あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

愛という束縛(自我その171)

2019-07-30 19:25:50 | 思想
人間には、愛という感情、そして、それに対する感情として、憎しみがある。しかし、他の感情と同じく、愛も憎しみも、人間は、自らの意志や意識で生み出すことができない。つまり、表層心理で、生み出すことができない。愛も憎しみも、人間の無意識のうちに、心に生まれてくる。つまり、深層心理が、生み出しているのである。しかしながら、世間には、愛を崇高なものと見る風潮がある。映画やテレビドラマでも、愛が題材として描かれることが多い。それは、愛するもののために自らを犠牲にするからである。恋愛は愛する人のために、家族愛は愛する家族のために、愛国心は愛する国のために、母性愛は愛する子のために自らを犠牲にするのである。イスラム教、キリスト教、仏教という宗教でも、愛に対する考え方は異なるが、いずれも愛が絡んでいる。イスラム教は、愛を説かないが、神に対する愛が基本である。キリスト教は、神に対する愛と人間に対する愛(隣人愛)を説く。仏教は、愛を煩悩だとして否定するが、教祖に対する愛、信者同士の愛がある。信者同士の愛といっても、イスラム教、キリスト教、仏教ともに、同一宗教というだけでは、愛は成立しがたく、同一宗派になって、初めて強い愛が生まれる。だから、イスラム教徒は、他の宗教の信者を殺戮するだけで無く、スンニー派とシーア派同士でも殺し合っている。キリスト教徒も、かつて、他の宗教を軽蔑するだけで無く、幾度となく、カソリックとプロテスタントの間で激しい戦争があった。日本の仏教でも、かつて、宗派同士の激しい戦闘があった。だから、愛とは、愛する人のために、愛する家族のために、愛する国のために、愛する子のために、愛する神のために、愛する教祖・信者のために存在するだけであり、普遍的な人類愛に繋がらないのである。愛する人がいる人は憎む人が存在し、愛する家族がいる人は他の家族を憎み、愛する国がある人は他の国を憎み、愛する子がいる人は他の家族の子を憎み、愛する神がいる人は他の宗教・他の宗派の神を憎み、愛する教祖・信者がいる人は他の宗派の教祖・信者を憎むのである。だから、決して、愛とは崇高なものではないのである。愛とは、愛の対象者だけが、利益を受ける仕組みである。しかし、愛の対象者が、愛を受けることを拒むと、ストーカーの被害者になったり、家庭内虐待の被害者になることもある。それは、愛とは、愛の対象者への愛と見せかけながら、真実は、自我愛だからである。言い換えれば、人間は自分しか愛せないのである。人間は、自我、そして、自我を保証する構造体しか愛せないのである。それでは、自我とは、何か。自我とは、構造体における、自分のポジションを自分として認めて行動するあり方である。それでは、構造体とは何か。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体と自我の関係について、具体的に言えば、次のようになる。カップルという構造体では、恋人という自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、国民という自我があり、イスラム教という構造体では、神・預言者(マホメット)・信者などという自我があり、キリスト教という構造体では、神・キリスト・神父(牧師)などの自我があり、仏教の宗派という構造体では、教祖・信者の自我があるのである。人間は、自分が所属する構造体の存続・発展に尽力するが、それは、構造体が消滅すれば、自我も消滅するからである。だから、人間にとって、構造体のために、自我が存在するのではない。自我のために構造体が存在するのである。だから、カップルという構造体を破壊した恋人に対して、ストーカーとなって復讐するのである。家族という構造体で、自分を父として尊敬しない息子・娘に対して、虐待するのである。だから、愛は崇高な感情では無い。愛するものために自らを犠牲にするという行為も、愛する構造体が傷付けられ・破壊されるのを見るのが辛いからである。愛する構造体が傷付けられ・破壊されることは、自我が傷付けられ・破壊されることを意味するからである。確かに、自分の命が失われることを省みずに、我が子を救うために、燃え盛る家の中に飛び込んでいく母親は偉大である。母性愛の為せる業である。しかし、どの母親も、我が子がいじめ自殺事件の加害者になると、自殺の原因を、被害者自身の性格・被害者の家族の問題に求めるのである。これも、また、母性愛の為せる業である。しかし、自我にこだわり、構造体にこだわり、愛や憎しみを生み出すのは、深層心理の為せる業であり、表層心理の所為ではない。人間は、表層心理で(意識して、自ら意志して)、愛も憎しみも生み出せず、もちろん、自我愛も構造体愛も生み出せないからである。深層心理が(人間の無意識のままに)、愛も憎しみも、もちろん、自我愛も構造体愛も生み出しているからである。これが、深層心理が生み出した自我の欲望である。だから、愛する構造体を傷付け・破壊した者に対する復讐の行為も愛するもののために自らを犠牲にするという行為も、(深層心理が生み出した)自我の欲望から発しているのである。確かに、表層心理は、自我の欲望を生み出していないから、復讐の行為も犠牲の行為も自らの意志ではない。しかし、深層心理も表層心理も同じ肉体に宿り、同じ心の中にある。だから、表層心理は、深層心理の欲望の思いが強くてそこから発する行為が過激な場合は、必ず、意識するはずである。そして、その過激な行為が行われた後のことを考慮し、自らの肉体を抑圧し、その行為を行わないようにしなければならないのである。「子供は正直だ」とよく言われるが、それは、子供は自我の欲望に正直に行動するということである。それが許されるのは、子供の思考力や力が乏しいから、自我の欲望に正直に行動しても、大した被害をもたらさないからである。しかし、大人が自我の欲望に正直になると、どうなるか。2005年4月、中国人が、日本の自民党小泉政権の歴史教科書問題や国連安保常任国問題に端を発して、暴徒化し、「愛国無罪」の掛け声の下で、日系スーパーなどが襲撃した。日本人が日本の都合の良いように近代の中国侵略を糊塗するのも、中国人が日系スーパーを襲撃したのも、両者とも、愛国心という自我の欲望に正直だったからである。日本と中国が尖閣諸島という無人の島々の領有権を、日本と韓国が竹島という無人島の領有権を戦争も辞さない態度で臨んでいるのも、愛国心という自我の欲望に正直だからである。日本の安倍政府が、韓国に対して、徴用工問題に対抗して、半導体材料の輸出を規制したのも、韓国民が、日本製品の不買運動を起こしたのも、愛国心という自我の欲望に正直だからである。愛国心という深層心理から湧き上がる自我の欲望を、表層心理が抑圧しない限り、このような子供じみた正直さが行動となって現れるのである。日本でも、韓国でも、中国でも、愛国心という深層心理から湧き上がる自我の欲望を、表層心理が抑圧しない人が多数を占めるようになったのである。それは、アメリカも、ロシアも、ヨーロッパも、同じ傾向にあるのである。このまま、各国民が愛国心という自我の欲望に正直に突き進めば、第三次世界大戦になるだろう。そして、最後には、核戦争になるから、人類は、必ず、滅びるだろう。


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