あなたの本の世界を変えましょう!

板宿の書店主から見た、本・まち・環境を語ります!

Pot with the Hole(ポット ウィズ ザ ホール)穴のあいた桶(おけ)

2015-12-31 12:11:45 | 

 今年の大晦日、最後の投稿となりました。この本、『Pot with the Hole(ポット ウィズ ザ ホール)穴のあいた桶(おけ)』はどんな存在にも意味があることを教えてくれます。

 書名の「穴のあいた桶(おけ)」のお話から始まります。

 山の上に住んでいる庭師は、谷底の川まで水を桶に汲み、家の庭の散水に使っていました。山へ登っている途中で、足を滑らせて、たった一つしかない桶に小さな穴をあけてしまいました。その穴のあいた桶に、他人の桶が「お前は役に立たない」と告げます。山への途中に半分ほどこぼれてしまうからです。穴のあいた桶は庭師に「私は悲しい」と嘆きます。しかし、庭師は穴のあいた桶にも存在意義があることを教えます。詳細は本書に譲ります。

 誰しも他と比較することで劣等感をおぼえ、不幸せだと思います。しかし、この世に生まれてきた人もモノも、意味なく誕生したのではありません。たとえ、人が病気やけがを、モノが欠陥品となろうと、何の役にも立たない訳ではありません。一義的な視点から見るのではなく、もう一つの見地から考察すると意味ある存在になります。つまりは、「ここにいま」あることが有意義なことになるのです。

 著者のプレム・ラワットさんはお父さんの後継者として、8歳の時から講演活動を行っています。普遍的なメッセージは全世界の人に届きます。

『Pot with the Hole(ポット ウィズ ザ ホール)穴のあいた桶(おけ)』(プレム・ラワット著、文屋、本体価格1,500円)

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英語の害毒

2015-12-23 17:06:53 | 

  井戸書店で『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』の横に陳列している、『英語の害毒』も英語教育の問題点を提起しています。著者の永井氏はエスキモー語研究の言語学者。自らがアラスカで見聞してきた、エスキモーの人達の自らの言葉を捨てて、英語一辺の生き方に疑問を抱いたことが本書の原点になっています。

  まずは、日本人の英語に対する偏見と英語必要性の環境の変化について。

・グローバル経済の進展と共に、英語習得が必須と現代日本人は考えていますが、一部の大企業が社内での英語公用語化で騒いでいるだけで、他の企業は新卒社会人に対して語学力は重視していない。

・語学能力には「会話言語能力」と「学習言語能力」に二分され、会話主体の教育を受けても、抽象的な内容を伝達・理解できる「学習言語能力」が身に付かなければ、国際人としては役に立たない。

・アメリカの世界での覇権が弱体化している中、将来は英語が国際語の第一から転落するであろう。

・白人英米人のネイティブの英語を話す人は世界ではごく少数であり、会話だけであれば、非ネイティブが主流であり、今後、世界の中心となるアジア英語が本流になる。

・機械翻訳の能力が向上している。

  しかしながら、日本の英語教育が会話中心に移行し、英米語に本腰を入れているのは、英米国の政策によるところが大きく、両国は英語を国際語の筆頭に据えるために様々な戦略で自国への利益、そして、他国民の思考方法を英米国向きにするなどの影響力を維持するのに躍起です。もう既にアメリカの手下の国民に成り下がっているかもしれませんが、英語の習得によって、物事に対する考え方をアメリカ流に曲げる可能性が多くなることを期していると断じています。

 ではどうすればよいか?ここでも重要視されるのは「多様性」。環境問題と同じです。英語は英米語だけでなく、多くの国の人達が話すが、お国訛りの英語でも会話は問題ない。それにビジネスではメールが主流のため、会話力より学習能力が大切になるので、英語教育も従来の教育方法で十分と述べられています。小学校低学年でも英語の授業が行われる予定ですが、母語である日本語も不十分な力しか持たないまま、会話主体の英語を学ぶことで、どっちつかずになる可能性の方が高いのではないでしょうか?国民における母語学習を徹底的にすることこそ本筋だと思います。

『英語の害毒』(永井忠孝著、新潮新書、本体価格720円)

