あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

戦前と戦後の繋がりについて(自我その243)

2019-10-30 16:36:06 | 思想
太平洋戦争は、日本は、大きな犠牲を被ったが、それでも、一つだけ、益をもたらした。敗戦の結果、アメリカによって、日本に、民主主義が導入されたことである。日本は、敗戦の結果、国家主義の国から、民主主義の国へと大きく転換したのである。しかし、戦後の日本は、それを生かしきれず、現在でも、アメリカに隷属し、戦前と同じく、国家主義者が日本の政治を動かしているのである。さて、我々人間は、いつ、いかなる時でも、常に、ある構造体に所属して、ある関係性を築いて、ある自我を持って暮らしている。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。我々人間が最初に所属する構造体は家族であり、最初の関係性は家族関係であり、最初の自我は、男の子または女の子である。我々は、家族という構造体で、家族関係を築きながら、男の子または女の子という自我を持って行動し、成長していくのである。また、我々は、日本という国にも所属し、社会的な関係性を築きながら、日本人という自我を持って、行動している。さて、我々人間は、常に、思考して、行動する。しかし、それは、表層心理による思考(意識しての思考)から始まるではなく、深層心理による思考(無意識の中での思考)から始まるのである。深層心理は、一般に、無意識と表現されている。深層心理は、奥深くに隠れている心の動き・外に現れない無意識の心の働きである。我々は、まず最初に、我々の意識していないところで、すなわち、深層心理が思考するのである。自ら意識して、自らの意志で、すなわち、表層心理で思考するのは、深層心理の思考の結果を受けてのことである。表層心理は、深層心理による思考(無意識の中での思考)の結果を受けて、意識して、それを思考するのである。深層心理は、瞬間的に思考する。表層心理による思考は、短時間のものから長時間のものまで多岐にわたっているが、一般的に、深層心理による思考よりも短くなることはない。ほとんどの人は、思考と言えば、表層心理による、意識しての思考を考え、深層心理による思考が存在することに気付いていない。一般に言われる理性は、表層心理による、意識しての思考を意味する。さて、現在、日本という国の構造体が、国家主義者によって動かされているということは、我々日本人の多くの深層心理に、国家主義は残存していて、表層心理が、民主主義で取り繕っているということなのである。さて、我々人間は、まず、深層心理が、無意識のうちに、思考し、「快感原則」(快楽を得たいという欲望)に基づいて、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、次に、表層心理が「現実原則」(利益を得たいという欲望)に基づいて、意識して、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が出した行動の指令の通りに行動するか抑圧するかを考えて、行動している。つまり、日本人の多くは、深層心理は、国家主義に基づいていて思考し、表層心理は、民主主義の基づいて思考しているのである。だから、日本人の多くは、民主主義者を装いながら、何か事があると、国家主義に引きずられていくのである。それが、現在でも、日本という国の構造体が、国家主義者によって動かされているという現象を生み出しているのである。さて、現在の日本の首相である安倍晋三という国家主義者は、岸信介の孫である。岸信介は、超という接頭語を付くぐらいの、国家主義者であった。安倍晋三が、岸信介を尊敬しているのも、頷けることである。岸信介は、満州国の高官を経て、東条英機内閣が太平洋戦争を起こした時は、商工大臣になっていた。太平洋戦争中、大日本帝国は、軍部が、八紘一宇(はっこういちう・世界を一つの家にすること)を掲げて、自らの行為を正当化しつつ、中国、東南アジアの侵略し続けた。その結果、アメリカを中心とした連合国と戦争をせざるを得なくなった。