あなたの本の世界を変えましょう!

板宿の書店主から見た、本・まち・環境を語ります!

人生にとって意味のある勉強法 英語やお金の教養を磨く陰山メソッド

2014-09-30 15:19:38 | 

  今日はスタッフの田中さんのオススメをご紹介します。

  あの「百ます計算」の考案者・陰山英男先生が勉強について主張を述べた1冊です。「ゆとり教育」や「英語早期教育」など、教育には多くの方針が喧伝されていますが、

  日本式の「読み・書き・そろばん」こそが最良の教育である

と強調されています。積み重ねの勉強こそが集中力を生み、心地よさを学ぶ者に与えてくれます。あきらめずに挑戦する姿勢を植え付けてくれます。

 本書を読んでわかったことは、学力とは自らの人生を強く生き抜く力であり、生きる目標を持って、日々研鑽することが大切であること。「少水常流如穿石(しょうすいつねにながれていしをうがつごとく)」に徹します。

『人生にとって意味のある勉強法  英語やお金の教養を磨く陰山メソッド』(陰山英男著、PHP新書、本体価格760円) 

  

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書くことが思いつかない人のための文章教室

2014-09-28 10:00:05 | 

 本日はスタッフの海津くんによる紹介です。

 文章を書くということは意外と難しいと思いませんか?書いたことが読み手に伝わるか?起承転結がうまくできない。何を書けばいいかわからない。文末に苦労する。


  実はこれらの悩みは大学院生と中学生共通の悩みだそうです。年齢も経験も異なる両者が何故同じ悩みを抱えるのか?その原因は、日本の国語の授業では作文の書き方についてきちんと教育されていないからではないかと、著者は述べています。

 どのように書くと思いが伝わるのか、そのためにはどのようなポイントに着眼するべきなのか、所々に練習問題も用意されていて、読んで学んだことをすぐに書くのも知識を無駄にしないですむためオススメです。

 これで書評を書くことに抵抗がなくなりました!

『書くことが思いつかない人のための文章教室』(近藤勝重著、幻冬舎新書、本体価格780円)

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日本人はなぜ美しいのか

2014-09-23 14:25:56 | 

 禅の真髄を学べば学ぶほど、アメリカのIT企業のトップが禅の教えに心酔しているのがわかります。自ら庭園デザイナーもする禅僧・枡野俊明氏が、欧米と日本の美術や衣食住の違いを取り上げることで、その理由を明確にしています。

 まず、欧米と日本の美に対する相違点を絵画を例にして考えると、

油絵=何度も塗り重ねることが出来るため、作者自身の納得ができる作品となるまで描く。

禅画(墨絵、水墨画)=一度だけの筆遣いで、その一瞬の自分を表現する。しかも、観る人の想像力にゆだねられる部分を敢えて残す。

とはっきりとした差があらわせます。このように、美を

「完全な美」「完成した美」「足し算」という特徴の欧米に対して、日本は

「不完全なる美」「完全を超えた不完全なる美」「引き算」という言葉で考えます。つまり、欧米ではこれ以上為すべきことがない終結点を表現しますが、日本ではさらに高みに向けて向上する余地があり、作品を観る人が感じることで作品と一体になれるわけです。この特徴は禅的であり、日本の美や衣食住、習慣には禅の要素が色濃く染みわたっています。

 欧米のデジタル企業も展開もこの美の特徴と同じようであり、それを行っている人間が禅に興味を持つのも納得できますね。

『日本人はなぜ美しいのか』(枡野俊明著、幻冬舎新書、本体価格740円) 

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魂の商人石田梅岩が語ったこと ビジネスの極意と人生の知恵

2014-09-15 11:54:10 | 

  「石田梅岩」という名は、日本史の教科書にわずかに登場する程度しか記憶にありませんが、商売人にとっては、こんな有難い人物はいないと考えます。商売人として培った考えを、多くの商人に伝え、教授することによって、彼の死後、彼の思想を「石門心学」として、商人の地位向上だけでなく、生き方にまで発展させました。また、資本主義をプロテスタントの教えと融合させたウェーバーや経営の本質を見抜いたドラッカーと同様の考えを、彼らより200~250年前に提唱していた先見性に驚きを隠せません。その要諦を書いた本書は、商人のバイブルになるはずです。

