NHKラジオに出演されていた寮美千子さんのお話で読欲が芽生えました。
近代建築を見たさで一般公開日に訪れた奈良少年刑務所。ふとしたきっかけで、受刑者の「社会性涵養プログラム」の講師になられた著者は、絵本と詩の授業を受け持つことになりました。教育担当の刑務官が見守る中、授業そのものが本当に成立するのか?という思いは全くの杞憂になり、生徒の方々から出てくる言葉は、書名の通り、
あふれでたのは やさしさだった
でした。但し、教室の環境を、『彼らにとって「すぐに答えられなくても、ちゃんと待ってもらえる」「評価されない」「叱られない」「安心・安全な場」』にすればという前提条件が必要です。つまり、彼らは逆の生活環境に置かれたがために犯罪を犯したことが判明します。「その子に寄り添って、心の支えとなる添え木になる。(中略)支えられているうちに、しっかりと根を張り、自立できるようになっていく」ことから、良質な環境は子供の成長においては必要不可欠なのですね。結局、人間は性善説だと思います。
この本の中でもう一つ興味深いのは、表現するということ。アウトプットをする場合、自身の思考はぐるぐると回り、読み手のことも勘案して、自分の言葉を紡ぎだせば、「自分の気持ちを表現すること。それをだれかに受けとめてもらうこと。人はそれだけでここまで癒やされ、人とつながれる」、これが言葉の力だと著者はおっしゃる。言葉を発することで、心の扉もオープンになります。
これは犯罪者だけではなく、世の中の人はみな同じで、家庭、学校、会社や地域でも、自分の関係する人に上記の心持で接すれば、優しさがあふれ出る社会となるのでしょう。
『あふれでたのは やさしさだった』(寮 美千子著、西日本出版社、本体価格1,000円)