あなたの本の世界を変えましょう!

板宿の書店主から見た、本・まち・環境を語ります!

縄文探検隊の記録

2019-05-26 07:50:55 | 

 井戸書店の歴史の棚でも大きくスペースを占めている縄文。日本人のルーツであり、わからないことが多く、個人的にはロマンを感じます。また、環境問題を抱える現代人には重要なサジェスチョンを与えてくると思います。この縄文を探るべく、小説家の夢枕獏さんと考古学者の岡村道雄さんが探検隊を組み、縄文ゆかりの地を訪ね、縄文を深く掘り下げます。

 狩猟採集生活を営んでいました縄文時代。ドングリ、特に栗を食し、美味しい、甘い栗を選び、栽培までしていました。人間、甘さを追及すると虫歯というデメリットも付加されていたのは現代人と一緒です。そして、一般的な食事は縄文土器による鍋料理、いわゆる寄せ鍋で、家族みんなで鍋をつつく団欒を過ごしてました。今の孤食とは違いますね。

 縄文期に訪れた温暖化により、狩猟採集から定住生活へ移り、栗以外にも、粟や稗なども栽培し、川を遡上するサケも重要なタンパク源となっていました。住居は土屋根の竪穴式住居で、主には寒さ対策、断熱性で土製の家にしていました。

 全国の縄文遺跡で発掘される翡翠(ひすい)や黒曜石(こくようせき)から、それらの産地から各集落へ運ぶ人の存在にフォーカスがあてられ、定住すると近親婚問題回避のため、また、各地の情報を運ぶ人として、彼ら渡りの、現代で言う運送、流通的存在は定住者にとっては歓迎されていたのでしょう。

 また、多くの生活品や装飾品に漆が使用されていたこと、現時点では世界最古の漆使用品が北海道から発掘されていること、また、土器などの補修にアスファルトが使用されていることなど、縄文人の技術力には目を見張ります。

 最後に、縄文人の幸福について。彼らは一日4時間労働で生活できていたこと、アニニズム信仰ですべてのものに感謝の念をもって生きてきたこと、生まれ変わりの思想を持っていたことなどは現代人も少しは学ぶべきでしょうね。おおらかな気風で貧富の差もなく、固い人間関係の下、すべての人が生きよい時間を共有していたのが縄文人だったと思えば、ジェラシーを感じて読了しました。

『縄文探検隊の記録』(夢枕 獏・岡村 道雄著、集英社、本体価格860円)

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あふれでたのは やさしさだった

2019-05-15 14:11:45 | 

 NHKラジオに出演されていた寮美千子さんのお話で読欲が芽生えました。

 近代建築を見たさで一般公開日に訪れた奈良少年刑務所。ふとしたきっかけで、受刑者の「社会性涵養プログラム」の講師になられた著者は、絵本と詩の授業を受け持つことになりました。教育担当の刑務官が見守る中、授業そのものが本当に成立するのか?という思いは全くの杞憂になり、生徒の方々から出てくる言葉は、書名の通り、

あふれでたのは やさしさだった

でした。但し、教室の環境を、『彼らにとって「すぐに答えられなくても、ちゃんと待ってもらえる」「評価されない」「叱られない」「安心・安全な場」』にすればという前提条件が必要です。つまり、彼らは逆の生活環境に置かれたがために犯罪を犯したことが判明します。「その子に寄り添って、心の支えとなる添え木になる。(中略)支えられているうちに、しっかりと根を張り、自立できるようになっていく」ことから、良質な環境は子供の成長においては必要不可欠なのですね。結局、人間は性善説だと思います。

 この本の中でもう一つ興味深いのは、表現するということ。アウトプットをする場合、自身の思考はぐるぐると回り、読み手のことも勘案して、自分の言葉を紡ぎだせば、「自分の気持ちを表現すること。それをだれかに受けとめてもらうこと。人はそれだけでここまで癒やされ、人とつながれる」、これが言葉の力だと著者はおっしゃる。言葉を発することで、心の扉もオープンになります。

 これは犯罪者だけではなく、世の中の人はみな同じで、家庭、学校、会社や地域でも、自分の関係する人に上記の心持で接すれば、優しさがあふれ出る社会となるのでしょう。

『あふれでたのは やさしさだった』(寮 美千子著、西日本出版社、本体価格1,000円)

 

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なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか

2019-05-08 13:44:43 | 

 当店では、板宿子ども論語塾を毎月第2日曜日朝9時から30分間開催しています。板宿の子どもたちだけでなく、大人の人たちも、2500年前の孔子の教えを学んでいます。25世紀も経てるのに、全く古びれずに誰もがその実践をするべく励んでいます。

 論語は儒教の始まりであり、中国では漢代に国の中心的な教えとなり、科挙制度ででは四書五経を教科書として勉学、その後、儒教は朱子学が明~清代に政治規範を占め、日本でも江戸時代、徳川幕府は朱子学を取り入れていたと、学校教育では教えられました。

 しかし、本書を読んで、驚きの事実を知りました。それは、論語と儒教は違うということ。孔子は「論語」で人生論、処世術を説きました。しかし、漢代に、孟子と荀子による儒教を国家運営の教学、支配体制の道具として公認し、「論語」とは関係なく、その権威づけのために、「孔子の名声を悪用」することになりました。そして、五経(詩経、書経、礼教、易経、春秋)をその経典としました。さらに、明では、政治イデオロギーに新儒教の朱子学が採用されるが、これは、「『情』と『人欲』(特に性欲)をいかにコントロールするか」に主眼が置かれ、知的エリートには朱子学を、一般庶民には「礼教」を押し付けました。

 日本の江戸時代の伊藤仁斎は、論語は人間性の「愛の原理」が底流にあるのに対し、朱子学は「以理殺人(理〔天理〕を持って人を殺す)」ように、論語と朱子学が決定的に違うことを訴えました。日本では朱子学を批判する陽明学など、朱子学からの離脱が起こりましたが、中国、そして、朝鮮では朱子学がそのまま支配し続けたことが、その後の歴史を物語っているかもしれません。

 論語と儒教の違いを確認できたことは、板宿子ども論語塾でも大きく活用できることでしょう。

『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか 日本と中韓「道徳格差」の核心』(石平著、PHP新書、本体価格900円)

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最低の軍師

2019-05-01 15:39:55 | 

 傑作な籠城戦を描いた1冊。『のぼうの城』とは違った面白さを醸し出しています。

 永禄(えいろく)八年、上杉輝虎(てるとら)、のちの謙信が、下総国臼井城(しもうさのくにうすいじょう)に侵攻を開始。上杉軍の総勢一万五千に対し、 臼井の兵は二千ほど。後ろ盾となる北条(ほうじょう)家からの援軍は、わずか二百五十余。これでは、多勢に無勢であるが、北条の武将松田孫太郎は、路上で寝ていた易者、白井浄三入道を軍師に仕立てました。この浄三は、この籠城戦で想像を絶する奇策を次々と画策し、少数精鋭で勝ち続けます。しかし、総大将・上杉輝虎が、日露戦争の203高地の如く、殺傷されようが、多勢を駆使し、城の砦を攻略し始めました。城方はもはやこれまでかと思われた朝、浄三が画策した策により奇跡が起こります。

 この臼井城攻城戦を舞台に、白井浄三の悲しい過去、そして、未来に期待を抱く日々を描いています。苦しい過去であっても、一日一生の思いで生きていけば、その過去が自分の現在に活き、将来への希望の輝きになることを学びました。常に考え行動すべきは、「いまここ」です。

『最低の軍師』(箕輪 諒著、祥伝社文庫、本体価格740円)

 

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