あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

愛国心に取りつかれた現代人(自我の世界(その8))

2015-12-21 13:50:41 | 思想
愛国無罪というナショナリズムに満ちた言葉がある。愛国心に基づいた行為ならば全てが許されるという意味である。この言葉は、中国の反日運動の際のスローガンに使われたが、判断力の欠いた、幼児性に満ちたスローガンである。しかし、この言葉は、見事に、愛国心の陥穽を表している。現代人ならば、誰しも、自分が所属している国に強い愛情を持っている。それが、愛国心である。現代社会が国際化されたことによる業である。それ故に、国民は、往々にして、愛国無罪を唱えられると、その行為に加担しなくても、一定の理解を示してしまうのである。なおさら、愛国無罪に、反論することなどとてもできそうにない。なぜならば、そうすると、自分自身で、国民としての自分の位置を否定しているような気がし、愛国心を抱いている周囲の人から浮き上がってしまうように思われるからである。日本においても、「俺は日本のためなら何でもする。命も惜しくない。」などと、ナショナリズムに満ちた言葉を吐く人がいる。判断力の欠いた、幼児性に満ちた言葉である。しかし、この言葉に真っ向から反論する人はいない。なぜならば、そうすると、自ら、日本国民としての自らの位置を否定しているような気がし、さらに、日本に愛国心を抱いている周囲の人から浮き上がってしまうように思われるからである。愛国心という言葉は、広辞苑では、「自分の国を愛する心」と説明されている。素朴に、誰しも、このような意味だと思っている。美しい感情のように、誰しも、思っている。そこに、ナショナリストたちが付け込んだのである。日本のためなら命も惜しくないと思っている自分たちが、真に日本のことを思っていると考えているのである。それ故に、彼らは、自らが思っている日本像と異なった考え方をしている人や自らが思っている日本の国益に反した行動をする人を、非国民、売国奴と言って罵るのである。他の日本人も自分たちに従わなければならないと思っているのである。なぜならば、真に日本のことを考えているのは自分たちだと思っているからである。ナショナリストの愛国心はストーカーの恋愛感情に似ている。ストーカーもまた自分が最も相手の女性(男性)を愛し、最も知っていると思い込んでいる。そして、相手に付きまとっている自分は悪くなく、自分のことを受け入れない相手が悪いのだと思い込んでいる。相手が自分の気持ちをどうしても受け入れてくれないとわかったり、相手に新しい恋人ができたりすると、思い余って、相手を殺すことも珍しくない。そして、社会的に罰されるのが嫌で、自分の行為を正当化するために自殺する人も存在する。ストーカーは、相手を真に愛しているのは自分だけだと思っているから、他の人が相手を愛すること、相手が他の人を愛することを許さない。それは、日本を太平洋戦争を突き進ませたナショナリストたちに似ている。ナショナリストたちは、自分たちは命を懸けてまで日本のことを思っているのだと、日本人の愛国心に訴えた。ほとんどの日本人はそれに従った。そして、自分たちの考えに反対する日本人を非国民、売国奴だとして逮捕し、自分の考えに従わない者を逮捕し、拷問にかけ、殺した。殺された者は、わかっているだけでも、八十人以上存在する。ナショナリストたちは、愛国心に訴え、朝鮮半島、中国大陸に侵略し、アメリカ・イギリス・オランダ・中国などに対して太平洋戦争を起こした。そして、愛国心に付け込まれたほとんどの一般民衆は、中国人、朝鮮人、アメリカ人、イギリス人、オランダ人を憎悪した。しかし、戦争に負けた。すると、ほとんどの一般民衆と大多数の日和見主義のナショナリストたちは他の者に責任転嫁して戦後を生き延び、少数の筋金入りのナショナリストたちは、罰せられるのが嫌で、自己正当化するために自決した。そして、日本は、今や、衆参において自民党の絶対多数の安倍政権である。自民党の党是は、現在の日本国憲法を改正し、戦前の大日本帝国憲法に戻すことである。安倍晋三は、根っからのナショナリスである。一般民衆の中からも、知識人の間でも、ナショナリストが跳梁跋扈してきた。情けないことに、そのナショナリストのほとんどが、アメリカ頼みなのである。アメリカに頼って、中国、韓国、北朝鮮に対抗しようと言うのである。他の国に頼るナショナリストなどというのは、本質的には、ナショナリストではないのだが、日本のナショナリストのほとんどがそうなのである。しかし、自民党支配が続く限り、安倍政権が続く限り、安倍晋三のようなナショナリストが首相の座にある限り、日本は、いつでも、戦争に巻き込まれたり、戦争を起こしたりする可能性が高い。マルクスは、「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」と言ったが、日本人は、一度目の太平洋戦争の悲劇で懲りずに、二度目の戦争を経験して笑いものにならない限り、日本の歩むべき道に思い至らないのかもしれない。その時、ほとんどの日本人は、愛国心とはどういうものか、深く反省し、考え直すかもしれない。しかし、その時、日本という国は存在しているだろうか。