また、大日本帝国は、満州国の建国理念として、五族協和(日・朝・漢・満・蒙の五族の協和。日本人、朝鮮人、漢族、満州族、モンゴル族が平等の立場で満州国を建設すること)・王道楽土(おうどうらくど・王道主義によって、各民族が対等の立場で搾取なく強権のない楽土(理想郷)を実現すること)を掲げた。しかし、八紘一宇、五族協和、王道楽土は、見せかけだけのスローガンであった。真実は、日本軍人(日本人)はアジアの諸民族を蔑視し、嫌悪していたのである。その証拠として、次のような実例を挙げることができる。日本軍(日本人)は、中国や朝鮮や東南アジアにおいて、日本の神社を拝ませ、日本語を強制し、拷問、レイプ、虐殺を行った。陸軍の細菌戦部隊である731部隊は、中国において、ペスト、コレラ、チフスなどの細菌の研究を進め、実戦に使い、中国人、ロシア人などの捕虜・抗日運動家を使って人体実験を行った。その犠牲者の数は三千人近いと言われている。日本軍(日本人)は、朝鮮において、創氏改名(朝鮮人の姓名を日本式の氏名に改めること)を強制した。日本軍人は、東南アジアにおいて、現地の若い女性をだまして、暴力的に従軍慰安婦に仕立て上げた。それは、朝鮮だけにおいてではない。占領地全てにおいてであった。太平洋戦争は終わった。日本は敗北した。しかし、日本人の中には、アジアの諸民族対する蔑視感・嫌悪感を、現在も、持ち続けている人が存在するのである。それも、決して少ない数ではない。特に、中国、韓国、北朝鮮に対して蔑視感・嫌悪感を抱いている人が多い。それは、戦前、大日本帝国が、中国、韓国、北朝鮮を侵略し、占領したからであり、多くの日本人の深層心理が、国家主義思想あるからである。「在日韓国人や在日朝鮮人は日本から出て行け。」と叫びながら、デモ行進をする在日特権を許さない市民の会という右翼集団の行動に如実に表れている。戦前の亡霊が現在まで生き残っているのである。特に、安倍晋三が首相になってから、我が意を得たりとばかり、ヘイトスピーチする集団とともに、中国・韓国・北朝鮮に対して、あからさまに非難する人が増えてきた。岸信介は、太平洋戦争中、あくどいやり方で、中国で利益を上げた。それ故に、今もって、多くの中国人に嫌われている。当然のごとく、戦後、A級戦犯として逮捕された。しかし、共産主義国であるソ連の台頭、中国の共産党の勃興、朝鮮戦争が起こりそうな機運が高まってきたので、アメリカは政治判断を下し、岸を釈放した。その後、自民党の衆議院議員になり、そして、首相にまで上り詰めた。1960年、安保条約(日米安全保障条約)を改定した。旧安保条約には、アメリカ軍が安全保障のために日本に駐留し、日本が基地を提供することなどを定めていたが、新安保条約は、それに、軍事行動に関して両国の事前協議制などを加えた。旧新ともに、安保条約は、日本がアメリカの従属国家であることを示している。また、岸信介は、旧安保条約の細目協定である日米行政協定を、新安保条約では、日米地位協定と改定した。日米地位協定には、基地・生活関連施設の提供、税の免除や逮捕・裁判に関する特別優遇、日本の協力義務、日米合同委員会の設置など、アメリカ軍人とその家族の権利が保証されている。日本人がアメリカ人の下位にあることは一目瞭然である。岸信介は、政治家を退いた後も、自主憲法やスパイ防止法の成立を目指した。安倍晋三の父である安倍晋太郎も、自民党の衆議院議員であったが、首相にはなれなかった。岸信介の実弟が佐藤栄作である。つまり、佐藤栄作は安倍晋三の大叔父に当たるのである。佐藤栄作も、自民党の衆議院議員であったが、首相となり、ノーベル平和賞を受賞した。安倍晋三は、祖父の岸信介についてはよく言及するが、父の安倍晋太郎、大叔父の佐藤栄作についてはほとんど触れることがない。それは、安倍晋三の深層心理が岸信介に繋がっているからである。安倍晋三の自我は岸信介に連なっているからである。安倍晋三が靖国神社を参拝するのは、そこに祀られているA級戦犯者の復権、延いては、A級戦犯者だった岸信介の復権を目指しているのである。安倍晋三の集団的自衛権は岸信介の対米従属外交、新安保条約、地位協定に繋がっている。自民党の憲法改正案は、岸信介の自主憲法制定の考えに連なっている。