 石田梅岩の教えは、「正直」「勤勉」「倹約」「自立」というキーワードに収斂されますが、私が大きな気づきを受けたのは「倹約」です。倹約とは、

 「三つを二つにすませる工夫をする」

と述べられていますが、

 その倹約した「一つ」を「世間(世界)のために使う」ことが真の倹約としている点、

 また、「人間が本来持っている『正直な心』を取り戻すための実践方法」として、倹約を位置づけていること

に大きくうなされました。

 そして、彼のお金に対する認識の根底には、「金銀は天下のお宝なり。銘々には世を互いにし、救い助くる役人なり」と看破する、「お金というものはもともと個人の所有物ではなく、公=社会のものである」という事実がマグマのように噴出しています。

 究極は、天地と不離一体となる商い、つまりは正直に、日々勤勉に務める商いこそが、世のため、人のため、そして、自分の成長のためになるという信念を生み出しています。

 商人に完成形はない、日々新たなりの思いでこれからも書店道を歩んでいきます。

『魂の商人石田梅岩が語ったこと ビジネスの極意と人生の知恵』(山岡正義著、サンマーク出版、本体価格1,700円) 

 

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禅とタオ

2014-09-09 18:26:04 | 

  (株)吉川弘文館 横井さんからの、禅フェア「無心に生きる」の書籍明細に「禅とタオ」(加島祥造・板橋興宗著、佼成出版社、本体価格1,500円)があったので再読してみました。初めに読んだ時も禅とタオの共通点の多さに驚きましたが、今回は人間の在り方をどうすべきかをじっくり考えさせられました。


 冒頭に、江戸時代に生きた仙禅僧の描いた〇△という絵を加島氏が解説します。

  「〇は人間の本性の在り方で、生まれ育つ。それが学校や社会で教育されてとんがり出し、△になる。三角な精神状態で競争する。しまいにはの中に治まる。人間が円い心を取り戻すことを思い出すために描いた。」

 人間は〇の状態で生れ落ちますが、孔子などの倫理・道徳の教えで人になり、三角の姿に変わり、集団や社会に所属し、思量や分別を持ち、他者との競争の環境に身を置くと、に落ち着きます。では、「自我中心」であり、二元対立、人工、父権、一神教、左脳などのキーワードに代表される特徴を持ちます。


  しかし、では窮屈でストレスフルな精神なため、大自然に触れ、音楽や芸術、芸能を楽しみ、自分の心を解放してあげると、人間本来の〇に戻っていきます。執着を解き、集団や社会からの圧力に脱出すると、「身体中心」であり、二元共存、大自然、母性・アニミズム、右脳などのキーワードに染まっていきます。

 この〇に変わるには、禅やタオの思考や生活を行うことが必要になってきます。意識を外に置くのではなく、内へ向けることがキーポイントになります。しかしながら、全くの〇に生きることができないので、両者のバランスを取ることが不可欠になります。何もしなければ、すぐに□に侵されるので、常に〇を意識する、つまりは「いま、ここ」でどれだけ自らの力を発揮するかを考えることを訴えています。


 仙禅僧の描いた〇△というは現生に生きる人間の状態と理想の姿を指し示しているのですね。

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いのちをいただく

2014-09-06 15:33:27 | 

  9月5日(金)の朝日新聞朝刊は、「クロマグロ漁半減へ枠」という見出しが1面を飾りました。日本人の食にとってはマグロは必須なアイテムですが、自然のなかで生きている生き物の一員である人間も摂理に合わしていくしかないでしょう。

 その1面の下部にある「天声人語」には、『いのちをいただく』(内田美智子/文 諸江和美/絵 佐藤剛史/監修、西日本新聞社、本体価格1,200円)  を紹介して、食についての考え方を改めるように警鐘を鳴らしています。

 私たちは毎日、動植物を食べることで自らの生を長らえています。食前には「いただきます」、食べ終われば「ごちそうさま」と手を合わせます。熊本県の食肉加工センターに勤務する坂本義喜さんの体験談をもとに、「命を戴いて生かされる」その大切な事実がじんわりと味わえます。天から与えられている食を有難く戴く思いを失っては、第2のクロマグロを生むだけです。

『いのちをいただく』(内田美智子・文、諸江和美・絵、佐藤剛史監修、西日本新聞社、本体価格1,200円)

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漂流しはじめた日本の教育 教育現場のデジタル化は誰のため?

