大河小説の最終巻。小暮家、悠太も年齢を重ね、周囲の人々もみな少しづつ年をとっていく。この巻でも、家族、縁者が大きな事件に巻き込まれる。息子の悠助が、地下鉄サリン事件に、そして阪神淡路大震災があり、娘夏香が嫁いだ綿貫家のご両親が被災し、死亡。悠太はそれを弔い、震災後の医療活動に一時期、専念することになる。1995年のことだ。
悠太は軽井沢に拠点をかまえ、その後は、執筆活動を続ける。妻の千束も軽井沢と東京を行き来し、音楽活動。彼女は悠助にコンクールに優勝するほどの大きな期待をかけていたが、サリン事件の後遺症で満足の行く演奏ができなくなる。
従兄脇晋助の親友であり、悠太が医学生だった頃に世話になった村瀬先生、かつてセツルメント活動をしていたころに付き合いのあった明夫。菜々子夫妻、オッコの夫君であるピエールなどが、軽井沢に集い、旧交をあたためつつ、人生最後の生活を愉しむ。
最後は、妻千束が湯船のなかで、クモ膜下の症状が出て、なかば溺死。妻の最期をみとる。小説の終わりは、子どもの悠助・夏香、火之子、明夫、村瀬先生、ピエール、海の底の桜子、天国の千束への遺言で閉められている(完)。
5巻に及ぶ大作だったが、評価の難しい小説だ。フィクションをまじえつつ、自伝的でもある。実際にいなかった人物が登場している部分がフィクションということになるのだろうが、そこには著者の独自の想いが投影されているはずだ。そう読めば、この小説は完全に私小説ということになる。自身の歴史をしっかり書き込みたかったのだろう。とすると、「雲の都=東京」の歴史の部分は描かれていないとはいえないが、影が薄い。
小説の構成としても、統一感が乏しい。2巻では、医学部の学生の授業内容、研究環境が、また東京拘置所での囚人聞き取り調査の仕事内容、患者との心の交流が、読者にとってややわずらわしいほど詳細に書かれているかと思うと、この巻では、突然、日記スタイルで経緯が綴られたり、そして最後は数通の遺書がポンと投げ出されるかのように披歴され、完となっているのである。