菓子です。
撮影していて、綺麗と感じた。
一番目の写真がそれです。



実物を見てそれほど感じなかったんやけど。
ちょっと食べて、甘さにビックリしたけど。
意匠によって砂糖やみじん粉、求肥の配合が変わるのでしょう。
木型を使う場合や使わない場合によって配合を調整するのでしょうね。


↑総本家駿河屋「大輪」


↑煉切、白あん

小さい頃は、このタイプの生菓子は嫌いでした。
昔は、もっともっと甘かったように思います。
色も毒々しかったかも。
小さい時は、そういう毒々しい色が苦手でした。
白あんや粒あんも苦手だったし。
でも当時、いまのようにいろいろなお菓子なんて売ってなかった。
お菓子と言えば、「泉屋」のクッキー・・・浮き輪のような形が好きだった。ただしアンゼリカは嫌いでのけていた。かわみち屋のそばぼうろ。あとは紅白や黄白の上用饅頭。お嫁さんのおまん(誤解のないように!結婚後の挨拶回りに持参する大きな上用饅頭のこと)。時々土産でもらう「あみだ池大黒」の粟おこしつらいだったかな。
誕生日なんかの不二家のショートケーキは憧れだった。
でもバターケーキは、いややった。細工のバラの花や大きな仁丹みたいなヤツ(アラザンのこと)や蕗(アンゼリカ のこと)もイヤやった。
そうそうプリンロイヤルサンデーやバナナサンデーにのっていたプルーンが嫌いやったな。

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本堂を譲渡、移築?

2013年10月22日 05時20分19秒 | 社寺


まだ、智積院の写真が残っていました。
ここは、智積院の「明王殿」。


↑智積院明王道

説明を引用します。
明王殿は、昭和22年(1947)の火災により本堂が焼失した際に、本堂再建のため、京都四条寺町にある浄土宗の名刹、大雲院の本堂の譲渡を受け、現在の講堂のある場所に移築した建物です。
その後、平成2年(1990)12月に、講堂再建にともなって現在の場所に移築されております。
ご本尊は不動明王様で、明王殿は不動堂とも呼ばれます。



大雲院といえば、1972年(昭和47年)に高島屋増設で祇園に引っ越ししたお寺だ。
その時にお堂を持ってきたということになる。
最初は、1587年(天正15年)貞安が織田信長とその子信忠の菩提を弔うため烏丸二条に創建したのに始まった。後に豊臣秀吉が京都改造で四条寺町に引っ越し、1972年(昭和47年)に高島屋によって引っ越しですか。
なんか時の権力者に振り回された感じがしますね。



大雲院は、浄土宗系単立寺院。智積院は真言宗智山派総本山なんだけど、宗派とか関係ないのかな・・・すごいことです。



昔のお寺は、何回も火事にあっていますね。
京都は、寺院同士のいがみ合い、戦乱等で何回も焼けている。
いつか清水寺の森貫主が「昔、(比叡山の)延暦寺の僧兵に襲われ清水寺が燃えた。でも今は怨んでいません」と話されていたな。
その延暦寺も織田信長に燃やされた。



本堂の引っ越しってどんなだったのだろう・・・。

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京の大仏、不幸物語

2013年10月21日 05時30分53秒 | 風景
今から420年ぐらい前に京の都に大仏がありました。
計画したのは、豊臣秀吉。
目立ちたがりだったのでしょう。自分の権力を誇示するために奈良みたいな大仏を京でもつくってやろうと思われたのでしょうね。
すぐに実行するのがすごいところです。


↑東大路通から豊国神社へ抜ける猫道に抜けるまでの住宅地にある

場所は、現在の京都市東山区の方広寺。方広寺と行っても現在の広さでない。
境内が、豊国神社、京都国立博物館、妙法院、智積院そして三十三間堂がすっぽり入る大きさ!
そこに大仏殿をつくろうというもの。
大仏殿は、現在の豊国神社のあたりにありました。
本日の写真は、豊国神社の東側にある「大仏殿跡緑地」の写真です。