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困難にも感謝する

2015-12-21 15:38:01 | 

 イエローハットの創業者で、「日本を美しくする会」相談役の鍵山秀三郎氏の新刊です。経営者、掃除道、そして人生の先達として、鍵山さんの言葉はどれも重い。人間学を学び、良い人生を望もうとしている自身が読んでも、リトマス試験紙の如く、「おまえはまだまだだ!修業が足らん」と教えてくれます。

 今回の書で一番印象に残ったのは、「過去も変えることができる」という節でした。「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる。」という言葉は知っていましたが、「過去は変えられる」という一文には驚きを感じました。そこには、

 「恨みや憎しみを死ぬまでもち続けるのではなく、自分のなかで浄化する。当たり前と思っていたことに深く感謝する。(中略)たとえ事実は変えることができなくとも、抱いた思いを努力で変えることはできます。」

 つまり、変わることのできる自分の意識が変化すれば、過去の事実に対する思いも変わる。そうすると、その事実は自分にとってプラスに転移するわけです。嫌なことも、そのことがあっただけからこそ、今の自分がある、すべては必然なのですね。

 「他人と過去の事実は変えられない。自分と未来、過去に対する思いは変えられる。」に、今日から変えましょう!

『困難にも感謝する』(鍵山秀三郎著、亀井民治編、PHP研究所、本体価格1,000円)

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英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる

2015-12-14 14:10:53 | 

  小学校で英語の授業が始まっています。学校評議委員として一度拝見しましたが、英語を楽しむ時間でした。日本語をしっかり学んでからの外国語でいいはずと思いますが、グローバル経済、グローバリズムの進行は英語学習の低年齢化を促しています。しかし、それでいいのか?本書ではそのことを明解に切り捨てています。

  中世ヨーロッパにおいて、各国で起こった宗教改革ではラテン語で書かれた聖書の「翻訳」がなされました。各土着語では聖書に書かれている抽象的な語彙は存在せず、土着語でその概念を表現する語彙を創りだし、翻訳は進みました。従来は、ラテン語を理解する宗教関係者や知識人だけが特権階級でありましたが、聖書の翻訳が土着語を「国語」にレベルアップさせることにより、民衆も知的レベルが上昇し、その後に起きる市民革命などの歴史を塗り替えました。すなわち、「翻訳」と「土着化」が近代化の原動力となりました。

  日本においても、明治になり、英語公用語化も叫ばれましたが、土着語である日本語への「翻訳」と西洋学問が日本へ土着することにより、日本の明治維新は成功へと導かれました。

  この論点から考察すれば、グローバル化による英語教育偏重の施策は、中世化への道につながり、英語が駆使できる少数の持てるエリートと、英語の出来ない多数の庶民に分断する方向へ進んでいます。これが書名にある「愚民化」です。

  世界標準の英語による教育ではなく、母語で全ての教科を学べる日本はノーベル賞受賞者を輩出することは、英語を学びつつ、専門教科を英語で学ぶことによる弊害がないことに起因すると世界が認めています。英語の前に母語である日本語をしっかりと学習することが重要です。

  最終章では日本が主張すべき方向性も書かれています。「翻訳」と「土着化」のしくみを全世界へ普遍化させる、すなわち母語で学べる環境を整備し、多様な言語や文化を尊重する「棲み分け型多文化共生世界」の実現こそが、環境問題やテロなどの解決にもつながるでしょう。

『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』(施 光恒著、集英社新書、本体価格760円)

 

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最小限主義。

2015-12-07 15:38:45 | 

  たくさんのモノや情報に囲まれた生活に疑問符を付ける時、断捨離や収納の先にある概念が「ミニマリズム」です。モノを捨て、シンプルに生きると幸せを包含できる。著者の沼畑直樹さんも生活空間から「生活音を減らす」「埃を減らす」などの実践を積まれ、日頃意識しなかった「空」や日の出、夕陽を観る習慣を持つと、本来の人間に戻り、時間的余裕も持つことが出来る。そこには、

 「日本はこれくらいの経済規模でいい。あとは内面を充実させよう。もういいんだ。」

と宣言されています。欲心を捨て、何のために生きているのかを再考すると、自然との対話が開けてくる。「人工の価値観から離れ、自然の価値観に身をゆだねる」ことこそ、自分の人生を生きていくことになるのでしょう。

 来年の流行語になるであろう、「ミニマリズム」、そして、それを実行するミニマリストは知れば知るほど、日本人の精神の根幹に触れていきます。

『最小限主義。』(沼畑直樹著、KKベストセラーズ、本体価格1,200円)

