とてつもなく器の大きな人物が幕末から明治かけて吉野にいました。その名は土倉(どくら)庄三郎で、大地主であり林業家。最盛期には9,000ヘクタール、県外や台湾まで加えると23,000ヘクタールを持ち、吉野杉の育成にも無駄のない仕事をしていました。山が金を産み、産んだお金は社会に還元するという意識で、地域だけでなく、同志社や日本女子大の設立にも関与していました。また、吉野の道路の敷設にも財産を投じました。「自分の財産の三分の一を国家のために使い、次の三分の一を教育と人のために使い、残りの三分の一で一家の経営をしたい」という弁には驚きを禁じえません。多くの人が彼を頼って吉野へ訪れますが、社会的に意味のないものへは投資はしませんでした。
林業は投じた資産が返ってくる時間のスパンが長いため、腰の据わったスタイルを取らざるをえません。同じように人への投資も時間が必要と感じたのでしょう、子や孫へはしっかりとした教育を受けさせました。次女の政子には同志社からアメリカへ留学させ、最終的には夫が清国公使となったため、北京では西太后とも親しくなっています。
長男に代を譲ってからは、土倉家は没落していきますが、彼の存在は今も吉野に君臨していると思います。
『山林王』(田中淳夫著、新泉社、本体価格2,500円、税込価格2,750円)