あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

右翼の誕生。(人間の心理構造その16)

2023-03-14 12:49:43 | 思想
右翼になるのは簡単である。愛国心に取りつかれ、愛国心に従ってひたすら行動する者が右翼だからである。戦争とは、愛国心に取りつかれた右翼同士の戦いである。一般に、愛国心は、文字通り、国を愛する気持ちと説明されている。しかし、それは、表面的な意味である。真実は、世界中の人々に、自分が所属している国の存在を認めてほしい、評価してほしいという自我の欲望である。人間は、自分が所属している国の存在が認められ、評価されれば、国民という自我もまた認められ、評価されたような気になるのである。現在、世界中の人々は、皆、国という構造体に所属し、国民という自我を持っている。だから、世界中の人々には、皆、愛国心がある。愛国心とは、自分が所属している国という構造体で、国民という自我を保持し続けたいという保身欲から発した感情でもあるからである。愛国心があるからこそ、自分が所属している国の動向が気になり、自分が所属している国の評価が気になるのである。国の動向が気になるのは、自分の所属している構造体が存続・発展してほしいという保身欲から起こるのである。国の評価が気になるのは、世界中の人々に自分の所属している構造体を評価してほしいという承認欲から起こるのである。世界中の人々に自分の所属している国が評価されれば、国民という自我が評価されたように感じ、快楽が得られるのである。また、愛国心があるからこそ、支配欲、承認欲、共感欲がが生まれ、オリンピックやワールドカップが楽しむことができるのである。勝利すれば、相手選手や相手チームに勝ちたいという支配欲、世界から認められたいという承認欲。自国選手や自国チームとともに戦っているという共感欲が満たされるからである。しかし、愛国心があるからこそ、北方四島、尖閣諸島、竹島という島々を獲得しようという支配欲が生まれるのである。また、愛国心があるからこそ、自国は被害国だから戦わなければ敵国に馬鹿にされるとして、承認欲によって戦争を起こすことを主張する右翼が存在するのである。そして、戦場では、支配欲によって敵国の人間という理由だけで殺すことができるのである。また、戦争が起こってしまえば、国民全体に、国の勝利という一つの目的に向かってと団結するという共感欲が生まれ、勝利を目指して戦うのである。政治権力者はそれを利用して戦争を引き起こすのである。つまり、愛国心とは、保身欲、承認欲、支配欲、共感欲に動かされた自我の欲望なのである。しかし、愛国心に限らず、人間は、自我の欲望に動かされて生きているのである。すなわち、人間は、自ら意識せずして、心の中に、自我の欲望が生まれ、それに動かされて生きているのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が、常に、構造体の中で、自我を主体に、欲動に基づいて思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、他者と関わらせ、他人を意識しながら、人間を動かしているのである。人間の意識した精神活動を表層心理と言う。つまり、人間は表層心理で思考して生きていないのである。すなわち、人間は表層心理で自らを意識して思考し意志によって生きていないのである。それでは、構造体、自我とは何か。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、他者からある特定の役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。構造体には、さまざまなものがあり、自我も、その構造体に応じて、さまざまなものがある。国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などの自我がある。県という構造体では、知事・県議会議員・県職員・県民などの自我がある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我がある。夫婦という構造体では、夫・妻という自我がある。店という構造体では、店長・店員・客などの自我がある。電車という構造体では、運転手・車掌・乗客などの自我がある。仲間という構造体では、友人という自我がある。カップルという構造体では恋人という自我がある。他者とは、構造体内の人々である。