立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

真っ赤な剱岳・・・凍りつく日の夕刻(19日)

2014年01月21日 | Zenblog
 山から日の光が消える寸前の剱岳です。赤さが極まり、剱岳がこの世のものとは思われない凄みを見せた瞬間です。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い薬師岳・・・凍りつく日の夕刻(19日)

2014年01月21日 | Zenblog
 薬師岳が赤く広い雪面を見せて壮観です。左の尖った部分は手前にある鍬崎山が重なって見えているのです。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い鷲岳と鳶山、弥陀ヶ原の上・・・凍りつく日の夕刻(19日)

2014年01月21日 | Zenblog
 時間が経ち周囲が暗くなっていく中で、左の鷲岳(わしだけ)と右の鳶山(鳶山)が赤く染まっています。その直ぐ下に斜めの平地弥陀ヶ原が陰になって見えます。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日没後の平地、高い峰には日が・・・凍りつく日の夕刻(19日)

2014年01月21日 | Zenblog
 日没後の平地は生気を失いました。3000メートル級の立山の峰々だけに、日がまだ当たっています。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日没・・・凍りつく日の夕刻(19日)

2014年01月21日 | Zenblog
 日が沈みます。熱気が感じられなかった太陽なのに、最後は燃えるように沈んで行きます。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷える夕方の街・・・凍りつく日の夕刻(19日)

2014年01月21日 | Zenblog
 夕刻が迫り、斜めから日が射しています。日中も気温は上がらず、夕方になって一段と冷えてきました。街は縮こまって車は帰路を急いでいます。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作品『子を売る図』(1939年)・・・JingShangの四川瀘州への旅(瀘州博物館・2階蒋兆和芸術館)

2014年01月21日 | JingShang君からの上海レポート
 「子を売る図」との題です。1939年の作です。当時の社会状況を描写しています。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作品『故郷に還る』(1946年)・・・JingShangの四川瀘州への旅(瀘州博物館・2階蒋兆和芸術館)

2014年01月21日 | JingShang君からの上海レポート
 これ以降は彼の作品です。蒋兆和芸術館で撮ったものをお見せします。写真(4枚目)は「故郷に還る」との題です。1946年の作です。戦争で流浪して故郷に戻る民衆を描いています。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弟子の描いた蒋兆和、経歴の続き・・・JingShangの四川瀘州への旅(瀘州博物館・2階蒋兆和芸術館)

2014年01月21日 | JingShang君からの上海レポート
 彼の弟子が描いた蒋兆和です。

 彼の説明を続けます。
 1935年北平(北京)にゆき、1936年四川に戻り現代水墨人物画創作を始める。1937年北平に戻り、京華美術学院教授、北平芸術専科学校教師となる。1947年国立北平芸術専門学校の招聘を受ける。新中国成立後は中央美術学院教授となり、現代水墨人物画の創作活動を行うと共に人材の育成を行った。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫人とともに、蒋兆和の経歴・・・JingShangの四川瀘州への旅(瀘州博物館・2階蒋兆和芸術館)

2014年01月21日 | JingShang君からの上海レポート
 写真(2枚目)は彼の夫人と共に撮ったものです。ここで百度百科の蒋兆和に関する説明の要約を下記にしるします。

 蒋兆和,四川瀘州で1904年に生まれた。幼少の頃家は貧しく、1920年に上海へ行き、広告画家や服装デザインをしつつ、西洋画を自習した。1927年南京中央大学の招聘を受けて、図案の教員となった。1930-1932年上海美術専科学校の素描教授となり、臨時青年愛国宣伝隊の抗日宣伝画を描く。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蒋兆和は瀘州出身の著名な画家・・・JingShangの四川瀘州への旅(瀘州博物館・2階蒋兆和芸術館)

2014年01月21日 | JingShang君からの上海レポート
 今日の上海の天気予報は雲が多目の晴れ、最高気温は5度、最低は0度です。

 今日も四川瀘州を続けます。瀘州博物館1階の瀘州陳列館は昨日で終わり、今日から2階の蒋兆和芸術館です。蒋兆和は瀘州出身の著名な画家だそうです。写真(1枚目)は彼の写真です。晩年のもののようです。

標題または画像をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする