東京・清瀬に、きよせの森総合病院(旧武谷病院)という病院があります。理事長は、武谷ピニロピという94歳になるロシア人女性。彼女の父親は、帝政ロシアが誇るバルチック艦隊勤務を経て、ロシア帝国最後の皇帝となったニコライ2世の身辺警固を勤めた職業軍人でした。父親はツァーリの擁護者として、革命政府から追われる身となり、家族は革命を逃れてさまよい、ウラジオストックで日本陸軍の情報将校・安藤大尉が援助の手を差し伸べ、ハルビンの逃亡途上の列車のなかで、彼女はこの世に生を受けました。亡命先は日本。安藤大尉の実家、会津若松の若松酒造へ身を寄せました。
日本語もわからない彼女は若松第五尋常高等小学校へ編入し、そこからは向学心に燃え、県立会津高等女学校、東京女子医学専門学校へ進学しました。いずれの学校でも卒業式の答辞を担当するほど、成績も優秀でした。医師になって、戦時中に物理学者の武谷三男と結婚し、白人だったために迫害を受けつつも、終戦を迎え、貧しい人のための病院建設に臨みました。
彼女の生涯を綴った本書には、彼女の並々ならぬ闘志、それとともに類を見ない忍耐心が目を見張りました。私には彼女が会津に身を寄せたことも、人生の形成に大きかったと感じます。「ならぬことはならぬものです」の「什の掟」で鍛えられたに違いありません。
そして、ベートーベンが聴力を失った四十九歳の時の言葉が彼女を奮い立たせたと思います。それは
「正しい、貴い行ひをするものは、ただそれだけに依って、不幸に堪へ得るということを、自分は保證してやりたい」
治療法の確立していないベーチェット氏病という眼病を患った、城山三郎賞受賞作家を診た彼女の生涯は本当に逞しく、勇気を与えてくれます。
「悲しみのマリア 上・下」(熊谷敬太郎、NHK出版、本体価格 各1,800円)