あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

ナショナリストの幼児性(自我の世界(その5))

2015-12-15 10:38:23 | 思想
現代は国際化した時代である。それ故に、現代に生きる人間は、ある特定の国に所属し、そして、その国の人々に自分の存在が認められて、安心感を得ることができる。それが、自分の国に対するアイデンティティーである。そして、自分が所属した国が、他国の人々に認められて、初めて、満足感を得ることができる。それが、ニーチェの言う、権力への意志(活動的生命力)である。だから、第二次世界大戦中、ナチスは、民族浄化・領土拡張のために、ニーチェの思想を利用したのである。それ故に、愛国心とは、決して、大仰に振りかざすべきものではない。人間が、ある国に所属していたら、愛国心を覚えるのは当然のことなのである。世界中の人々が、自らが所属している国に対して、愛情を持っているのである。日本人は日本という国に対して愛情を持ち、アメリカ人はアメリカという国に対して愛情を持ち、中国人は中国という国に対して愛情を持ち、韓国人は韓国という国に対して愛情を持っているのである。愛国心について、ブリタニカ国際大百科事典では、「自己の属する政治的共同体(国家)と自己と一体と感じるところに生じる共同体への愛着心。」と説明されている。この説明は至言である。つまり、愛国心とは、国を愛しているように見えて、実際は、自分を愛する心情から発しているのである。言うならば、愛国心とは、自分を愛する心なのである。そして、愛国心を大仰に振りかざすのが、ナショナリストと呼ばれる人たちである。言うまでもなく、ナショナリストとは、ナショナリズムを信奉する人である。明鏡国語辞典で、ナショナリズムの意味を調べると、「①他国の圧力や干渉を排し、その国家・自己の属する族の統一・独立・発展をめざす思想または運動。民族主義。②国家を至上の存在とみなし、個人を犠牲にしても国家の利益を尊重しようとする思想。国家主義。」と出ている。つまり、ナショナリストとは、民族主義者であり、かつ、国家主義者なのである。しかし、民族主義にしろ、国家主義にしろ、それを強引に推し進めれば、他国と戦争になるのは当然のことである。ナショナリストたちは、「俺は日本を心の底から愛しているのだ。」とか「俺は日本のためなら命も惜しくない。」とか言う。しかし、彼らは気づいていないが、彼らが愛しているのは自分自身であり、彼らは自分自身のために命を懸けているのである。また、どこに、彼らの言う日本が存在するのであろうか。言うまでもなく、ナショナリストたちの言う日本とは、彼らの頭の中にしか存在しない日本、イメージとしての日本、日本像である。日本人なら、誰しも、自分なりに、日本に対するイメージを持っている。偶然、共通の日本像を持っている人々は存在するかもしれないが、普遍的な日本像、正しい日本像は存在しない。しかし、彼らは、日本に対する自らの見方は普遍的で、正しいと思い込んでいる。だから、自分たちと考えの違う人の家の周囲で騒いだり、車を取り囲んだり、殺すと脅迫したりするのである。ナショナリストたちは自らのために行動しているのに気づかず、日本人全体のために行動していると思い込んでいるのである。そこから、悲喜劇が生じるのである。そして、ナショナリストたちの行動を、日本人を思う心、犠牲的精神から発していると誤って考えている知識人、大衆が存在するから、彼らが増長するのである。さらに、大半の日本のナショナリストたちの矛盾は、アメリカに対しての考え方である。アメリカが、日米安全保障条約の下で、日本を防衛するという名目で、日本において軍地基地を持っているが、その基地が、朝鮮戦争、ベトナム戦争のために利用されてきたことは、周知の事実である。ナショナリズムが、「他国の圧力や干渉を排し、その国家・自己の属する族の統一・独立・発展をめざす思想または運動」であらならば、ナショナリストたちは、まず、アメリカの軍事基地を日本から排除し、アメリカの日本に対する干渉に対して、反対するべきなのである。ところが、彼らが非難するのは、中国、北朝鮮、韓国、そして、ロシアである。確かに、中国、北朝鮮、韓国、ロシアの政治体制は劣悪である。非難するべき点は多々ある。しかし、世界のどこの国の政治体制がまともであろうか。ナショナリストたちが、「(日本という)国家を至上の存在とみなし」たいのならば、まず、日本の中にある、アメリカ軍基地の撤廃を訴えるべきではないのか。それが、焦眉の急ではないのか。アメリカの力を借りて、中国、北朝鮮、韓国、ロシアに対抗しようなどというのはもってのほかである。ナショナリストとして、風上にも置けない。恥ずべき存在である。