他人とは構造体外の人々である。それでは、なぜ、深層心理は、自我を主体にして思考するのか。なぜ、自分ではなく自我なのか。それは、自分とは自らを指す言葉であるが、抽象的な存在でしかないからである。人間は。この世に生まれ、社会生活を営みながら生きていくには、構造体という具体的な人間の組織・集合体に所属して、自我という具体的な形になって行動するしかないのである。それでは、欲動とは何か。欲動とは、深層心理に内在している四つの欲望である。深層心理は、欲動の四つの欲望のいずれかをかなえば、快楽を得られるから、欲動に基づいて、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を動かそうとするのである。つまり、欲動が深層心理を動かし、深層心理が自我である人間を動かしているのである。欲動の第一の欲望は、自我を確保・存続・発展させたいという保身欲である。これが、欲動の四つの欲望の中で、最も強く、深層心理を動かしている。なぜならば、自我あっての人間であり、自我なくして人間はこの世に生きていけないからである。人間は、この世で、社会生活をして生きていくには、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を得る必要があるから、保身欲があるのである。言い換えれば、人間は、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を持していなければ、この世に生きていけないから、現在所属している構造体、現在持している自我に執着するのである。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。また、自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために自我が存在するのではない。自我のために構造体が存在するのである。だから、構造体の存続を自我の存続のように喜び、構造体の発展を自我の発展のように喜ぶのである。欲動の第二の欲望が、自我が他者に認められたいという承認欲である。深層心理は、自我が他者に認められると、喜び・満足感という快楽を得られるのである。だから、人間は、誰しも、他者から認めてほしい、評価してほしい、好きになってほしい、愛してほしい、信頼してほしいという思いで、生きているのである。フランスの心理学者のラカンに、「人は他者の欲望を欲望する」という言葉がある。「人間は、他者のまねをする。人間は、他者から評価されたいと思う。人間は、他者の期待に応えたいと思う。」という意味である。この言葉は、自我が他者に認められたいという承認欲を端的に言い表している。だから、日常生活において、人間、誰しも、構造体の中で、他者から認められよう、非難を受けないように行動しているのである。つまり、人間は、主体的に自らの評価ができないのである。人間は、無意識のうちに、他者の欲望を取り入れているのである。だから、人間は、他者の評価の虜、他者の意向の虜なのである。他者の評価を気にして判断し、他者の意向を取り入れて判断しているのである。つまり、他者の欲望を欲望して、それを主体的な判断だと思い込んでいるのである。だから、人間の苦悩のほとんどが、他者から悪評価・低評価を受けたことが原因なのである。欲動の第三の欲望が、他者・物・現象などの対象を支配したいという支配欲である。深層心理が、自我で他者・物・現象という対象を支配することによって、快楽を得ようとすることである。対象の支配は、深層心理が自らの志向性で他者・物・現象を捉えることから始まり、自我の下に置くことで完成するのである。志向性とは対象を捉える方向性である。まず、他者という対象に対する支配であるが、それは、文字どおり、自我が他者を支配すること、構造体のリーダーとなることである。自我が、他者を支配すること、他者を思うように動かすこと、構造体のリーダーとなることができれば、深層心理は喜び・満足感という快楽が得られるのである。すなわち、人間が喜び・満足感という快楽が得るのである。さらに、わがままも、他者を支配したいという欲望から起こる行動である。わがままを通すことができれば快楽を得られるのである。人間、誰しも、自我のわがままを通したいが、そうすると、他者から非難され、承認欲が阻害されるので遠慮しているのである。次に、物に対する支配欲であるが、それは、自我の目的のために、物を利用することである。山の樹木を伐採して木材にすること、鉱物から金属を取り出すこと、包丁で魚をさばくことなど、いずれもこの欲望による。