あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

ナショナリストについて(自我の世界(その4))

2015-12-12 18:38:15 | 思想
近年、世界中で、ナショナリストが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ・気ままにはねまわり、のさばること。悪人などがわがもの顔に振る舞うことのたとえ。)(大修館 四字熟語辞典)し始めた。日本も、その例外ではない。彼らは、「俺は日本を心の底から愛しているのだ。」とか「俺は日本のためなら命も惜しくない。」とか言う。「在日(在日韓国人・在日朝鮮人)は、日本から出て行け。」と叫び、挙句の果てには、「在日を殺せ。」とまで言う、ヘイトスピーチの集団もその一部とみなされている。ナショナリストの意味を調べる(明鏡国語辞典で)と、「ナショナリズムを信奉する人。」と出ている。そして、同辞典で、ナショナリズムの意味を調べると、「①他国の圧力や干渉を排し、その国家・民族の統一・独立・発展をめざす思想または運動。民族主義。②国家を至上の存在とみなし、個人を犠牲にしても国家の利益を尊重しようとする思想。国家主義。」と出ている。つまり、日本における、ナショナリストとは、日本という国家を至上の存在とみなし、他国の圧力や干渉を排し、日本という国家・日本人という民族の統一・独立・発展を目指し、個人を犠牲にしてでも、日本という国家の利益を尊重しようとする思想家ということになるのである。簡単に言うと、日本のために命を懸ける人ということになる。そうすると、一見、ナショナリストとは、かっこいい人のように思える。また、本人たちもそう思っている節がある。だから、日本を心から愛し、日本のためなら命も惜しくないと言えるのである。しかし、ナショナリストとは、真に、かっこいい人なのか。日本を愛しているのは、ナショナリストと呼ばれる一部の人でしかないのか。ナショナリストしか、真に、日本を愛していないのか。ナショナリストのような愛し方しか、日本の愛し方はあり得ないのか。日本を愛することはそんなに素晴らしいことなのか。そして、日本人の中で、日本を愛していない人は存在するのか。少し、踏み込んで考えると、疑問はふつふつとわいてくる。結論から言えば、決して、日本を心から愛し、日本のために命を懸けることまで考えているから、かっこいいとはならない。決して、ナショナリストと呼ばれる人だけしか、日本を愛していないわけではない。決して、日本を愛することは、素晴らしいことでもなく、また、ひどいことでもない。つまり、日本人として生きている限り、日本を愛することは普通のことであり、それは、本質的に、素晴らしいことでもひどいことでないのである。普通に、身に備わっているものなのである。それが、自我である。日本という国に所属している者の自我なのである。我々は、日本に所属しているから日本人として自我を持ち、日本に所属しているモノ(者と物)を愛するのである。それでは、なぜ、我々は日本人という自我を持っているのか。それは、本質的に、人間は、自分とは異なったった人間に出会った時、心が通い合う、固定の仲間がいないと不安に陥る動物だからである。つまり、我々日本人は、日本人という仲間意識を持つことによって、初めて心が安定するのである。それが、日本人としてのアイデンティティーなのである。アイデンティティについて、ブリタニカ国際大百科事典では、次のように説明されている。「自己同一性などと訳される。自分は何者であるか、私がほかならぬこの私であるその核心とは何か、という自己定義がアイデンティティである。何かが変わるとき、変わらないものとして常に前提されるもの(斉一性、連続性)がその基軸となる。」つまり、我々日本人は、日本人というアイデンティティを持つことによって、自信をもって、現代の国際社会において、日本を基軸とした観点、行動が取れるのである。それ故に、日本人という自我を持つこと、日本という国を愛することは、エゴイズムに繋がり、決して、手放しで褒めたたえることではない。しかし、日本人という自我を持つこと、日本という国を愛することができないということになれば、日本人というアイデンティティが存在しないのであるから、現代の国際社会において、安定した精神構造が得ることができない。それ故に、日本人という自我を持つこと、日本という国を愛するという意識は必要不可欠なのである。しかし、それでは、なぜ、日本人は日本という国を愛していながら、一部の人しかナショナリストにならないのか。それは、外国の人も、自らの国を愛する心を持っていることを知っているからである。ナショナリストのように、自国の利益だけを追求すれば、究極的には、他国と戦争するしかない。中国と領有権を争っている尖閣諸島、韓国と領有権を争っている竹島、ロシアと領有権を争っている北方領土問題がそれである。特に、尖閣諸島と竹島は無人島である。しかし、ナショナリストたちは、これらの島を死守、もしくは、戦争を辞さない覚悟で奪い返すことを主張している。彼らは、現在の国際情勢を見ず、相手国の人々の心情を考慮できない。自らの愛国心のみによって動かされている。言わば、幼児である。自分の好きなおもちゃを買ってもらえないので、その陳列棚の前から離れず、泣き叫んでいる男児に似ている。その男児は、自分の欲望だけに動かされ、家の経済状況を考えることができない。また、子供は正直だとも言う。しかし、状況を考えず、自分の気持ちを正直に言い、行動することを許されるのは子供だけで、それは、大人には許されない。大人が、直情径行(ちょくじょうけいこう・相手のおもわくや周囲の事情など気にしないで、自分の思った通り行動すること。)(広辞苑)に言動すると、周囲に摩擦を生じ、日常生活をスムーズに送れなくなる。確かに、誰しも、普段、自らの言動を抑えて生活しているので、子供の正直さ、ナショナリストの直情径行に憧れる面もあるだろう。しかし、幼児の心情は社会生活の規範になりえない。単なる、一人よがりに過ぎない。幼児性を前面に押し出した生き方は社会性を破壊する。ナショナリストは社会性を破壊する。国内の社会性だけでなく、外国との社会性をも破壊する。もちろん、日本にだけ、ナショナリストが存在するわけではない。世界中、どの国にも、ナショナリストは存在する。それゆえに、どの国も内政が治まらないだけでなく、世界中、紛争が絶えないのである。