↑人の気配はあまりない

事の始まりは、1586年(天正14年)に奈良の東大寺の倣って大仏をつくったろうと思わはった。実際にやるのが凄い。
1595年(文禄4年)大仏殿がほぼ完成、高さ約19メートルの木製金漆塗坐像大仏が安置された。
ところが1596年(慶長元年)に起こった大地震※で、開眼前の大仏は倒壊した。
秀吉は、このことで「おのれの身さえ守れないのか」と激怒し、大仏の眉間に矢を放ったという話しもある。伏見城の天守閣も落ちたし、よほど腹が立ったのでしょうね。
1598年(慶長3年)に秀吉は法要を待たずに死去し、同年、大仏の無い大仏殿で開眼法要が行われた。
※慶長伏見地震/1596年9月5日、近畿地方をおそった地震。M 7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされる。慶長伊予地震(1596年9月1日)と慶長豊後地震(大分地震1596年9月4日)の二つの地震に誘発されて発生した可能性がある。こういう慶長地震のようなこともあるので京都市も防災の計画をしっかり立てておかないといけませんね。もちろん賢明な知事市長をはじめ優秀な防災スタッフ、学識経験者さんたちがおられるから心配はないと思います。


↑現在にあったら観光スポットになるでしょうね

秀吉の子豊臣秀頼が遺志を継ぎ、片桐且元を中心に今度は銅製で大仏の再建を行ったが、1602年(慶長7年)11月、鋳物師の過失により仏像が融解して出火し、大仏殿は炎上した。 これには、「放火による1604年(慶長9年)の焼失」とする異説もある。



これでも懲りずに1608年(慶長13年)10月には再び大仏および大仏殿の再建が企図された。大仏殿の創建は1610年(慶長15年)から行われ、徳川家康も諸大名に負担その他を命じ、自身も米の供与や大工・中井正清を送っている。6月には地鎮祭が行われ、大仏殿と銅製の大仏は1612年(慶長17年)に完成した。


↑立派な建物だった

1614年(慶長19年)には4月、梵鐘が完成し、南禅寺の禅僧文英清韓に命じて銘文を起草させ落慶法要を行おうとしたところ、7月には梵鐘の銘文について徳川家康より「不吉な語句がある」とのいちゃもんをつけられ、法要中止の求めがあった。これが、豊臣家と徳川の争いに発展した、世に言う「方広寺鐘銘事件」です。
これが元で戦争が起き、豊臣家は滅んでしまったのかも。



その後の大仏は、どうなったのか?
1662年(寛文2年)の地震で大仏は小破し、木造で造り直されることになった。壊れた大仏の銅は寛永通宝の鋳造に使われてしもた・・・。



1798年(寛政10年)の7月には大仏殿に雷が落ち、本堂・楼門が焼け、木造の大仏も灰燼(かいじん)に帰した。つまり灰や燃え殻になった。


↑奥が豊国神社

昔の子供が遊んだ鬼あそび唄が歌われた
「京の 京の 大仏さんは 天火で焼けてなァ 三十三間堂が焼け残った ありァ ドンドンドン こりァ ドンドンドン 後ろの正面 どなた (当たったとき) よう指いた (当たらなかったとき)違いました 違いました 松のかげ」

京には大仏は定着しなかったね。
豊臣家には、土地の神霊的な流れを観るスタッフがいなかったのかも。
当時の宮中にはいたのかもしれないけど、当時の成り上がり者の秀吉にイケズをして教えなかったのかも。
家康には、そういうスタッフがいたのだと思う。京から離れた江戸で幕府を開く土地を江戸に定め、一から都市をつくった。
京というのは怖い都市なのかも。
これだけ変な現象が続いたら土地の問題があると気付かないのかなぁ。前にあった施設、お寺や墓、井戸、池を無茶な方法で整地したことを疑わないといけないのに。いまの人間よりエネルギーの流れに敏感だった筈なんだけどなぁ。