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人生でいちばん大切な三つのことば

2015-12-06 11:27:09 | 

  仙台市秋保・慈眼寺住職で、大峯千日回峰行大行満大阿闍梨でいらっしゃる塩沼亮潤和尚の仏の教え。しかし、難しいことは書かれていません。素直に考えれば、理解するには非常に簡単なことですが、実行に移す前には塩沼和尚の教えを脳にインストールしなければならないでしょう。

  大峯千日回峰行はとてつもない難行ですが、道を求める僧侶は自己を極限へ追い込むことによって、自己を見つめ、執着を捨て、迷いを断ち、その結果、「じぶんがいまここに存在するということのとほうもないありがたさ、みずからのこころやおこないをつねにふりかえって反省しなければならないという思い、まわりの人に敬意を払い、思いやりのある人間にならなくてはならない」、つまりは、「『感謝』『反省』『敬意』」の三つの実践となります。

  感謝の気持ちを抱くには、「ささいなことに感動する心」を持ち、欲心を捨てる。欲心を抱いても、反省の習慣を常に実行する。そして、一番難しいと思う敬意については次のようなお話をいただいています。

 「ひょっとして、この青い空のてっぺんには仏さまや神さまがいて、わたしをほんとうに指導してくださる方かたはその仏さまや神さまなのだけど、直接ことばをかけたり叱ったりできないので、わたしが『いやだな』と思うひとのことばや行動をとおして、わたしを鍛えてくれたのではなかろうか。そうであれば、これまでわたしが出会ったいろんなひとたちは、きらいなひとも困ったひとも、(中略)実は尊敬できるひとたちであって、ほんとうはかんしゃしなくてはならないのだ。」

 すべては必然であり、いま、ここを逃れるのではなく、全面的に受け入れて、全力でやり遂げる。あたりまえの現実をあたりまえにやる心は養う日常の行をするために生きていると考えれば、肩の荷も軽くなるでしょう。この本は何度も読んで既存の考えを取り除かなければなりません。

『人生でいちばん大切な三つのことば』(塩沼亮潤著、春秋社、本体価格1,300円)

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愛の鬼才

2015-12-05 07:48:12 | 

 三浦綾子さんの人生を導いた西村久蔵氏の伝記小説『愛の鬼才』は以前から読みたかった本でした。小学館から文庫になったので手に取って見ました。

 「西村久蔵という人物は、私たちの物差しではとうてい測り知れぬ人物である」

 困っている人は無条件で助ける。家は無銭の宿屋状態で、頼ってくる人はすべて受け入れる。仕事のない人は彼が経営する洋菓子店で雇う。店で使う以上は家族同然。入院していた三浦綾子さんを定期的に見舞うのもその一環。これは彼のキリスト教徒の生き方以前に、久蔵の両親の行き様である、「困っている者の傍を黙って通り過ぎてはならない」という教えが西村家には息づいていました。

 札幌商業の教師時代の久蔵は、「生徒たちを恋人のごとく夜も昼も念頭に浮かべて身心を傾注し、(中略)先生に接した人は、誰しも、自分は特別に目をかけられていた信じて疑わない。」という感想を教え子たちに抱かせる人でした。学生の父が酒に溺れ、勉学を続けられなくなると、札幌の町で禁酒を訴え、禁酒会を立ち上げる行動力は尋常ではありません。

 また、両親の牛乳屋をニシムラ洋菓子店に変革し、戦時中に小麦や砂糖が入手できなくなると、水産加工の削り節製造へ、戦後は再度洋菓子に形を変えながらも事業を継続する実力も只者ではありません。

 しかし、兵士として召集令状を受け、戦場へ派遣されたことを悔い、「信仰の不徹底からこの大戦に協力したこと」を罪と受け留め、「キリスト村建設」に注力し、「縁の下の仕事が、そして損することが、何よりも尊い」という人生を歩まれました。

 損得勘定やより豊かに生きたいと思うのがこの世の中の常識とすれば、他利を徹底的に追及し、どんな人にも敬意を払い、人の心に灯りをともし続ける「潔い」人からは学ぶことばかりです。「偽ることなき誠実と人間愛の精神」の実像が北の大地に春風を吹かせていた事実に涙して読み遂げました。

 『愛の鬼才 西村久蔵の歩んだ道』(三浦綾子著、小学館文庫、本体価格750円)

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