教育とは何かが改めて自らの頭にインストールできた対談集です。
「上から教え育てる」ものこそが教育だという既成概念が私の頭にはありました。
しかし、生物は、「常に周りの環境がどうであるかを知って、それぞれが生きていく」存在であり、環境変化の情報を体全体で得て適応していく、つまり、「生きることは情報の処理」であると考えています。情報のインプットにより、正常な生というアウトプットをすることが「学ぶ」であり、生物は「上から教え育てられる」のではなく、自らが学ぶ存在であり、この本来持っている学びたい力を「引き出す」こと、言い換えれば、環境の中から課題を読み取り、それを解決していくことが「生きる」とすれば、この過程に疑問を投げかけることを助けるのが教育なのでしょうね。
そして、自分で考えるだけでなく、この過程を自分とは異なる受容体を持つ人はどう考えたかを知ることは有意義なことであり、これが先人、先哲の知恵を学ぶということになるでしょう。その意味でも「読書」の重要性が叫ばれなければなりません。
『百歳の遺言 いのちから「教育」を考える』(大田 堯・中村 桂子著、藤原書店、本体価格1,500円)
毎年、アメリカには旅行して、大自然を楽しんでいます。今年は7月にヨセミテに行く予定です。