樹木、鉱物、包丁などの物を対象として利用し、支配することができれば快楽を得られるのである。最後に、現象という対象に対する支配欲であるが、それは、自我の志向性で、現象を捉えることである。人間を現象としてみること、世界情勢を語ること、日本の政治の動向を語ること、いずれもこの欲望による。現象を捉えることができれば満足感・充実感という快楽が得られるのである。さらに、支配欲が高まると、深層心理には、有の無化と無の有化という機能が生まれるのである。有の無化とは、人間は、自我を苦しめる他者・物・現象がこの世に存在していると、無意識のうちに、深層心理が、この世に存在していないように思い込むことである。犯罪者の深層心理は、自らの犯罪に正視するのは辛いから、犯罪を起こしていないと思い込むのである。借金をしている者の中には、返済するのが嫌だから、深層心理が、借金していることを忘れてしまうのである。次に、無の有化という機能であるが、それは、人間は、自我の志向性に合った、他者・物・現象が実際には存在しなくても、深層心理が、この世に存在しているように思い込むのである。人間は、自らの存在の保証に神が必要だから、深層心理が、実際にはこの世に存在しない神を創造したのである。いじめ自殺事件があると、いじめた子の親たちは親という自我を傷付けられるのが辛いから、自殺の原因はいじめられて自殺した子の家族にあるとするのである。有の無化、無の有化、いずれも、深層心理が自我を正当化して心に安定感という快楽を得るために行なわれるのである。欲動の第四の欲望が自我と他者の心の交流を図りたいという共感欲である。それは、深層心理が、自我と他者が理解し合う・愛し合う・協力し合うことによって、快楽を得ようとすることである。つまり、自我の存在を高め、自我の存在を確かなものにするために、他者と心を交流したり、愛し合ったりすることで、喜び・満足感・充実感という快楽得ようとするのである。愛し合うという現象は、互いに、相手の心を支配することだけでなく、相手に身を差しだし、相手に支配されることを許し合うことである。若者が恋人を作ろうとするのは、カップルという構造体を形成し、恋人という自我を認め合うことができ、恋人いう自我と恋人いう自我が共感すれば、そこに、愛し合っているという喜びが生じるからである。また、友人を作ろうとするのは、共感欲を満足させ、自我の存在を高め、自我の存在を確かなものにするためである。中学生や高校生が、仲間という集団でいじめや万引きをすることがある。積極的にいじめや万引きに参加している者は、仲間という構造体で友人という共感欲に満足しているのである。嫌々ながらも、いじめや万引きに参加している者は、仲間という構造体から追放され、友人という自我を失うのが怖いからである。さらに、「呉越同舟」という四字熟語がある。「共通の敵がいたならば、仲が悪い者同士も仲良くすること。」という意味である。これも、また、共感欲から発した現象である。日本がアメリカに隷属しているのも、「呉越同舟」の現象である。日本とアメリカに、中国・ロシア・北朝鮮という共通の敵国が存在するからである。自民党は、これを利用して、国民を右傾化に導き、それが成功し、支持を集めているのである。それでは、感情と行動の指令という自我の欲望とは何か。深層心理が思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我となっている人間を動かそうとしているのである。深層心理が生み出した感情が力となって、深層心理が生み出した行動の指令通りに、人間を動かそうとするのである。感情が強ければ、それだけ、自我が動かす力が強いのである。たとえば、深層心理が怒りの感情と殴れという行動の指令を自我に出せば、怒りの感情が強いほど、相手を殴る可能性性が高くなるのである。つまり、人間は、自由に動いているのではなく、深層心理が生み出した自我の欲望通りに動いているのである。その端的な例は、ほとんどの人の日常生活がルーティーンになっていることである。ほとんどの人の日常生活は、無意識の行動によって成り立っている。それは、欲動の第一の欲望である自我を確保・存続・発展させたいという保身欲から来ているのである。毎日同じことを繰り返すルーティーンになっているのは、表層心理で自らを意識して思考することなく、深層心理が生み出した自我の欲望のままに、無意識のままに行動しているから可能なのである。