↑東から方広寺へ抜ける猫道。向こうに見えるのが鐘楼。

補足/散髪に行った時に行ったりする郵便局は「大仏前郵便局」、「大仏前交番」、「正面通」という東西の通りがあるのですが、この「正面」も大仏殿の正面という意味。住所で「東山区南門通大和大路東入新瓦町」という町名もある。正面通のところに戦前(応仁の乱ではなく太平洋戦争)に「大仏餅」という看板を掲げた和菓子屋さんがあったらしい。本町通のところかな・・・散髪屋のご主人に聞いてみようっと。

和菓子
中村 肇
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↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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転ばぬ先のホルダー

2013年10月20日 07時44分59秒 | モノ

↑こんな製品見たことないでしょ

街を歩いていて困ることがあります。
主に支払の時です。
財布を忘れたり、お金が入っていないというトラブルもありますが、普通に困ることは、レジで杖が倒れること。
財布を取り出して支払う時、杖を上腕につけたままという訳にはいきません。
レジのカウンター、ATMなんかの場合もそうです。
しかも杖が2本あると倒れるリスクが2倍になる。
杖が倒れた時、拾うとなると大変な作業になります。


↑杖が倒れないためのホルダー


↑シルバーの部分は、赤・ブルー・黄色でライトを反射するモノもあります。黒い部分はシリコン。

ステッキ&アンブレラ・ホルダー」というのを見つけました。
スエーデン製です。
本体は、シリコンゴムでつくってある。
これを必要に応じて杖につけておくと倒れない。
これはよくできています。
突起がシリコンゴムなので残念ながら武器にはなりません。


↑こういう風につけます。杖にピッタリ付いてくれる。

些細なことで快適になります。
そういえば以前、京女のお母さんにプレゼントしたことがあった。
もちろん普通の杖用の小さいサイズで1個でした。
まさか自分で使うとは・・・。


↑杖に当たる部分はシリコンなので杖に傷が付いたりしません


↑裏側はこんな感じです。

装着は簡単に、しかもしっかり着きます。
必要でない時は、簡単に外せるのもポイントが高い。
つけたままでも、さほど邪魔にならない。
でもちょっと不細工なシルエットになるかな。


↑長い方がこんな感じ


↑短い方がこんな感じ

こういうものを見ていると日本はまだ遅れているのかな・・・と思います。
技術力はあるでしょうが、考え方やデザイン面で劣っている。
もっと使う人が楽しくなるようなモノづくりをしないといけない。
もちろん作っている人も楽しくなるようなデザインでないといけない。
結果的に世の中に拡がり、喜んでもらってなおかつ儲からないといけない。


↑机には長い方でこのようにぶら下がります。机との高さはホルダーをつける位置で調整。

デザイナーだけにやらせておくと奇抜さばかりを追求する。
「用の美」になっていないものが多い。
普通の杖だって、すごい種類の杖が市中に出回っている。
でも欲しくなるような杖にいまだにであわない。
介護をうける人や老人を軽くみているのかも。
また、予算ビジネスでコストはあまりかけたらいけないという原価意識も働いているようだ。
思わず使って家の外に出たくなるようなデザインのものが少ないように思う。
「杖なんだから、こんなレベルでいいでしょ!」とハッキリ言わないけど、モノがそういっている。


↑イスの背もたれには、このように短い方で対応。

この「ステッキ&アンブレラ・ホルダー」をまだ実践の場で使っていないのでなんとも言えないけど、現時点ではいいものだと思います。

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不思議な現象

2013年10月19日 05時35分40秒 | 風景
昨日は、京男の病院デーだった。
涼しいので快適に歩いて行ける。
うれしいなぁ~。


↑病人には見えないかも。修理に来ているだけ。

昨日は眼科。
視力を詳しく検査された。
検査の下の行は見えないけれど「わかる」のですよ。
自分ででもだんだんわからなくなってきる。
技師のお兄さんが平仮名を指した。
京男の答えは「読めません!」。
技師のお兄さんは次に行こうとするので、再度「読めません。私は読字障害なんです!」と言いました。
カタカナとひらがなというシンプルのな文字が困るのです。