2014-09-06 14:59:58 | 

  教科書がデジタルになること、つまりタブレットに変わることが2020年の目標となっているらしい。教育がデジタル産業の狩り取り場にならんとしていますが、教育ということにデジタルが適しているのかどうかを、教師経験者で、現在は衆議院議員の著者が述べています。

 学びとは、「積み重ね」であり、それも「手習い」、「学び合い」が必要です。これは江戸時代からの寺小屋での学びから一貫して行っています。予習し、先生から学び、復習する流れで、積み重ねられるから身に付くものであり、それも手を動かして行い、さらには理解している子がわからない子に教えることによって、学びは深くなる。この学びのしくみは時代を経ても大切です。

 これがデジタル教科書になれば、「積み重ね」が「処理」に変わり、手習いよりもクリックか選択だけになり、1人1台のタブレットからは学び合いの様子が想像できません。現状の学びをデジタルに移管するには無理があり、タブレットの使い方が不明になると、教科書が触れないということになります。

 経済の面からみれば、成長が見込める分野になるでしょうが、「日本をどういう国にするのか?」「そのためにはどういう教育が国民に必要なのか?」を再度見直すべきではないでしょうか。デジタルを知るのは、アナログを十二分に知ってからでも遅くはないと思いますがね~。

『漂流しはじめた日本の教育 教育現場のデジタル化は誰のため?』(宮川典子著、ポプラ新書、本体価格780円)

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読む力は生きる力

2014-09-06 13:58:00 | 

 10月に板宿小学校の図書委員にお話しするために、「読む」ことに関しての書籍を紐解きました。脇明子さんの『読む力は生きる力』(岩波書店、本体価格1,600円)です。

 文字が書きとめられる前は、すべて話し言葉によって、民族や一族の伝承や生活文化を伝えられていました。大人の職住は分離していないでしょうから、大人は仕事しながら子どもたちに語っていたことでしょう。子どもは大人の姿を見ながら、大人は子どもたちの目を見つめながら、十分にお話ししてきたと思います。つまり、「本なんか読まなくても、立派に育ってきた」子どもたちは、大人から生きるための文化を「受け継ぎ」、成人してからは、子どもたちに対してそれを「手離し」ていました。

 しかし、大人の職住が分離し、大人が身近にいなくなると、それらの知恵や情報を得るものが、生身の人間から本へ移行しました。稗田阿礼の脳内に在った日本の伝承が古事記として誕生すると、日本国中に広まることになるように、本は時空を超えて伝えることができます。本を読む必要性はこの「受け継ぐ」ためにあるのですね。

 人が生きていく上で非常に重要な使命でありながら、活字離れは進行し、義務教育を受けた子どもたちは、「文字は読めるが、本を読めない」存在になっています。なぜ、本が読めないのか?幼少の頃から、テレビ、ビデオ、そして、今ではパソコンやスマートフォンの映像を受け取ることの虜になり、忍耐力が乏しくなっています。映像の送り手は観る者を釘付けにするために様々な技法を凝らし、映像なら興味が湧き、そして、観る者の頭の中でイマジネーションを起こすことを禁じるようにしています。子どもたちも絵本なら絵があるので読み聞かせや自分でも読みますが、活字だけになると辛抱が効きません。

 子どもたちに本の世界へ引き込むには、大人が名作長編小説を毎日少しずつ読み聞かせることと、子どもたちに素晴らしい物語の本を紹介する必要があります。自らが時代を経ても読み継がれている本を読み、いかに物語が面白いかを伝えることが、次代の人を育てる初めの一歩と言えますね。「本は楽しい」と認識してもらうまで、その価値を知る大人が継続力を発揮するべきです。

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