逆に、日常生活がルーティーンになるのは、人間は、深層心理の思考のままに行動して良く、表層心理で意識して思考することが起こっていない証である。また、人間は、表層心理で意識して思考することが無ければ楽だから、毎日同じこと繰り返すルーティーンの生活を望むのである。だから、人間は、本質的に保守的なのである。しかし、日常生活において、異常なことが起こることもある。それは、ほとんどの場合、侮辱などをされ、欲動の第二の欲望である自我が他者に認められたいという承認欲が傷付けられた時である。そのような時、深層心理が怒りの感情と侮辱した相手に危害を加えろという行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間に、相手に危害を加えることを促すことがある。しかし、深層心理には、超自我という機能もあり、それが働き、日常生活のルーティーンから外れた異常な行動の指令を抑圧しようとするのである。超自我は、深層心理に内在する欲動の第一の欲望である自我を確保・存続・発展させたいという保身欲から来ている機能である。しかし、深層心理が生み出した怒りの感情が強過ぎると、超自我は、深層心理が生み出した相手に危害を加えろという過激な行動の指令を抑圧できないのである。その場合、自我の欲望に対する審議は、表層心理に移されるのである。人間は、表層心理で、自らを意識して、深層心理が生み出した感情の下で、現実的な利得を求めて、道徳観や社会的規約を考慮し、長期的な展望に立って、深層心理が生み出した行動の指令について、許諾するか拒否するか、思考するのである。人間の表層心理での思考が理性であり、人間の表層心理での思考の結果が意志である。現実的な利得を求める欲望は、自我に利益をもたらし不利益を避けたいという欲望であり、フロイトは現実原則と呼んだ。人間は、表層心理で、自らを意識して、深層心理が生み出した行動の指令を実行した結果、どのようなことが生じるかを、自我に利益をもたらし、不利益を被らないないようにしようという現実原則の視点で、他者に対する配慮、周囲の人の思惑、道徳観、社会規約などを基に思考するのである。人間は、表層心理で、深層心理が生み出した怒りの感情の下で、現実原則に基づいて、相手を殴ったならば、後に、自我に不利益がもたらされるということを、他者の評価を気にして、将来のことを考えて、結論し、深層心理が生み出した過激な行動の指令を抑圧しようと考えるのである。しかし、深層心理が生み出した怒りの感情が強過ぎると、超自我も表層心理の意志による抑圧も、深層心理が生み出した過激な行動の指令を抑圧できないのである。そして、深層心理が生み出した行動の指令のままに、行動してしまうのである。それが、所謂、感情的な行動であり、自我に悲劇、他者に惨劇をもたらすのである。また、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否する結論を出し、意志によって、行動の指令を抑圧できたとしても、今度は、表層心理で、深層心理が生み出した怒りの感情の下で、深層心理が納得するような代替の行動を考え出さなければならないのである。そうしないと、怒りを生み出した心の傷は癒えないのである、しかし、代替の行動をすぐには考え出せるはずも無く、自己嫌悪や自信喪失に陥りながら、長期にわたって、苦悩の中での思考がが続くのである。しかし、右翼は、自らの行動を異常だと思っていないのである。だから、超自我が機能しないのである。すなわち、深層心理が異常な行動だと認識しないから、超自我がその行動を抑圧しようとしないのである。たとえば、右翼の組織として、在日特権を許さない市民の会という組織がある。「在日は日本から出て行け。」、「在日は死ね。」、「在日を殺せ。」などのヘイトスピーチを繰り返して街頭行進をした集団である。在日韓国人や在日朝鮮人に対して侮蔑意識が無ければ、このようなことができるはずがない。歴史を知らないというだけでは済まされない問題である。当然のごとく、国連は、ヘイトスピーチを人権問題化し、日本政府に取り締まるように勧告してきた。しかし、当時の安倍自民党内閣は、当初、表現の自由を理由にして、耳を貸そうとしなかった。その自民党の憲法改正草案は、国民の表現の自由を徹底的に制限しているのだから、笑止千万である。頭隠して尻隠さずである。言うまでもなく、安倍晋三前首相はもちろんのこと、自民党の国会議員もヘイトスピーチをする集団と同じような考え方をしているから、ヘイトスピーチを取り締まらなかったのである。もちろん、ヘイトスピーチをする集団も、安倍内閣、自民党を支持している。