↑この待ち時間ハードでしょ。食べもの屋なら絶対帰っている時間だ。

乱視の検査になるともっと混乱してしまうのです。
「どこか太く見えるところはないですか?」と技師のお兄さん。
咄嗟に小さな文字を読んでしまった。
「2と8を結ぶラインが一本線に見える」と。
心の中の人物がツッコム「小さな数字が読めとる!」と。
これを左右二回ずつぐらいやってしまった。
お兄さんは気付かなかった。


↑鐘園亭 泉涌寺店「鶏甘酢定食」

検査なんかをしながら待つこと1時間15分やっと診察室に呼ばれる。
「先生こんにちは~」から話しが始まる。
ひょっとして視力のデータが無茶苦茶だったかも。
最近、夜タクシーを拾う時、ヘッドライトが眩しくて空車かどうかわからないのでそのことを相談。ドクターは白内障で光りが乱反射するからでしょうとのこと。
黄色い光のヘッドライトはさほど眩しくないのですがとも言う。
でもドクターは乱反射だとおっしゃる。
「手術意外の対処方は?」と聞くと、偏光レンズのサングラスがいいとのこと。
ほんまかいな。確かにカメラでも変更フィルタはある。持っているので効果もしっている。それで眩しくならない・・・。
昨日最終的に眼鏡研究社に行き、偏光レンズについて聞く。どうやら偏向レンズで眩しさは解消できないようです。やっぱり。


↑甘酸っぱいものが食べたかった

診察を終え、処方された目薬を薬局で受け取り、食事をする。
いつもの中華料理店です。
今回は、鶏甘酢定食。
「今日は、早いね」とお店のオバサン。
いつもランチ終わるギリギリに跳びこんでくるからそう言ったのだ。


↑丸い土塀というのがかわいい

食べ終わって、腹ごなしに東福寺の入り口近辺を散策。
来月は、ここも観光客でいっぱいになるのだろうな。
昨日はこんな感じでした。
こういう静かな東福寺の方が好きだな。


↑ここもまだ静か。向こうの建物が通天橋。

タイトルのことを書いていない。
実は、昨日病院と百貨店のスポーツ用品、地下食料品で不思議なことを言われた。
みなさん「かわいい」というのです。
「はぁ?」でしょ。ジェントルマンをつかまえて「かわいい」ですよ。
夕方、京女と同じデパ地下で買い物をしていた。
見知らぬ店員さんが「いつもありがとうございます」とニコニコしながら言った。
別にほっぺたにご飯粒をつけていたという訳じゃないです。
もうひとつの現象、京女とタクシーに乗る「馬町を東に」と言う。
マンションの近くまでくると「あそこの駐車場に入ればいいのですね」と運転手さんが言った。
同じタクシーに乗ることが多くなってきたのです。