安倍晋三とは岸信介のことなのである。確かに、日本は、太平洋戦争でアメリカに敗れ、満州国は崩壊した。しかし、アジアの諸民族に対しての蔑視感・嫌悪感を残している人々がまだ存在する。特に、中国、韓国、北朝鮮に対してそうである。アメリカに対して敗北したのであって、中国や朝鮮に対しては敗北していないというのである。彼らは、日本をアメリカの従属国にしても、中国、韓国、北朝鮮と対峙しようと考えているのである。言うまでもなく、その一人が安倍晋三である。岸信介の満州国における見果てぬ夢を、安倍晋三が首相となって、今見ようとしているのである。戦前の亡霊が現在の日本を支配しようとしているのである。麻生太郎は、安倍内閣の副首相兼財務大臣である。麻生は、「ワイマール憲法も、いつの間にか、ナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。」と発言し、憲法を変えずとも、解釈によって、実質的な憲法改正の道を示唆した。それは、安倍晋三が、ほとんどの憲法学者が反対する中で、強引な憲法解釈と強行採決によって、国会で、集団的自衛権を認めさせたのと、底で繋がっているのである。麻生太郎の祖父が、吉田茂である。吉田茂は、戦前は、外交官として、日本が太平洋戦争に突き進むために、暗躍した。戦後は、首相となり、最初の安保条約(旧安保条約)を成立させた。戦前は、無鉄砲にも、日本がアメリカと戦争するように仕向け、アメリカが世界の第一の強国だとわかると、戦後は、アメリカに阿諛追従(あゆついしょう・相手に気に入られようと、こびへつらうこと)している。麻生太郎の節操のなさは吉田茂と繋がっている。確かに、吉田茂は、アメリカからの要求である日本の軍備増強を拒否した面は評価しても良い。しかし、安保条約を成立させて、日本をアメリカの属国にし、沖縄をアメリカの基地の犠牲にした基礎を造ったことは、批判しても批判しつくせるものではない。中曽根康弘は、戦前、海軍主計中尉として、インドネシアにいた時に、従軍慰安施設を作った。自叙伝でそれを自慢げに語っていたが、従軍慰安婦が問題となると、沈黙を保っている。戦後、首相となるや、日本に原発を導入し、レーガン大統領に対して、「日本列島は不沈空母」と言い、アメリカの軍事行動を全面的に支援することを約束した。防衛費の対国民生産GNP比率1%枠を突破させた。さらに、首相として、初めて、靖国公式参拝を行った。また、国家秘密法の制定、有事法制の制定、イラン・イラク戦争末期の1987年に自衛隊の掃海艇の派遣を試みたが、いずれも党内外の反対意見が強く、成功しなかった。中曽根康弘の姿勢は、常に日本のナショナリズムを喚起することであり、海軍時代と全く同じである。平沼赳夫は、郵政民営化関連法案に反対して自民党を飛び出したが、安保法案に賛成すると菅官房長官に表明し、復党を許された。また、「慰安婦は売春婦だ」と言って、物議をかもした。平沼赳夫のの養父が、平沼騏一郎である。平沼騏一郎は、1910年の大逆事件で検事を務め、冤罪で、幸徳秋水以下12名を死刑台に送り込んだ、世紀の大犯罪者である。その国家主義思想は、右翼団体の国本社を主宰するまでに至った。1939年1月から8月まで、平沼騏一郎内閣を組閣し、国民精神総動員体制の強化と精神的復古主義を唱えた。また、1945年1月から4月まで、枢密院議長として、降伏反対の姿勢で終戦工作をした。このような人物がいたために、戦争終結が遅れ、日本は、沖縄戦、本土爆撃、広島・長崎の原爆投下の大惨劇に見舞われるのである。戦後、逮捕され、A級戦犯として終身刑を下されたが、健康上の理由で仮出所を許され、その後、病死した。日本は、戦後のほとんどの内閣は、自民党によるものであった。自民党の本質は、憲法改正案に見られる通り、上意下達の全体主義なのである。それは、戦前の政治と同じである。つまり、戦前の亡霊が戦後の日本を支配しているのである。すなわち、現在でも、アメリカに隷属し、戦前と同じく、国家主義者が日本の政治を動かしているのである。


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