安倍内閣が誕生したから、ヘイトスピーチをする集団が現れたのである。ヘイトスピーチをする集団は、在日特権を許さない市民の会と称しているが、もしも、在日韓国人や在日朝鮮人に特権があったとしても、それを決めたのは歴代の自民党内閣である。批判の矛先が間違っているのである。自民党を批判しなければいけないのである。自民党の国会議員やヘイトスピーチをする集団以外にも、明治以来の戦前の日本の韓国(朝鮮)政策を支持する日本人はかなり存在する。日本が併合したから、韓国(朝鮮)はインフラが整備され、農業収穫が増加し、現代に残る大学も創設されたりなどして、国が豊かになったのだと言う。確かに、そういう面はある。しかし、自主権を奪われて、国が豊かになったと言われても、それは、韓国人(朝鮮人)の人間性を侮辱するのものでしかないだろう。また、日本が併合していなくても、ロシアが占領していただろうと言う人もいる。確かに、日露戦争は、朝鮮及び満州の支配権をめぐる対立から発展した軍事衝突であった。日本が勝利したから、韓国(朝鮮)を併合しただけだと言う。しかし、日本とロシアの韓国(朝鮮)の支配権をめぐっての対立は、韓国(朝鮮)にとっては、はた迷惑なだけなのである。そして、韓国併合の時期は、世界的に帝国主義の時代で、植民地にするか植民地にされるかの二者択一の生き方しかなく。日本は欧米に倣って後者を選んだのである。悪いのは、帝国主義の時代を作った欧米である。日本も、アメリカによって、鎖国を破られ、日米和親条約、日米修好通商条約によって、主要港を開港し、治外法権を認め、片務的関税協定を結ばせられた。そして、同じような内容の条約を、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも結ばせられた。だから、日本は、欧米の模倣をしただけであると言う。確かに、日本は、欧米に対しては、堂々と論陣を張ることができる。しかし、韓国(朝鮮)に対しては言い訳できない。心から謝罪し、賠償するしかないのである。韓国人(朝鮮人)にとっては、今もって、長年、日本に支配されていたという歴史的事実は悔しい出来事なのである。また、韓国併合という言葉自体がまやかしの言葉であり、実際は、日本の軍事力によるから、韓国支配、韓国占領、韓国征服などと言うべきなのである。琉球処分という言葉もそうである。明治政府の、1872年から1879にかけて、琉球王国を解体し、日本国家に強制的に組み込んでいく過程は、琉球処分と呼ばれているが、軍事力を持って無理やり成し遂げたことであるから、琉球支配、琉球占領、琉球征服などと呼ぶべきなのである。終戦という言葉もそうである。太平洋戦争は、自然と終ったのではない。日本が、1941年12月8日、自ら、アメリカ、イギリスを中心とする連合国に戦いを挑み、悲惨な目に遭い、1945年9月2日、無条件降伏文書に調印して、攻撃をやめてもらったのである。戦いを挑んで負けたのである。だから、終戦ではなく、敗戦と呼ぶべきなのである。天皇が玉音放送(国民に敗戦を認める放送)を流した8月15日を終戦記念日とするのではなく、惨めにも、東京湾に停泊するミズーリ号で無条件降伏文書に調印した9月2日を敗戦の日とするべきなのである。韓国併合、琉球処分、終戦という言葉は、日本人が、歴史にまともに向かわず、罪の意識や心の傷から逃れようとしていることの現れである。だからこそ、韓国人は、サッカーの日韓戦に韓国人が燃えるのである。サッカーの日韓戦に勝利することによって、日本の韓国支配の屈辱を晴そうとしているのである。言わば、サッカーの日韓戦は、代理戦争なのである。もちろん、野球の日韓戦にも、韓国人は燃える。しかし、サッカーほどは心は高ぶらない。なぜならば、野球は、世界的に見て、マイナーなスポーツだからである。サッカーは、世界で最も人気のあるスポーツだから、世界中の人に、韓国が日本に勝ったことを示したいのである。韓国人の愛国心の故である。確かに、1965年6月22日、日韓基本条約が締結され、韓国の対日賠償請求権は放棄される代わりに、無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力協定が結ばれた。日本人の多くは、これで、韓国に対する償いは済んだと考えている。確かに、この5億ドルによって、韓国の経済は復興した。しかし、それで、韓国人の愛国心が癒されたわけではない。日本人が戦前の韓国(朝鮮)支配を真摯に反省している姿勢を見せ続けない限り、愛国心が癒されることはない。