↑臥雲橋

どっどういうこと??
不思議な現象だと思いませんか。

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カイダンそしてカイダン

2013年10月18日 05時21分58秒 | 社寺

↑金堂側面。色が気に入っている。

昨日に引き続き智積院境内風景。
智積院は隅から隅まで歩くと結構な広さ。
いい訓練になります。
しかも階段や石畳の連続。
そこをかなりのスピードで歩く歩く。


↑大師堂に行くための階段

いまの時期は、人影がほとんどない。
しずかなのいい。
さすがに蚊もすくない。


↑大師堂。真言宗開祖、弘法大師空海の像を安置。

さすがに空海さん関係の像とかお堂が多い。


↑密厳堂への階段



階段をあがるとまた別の空間が拡がっている。
ひとつひとつ由来のありそうな建物が並んでいます。


↑密厳堂。真言宗中興の祖、興教大師覚鑁の像を安置。


↑求聞持堂。本尊は虚空蔵菩薩。

求聞持(ぐもんじ)ということで思い出した。
弘法大師空海が19歳の時、室戸岬の洞窟でやった「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」と関係あるのだろうか。虚空蔵菩薩を祀ってあるだけかもしれません。
空海が学ぶため必死にやっていたそうです。そして悟りを開いたとか。
余談ですが、私が脳出血を起こし「読字障害」になった時、病院で密かにやっていたのが「虚空蔵求聞持法」のマントラを唱えることでした。もちろん、心の中でですが。
「ナム アカシャ ガルバヤ オーン アリ カーマリ ムリスバハァー」
「我、虚空蔵菩薩と一体となり、一切の文木を暗記す」
あの時は、他にすることがなかったから病室でゆっていたことを思い出します。
立禅も朝4時ぐらいから起きて30分ぐらいやっておりました。
夜が明けると小学校低学年レベルのリハビリが待っていました。
いまでも読むのは時間がかかります。でも内容はわかるのです。
そんな不思議なことがあるのですよ。


↑南へ降りる


↑西に降りる

ここは、昇り下りで結構いい運動になりますね。
また、来ようっと。

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ほんまに秋やろな・・・

2013年10月17日 05時34分05秒 | 社寺

↑いつも通る道


↑いつも挨拶するお地蔵さん

急に夕方から冷たい風が吹いてきた。
散髪いったからだけではなく、北風が吹いているからやね。
ここ二日間ジッとしていたので散髪をかねて下山。


↑もう秋の雰囲気がする

智積院に行ってみました。
南方面に行く時は必ず境内を通って行くのです。
東大路通り沿いの歩道を通るよりずっと気分がいい。


↑書院、お庭拝観入り口

すれ違う坊さんたちと挨拶をしながら進みます。
この智積院、結構境内が広い。
昨日かなり歩きました。
階段も結構昇り下りしました。
二段飛ばしに登る練習をしていました。
こんなことしていいのかな・・・。
整形外科の主治医が見たらビックリかも。


↑金堂です(コンドーデス/あかるかな・・・)

普通の人とほとんど同じスピードで昇り下りするのですよ。
しかもフラットな階段じゃない。
できるだけ足下を見ないで、思いっきり登っていく。
身体は、なんともないけど、杖の石突きのゴムに負担をかけるかも。
石突きやグリップは交換したらいいのですから。




↑大きな五鈷杵(ごこしょ)や~。触ってみたい。


↑やっぱり智拳印やね。九字でいうたら「裂(れつ)」

先週グリップの改良をしたからかなりグリップ力がでている。
境内でなにをしているんだ・・・。
調子にのって転けないようにしないとね。
手首とか肩とかに負担がかかっているかもしれないな。
いまのところなんの筋肉痛も起きていない。
まあ、数日後、筋肉が痛み出すかもね。(笑)



歩いていると植木の手入れをされているおばさんが「こんにちは~」と言いながら近づいてきた。サインとかいっしょに写真は事務所を通してもらわないと・・・。
「お庭を見学しました?」とのこと。
「??」と京男。
「失礼だけど、手帳をお持ちなのでは?もし持ちなら無料で拝観できますよ。私が言うのもなんですが、いいお庭です。長谷川等伯の絵も見られるし」とのこと。
「ありがとうございます。ただ今日はこれから所用があるので後日またきます」と京男。
そこで気が付いた。
財布を忘れていているじゃん!!ガーン!!
またやった。
この間もそうだ。
どうしたらんだ。いままでそんなことなかったのに・・・。
財布はなくても現金はあるので別に問題はないけど、手帳はない。
おばさんのお陰で気づきました。
ほんまにありがとうございます。
次回は、ゆっくり見にきます。

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