特に、日本の政治指導者に、真摯に反省の姿勢を見せてほしいのである。なぜならば、政治指導者こそ国民の代表だからである。しかし、戦後の日本のほとんどの政治指導者には、その姿勢は見られない。中には、表面上、反省の姿勢を見せるが、本心は異なっているのである。なぜならば、彼らは自民党の国会議員だからである。なぜ、自民党の国会議員には、反省の心が無いのであろうか。それには、二つの大きな理由がある。一つは、彼らは戦前の政治家の精神に繋がろうとしていることである。だから、戦前の日本人の行いを無下に否定できないのである。それは、自民党の憲法改正草案が、大日本帝国憲法と似通っているのを見てもわかることである。自民党の憲法改正草案と大日本帝国憲法が異なるのは、総理大臣が軍隊(自衛隊)を統率するだけである。天皇の地位は、大日本帝国憲法では主権を有していて、自民党の憲法草案では元首となっているから、二つの考えは異なっていると言う人がいるが、基本的な働きは同じである。大日本帝国憲法においても、美濃部達吉が天皇機関説で言うように、国家に統治権の主体があり、天皇は国家の一機関であったのである。もう一つは、彼らの血が、戦前の政治家と繋がっていることである。彼らの多くは、戦前の政治家と血縁関係にあるのである。その典型的な例が安倍晋三である。言うまでもなく、彼は岸信介の孫である。岸信介は、戦後に総理大臣になったが、太平洋戦争を起こした東条英機内閣の商工大臣である。安倍晋三は、祖父の衣鉢を継いだのである。だから、自民党の政治が続く限り、韓国人の愛国心は燃え続けるのである。韓国人が、徴用工、従軍慰安婦を国際問題化するのも、日本の政治指導者に、戦前の日本の韓国支配に対する真摯な反省の姿勢が見られないからである。しかし、日本の政治指導者に真摯な反省の姿勢が見られないのは、当然である。反省していないからである。反省していないのだから、真摯な反省の姿勢が見せられるはずがないのである。時には、反省の姿勢を見せることはあるが、それは政略的なものであり、心からのものでは決してない。だから、失言で、韓国人、朝鮮人、中国人の心を傷つける言葉を発する自民党議員は枚挙に暇がないのである。もちろん、後に、謝罪することになるが、この謝罪も心からのものでないことは言うまでもない。失言こそ、彼らの本心である。それでは、なぜ、戦前志向の自民党を、多くの国民が支持するのだろうか。それも、また、愛国心の故である。国民の多くも、また、現在の日本の政治指導者が、戦前、日本が韓国(朝鮮)に行ったことに対して、真摯な反省の姿勢をみせること、つまり、心から謝罪することは、自らの愛国心を傷つけることになるから、政治指導者にしてほしくないのである。多くの国民にとって、自民党の国会議員と同様に、日韓基本条約の5億ドルで、戦前の贖罪は終わったのである。また、自民党が国民の支持を受けるもう一つの理由として、自民党の政治指導者の方が、野党指導者より、リーダーシップを発揮して、日本を力強く運営できるように見え、愛国心を満足させてもらえる可能性が高いことが挙げられる。たとえ、その力強さは、アメリカ頼みであったとしても。アメリカに追随して、戦前のように、中国、韓国、北朝鮮に対峙できるような。国際的に高い地位を確保して、愛国心を満足させようと考えているのである。ところが、アメリカの政治指導者は、冷戦時代のソ連・中国と対峙していた頃の考え方をいていないのである。ソ連は崩壊してロシアになり、中国は、今や、アメリカの最大の国債購入国・貿易国となり、アメリカにとって、日本は、アジアにおける共産主義からの防波堤の国から、収奪の国に変わってしまったのである。日本の政治家や官僚は、それに気付かず、いや、気付くのが怖いから気付こうとせず、これまでのように媚びを売って軍隊を置かせるだけでなく、これからは、自衛隊隊を差し出し、アメリカの戦争に追随させようとしているそうとしているのである。ところが、アメリカは、日本を利用し、安価で軍事基地を作り、武器を高く売りつけ、日本の内政に干渉し、徹底的に経済的に収奪しようと考えているのである。それは、アメリカ大統領のの演説から見ても、はっきりわかることである。何かがあれば、真珠湾攻撃を持ち出し、日本を非難するのである。しかも、日本に対して強く出ると主張している候補者が、国民から大きな支持を受けているのである。アメリカが豹変したのではない。世界が変わったのである。アメリカは、その世界の変化に合わせて変えようとしているのである。アメリカは、アメリカの国益を目指して動いているのである。それが、アメリカ人の愛国心である。それを利己主義だと非難する日本人は、自らの愛国心の利己主義に気づいていないだけなのである。愛国心とは自我の欲望だからである。だから、愛国心を盾にして戦争が起きるのである。現代の戦争のほとんどは、愛国心によって引き起こされているのである。人間は、表層心理で、自らを意識して、深層心理が生み出した感情の下で、現実的な利得を求めて、道徳観や社会的規約を考慮し、長期的な展望に立って、深層心理が生み出した行動の指令について、許諾するか拒否するか、思考するのである。人間の表層心理での思考が理性であり、人間の表層心理での思考の結果が意志である。現実的な利得を求める欲望は、自我に利益をもたらし不利益を避けたいという欲望であり、フロイトは現実原則と呼んだ。人間は、表層心理で、自らを意識して、深層心理が生み出した行動の指令を実行した結果、どのようなことが生じるかを、自我に利益をもたらし、不利益を被らないないようにしようという現実原則の視点で、他者に対する配慮、周囲の人の思惑、道徳観、社会規約などを基に思考するのである。人間は、表層心理で、深層心理が生み出した怒りの感情の下で、現実原則に基づいて、相手を殴ったならば、後に、自我に不利益がもたらされるということを、他者の評価を気にして、将来のことを考えて、結論し、深層心理が生み出した過激な行動の指令を抑圧しようと考えるのである。しかし、深層心理が生み出した怒りの感情が強過ぎると、超自我も表層心理の意志による抑圧も、深層心理が生み出した過激な行動の指令を抑圧できないのである。そして、深層心理が生み出した行動の指令のままに、行動してしまうのである。それが、所謂、感情的な行動であり、自我に悲劇、他者に惨劇をもたらすのである。また、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否する結論を出し、意志によって、行動の指令を抑圧できたとしても、今度は、表層心理で、深層心理が生み出した怒りの感情の下で、深層心理が納得するような代替の行動を考え出さなければならないのである。そうしないと、怒りを生み出した心の傷は癒えないのである、しかし、代替の行動をすぐには考え出せるはずも無く、自己嫌悪や自信喪失に陥りながら、長期にわたって、苦悩の中での思考がが続くのである。もちろん。右翼は、自らの政治的な行動を異常だと認識していないから、超自我はがそれを抑圧しないだけでなく、表層心理で、自らの行動を反省することもないのである。右翼は、表層心理で、自らの行動が道徳観や社会規約に照らして、自らの行動が行動が誤っていることも認識しない。在日韓国人や在日朝鮮人が特権を受けているという怒りの感情だけで、「在日は日本から出て行け。」、「在日は死ね。」、「在日を殺せ。」などのヘイトスピーチを繰り返して街頭行進を行ったのである。そこには、そのように大声で叫ばれた人たちの辛い思いを斟酌する気持ちが無いのである。もちろん、右翼は、深層心理が生み出しかた感情と行動の指令通りに行動し、表層心理の思考による抑圧が無いから、苦悩することもない。だから、日本でも、右翼がはびこるのである。政治を、右翼に支持された自民党に委ねれば、日本は戦争に突き進むしかないのである。戦争を起こさないようにするには、自国民の愛国心を抑制し、他国民の愛国心を刺激しないことが最も肝要なのである。愛国心を褒めたたえる人が多いが、それは幼児の思考をした大人である。愛国心を金科玉条にして行動する右翼も、幼児の思考をした大人である。「子供は正直だ」と言って褒めたたえる人は、幼児の思考をした大人である。子供は、自我の欲望に正直に行動するから、菓子やおもちゃを離さず駄々をこね、嫌いな人を集団でいじめるのである。右翼は子供である。愛国心があるからこそ、日本人、ロシア人、中国人、韓国人には、北方四島、尖閣諸島、竹島という島々を獲得しようという支配欲が生まれるのである。また、愛国心があるからこそ、各国に、自国は被害国だから戦わなければ敵国に馬鹿にされるとして、承認欲によって戦争を起こすことを主張する右翼が存在するのである。そして、戦場では、支配欲によって敵国の人間という理由だけで殺すことができるのである。また、戦争が起こってしまえば、国民全体に、国の勝利という一つの目的に向かってと団結するという共感欲が生まれ、勝利を目指して戦うのである。各国の政治権力者はそれを利用して戦争を引き起こすのである。





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