おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

青幻記 遠い日の母は美しく

2021-04-23 07:59:45 | 映画
「せ」で始まる映画の第2弾になります。
第1弾は2019/9/1の「青春の殺人者」からでした。
興味にある方はバックナンバーから見てください。

「青幻記 遠い日の母は美しく」 1973年 日本


監督 成島東一郎
出演 田村高広 賀来敦子 山岡久乃 戸浦六宏
   小松方正 藤原釜足 原泉 浜村純
   殿山泰司 三戸部スエ 田中筆子
   新井康弘 伊藤雄之助

ストーリー
わたしは、三十年たった今も、母のことが忘れられない。
ふるさとの沖永良部島を訪れたわたしは、母の幻を見た。
そして、すっかり老いた鶴禎老人に会った。
私は幾晩かをこの老人と語り合い、この老人によって母の過去、そして母がどれほど美しかったか、いまでも語り草になっている敬老会の夜に、母が舞った「上り口説(のぼりくどき)」の見事さを聞かされた。
わたしの追憶も、あの三十年前の情景をありありとよみがえらせていく。
鹿児島での祖父と、祖父の妾のたかとくらしたつらい生活から逃げるようにして、船に乗り、島を初めて見たのは、母が三十歳、わたしが小学校二年生、昭和となってまもない頃だった。
母と祖母とわたしの三人の、貧しくとも温く肩を寄せ合った島の生活が始まった。
母は、学校帰りのわたしを、毎日迎えてくれた。
それよりも、わたしは一度でもいいから、母に抱きしめてもらいたかった。
しかし、母は、病いのうつることを恐れて、決してわたしにふれなかった。
台風のくる頃、海は荒れ、島の食糧は枯れ、灯りの油すら買えず、闇の中でひっそり眠った。
それでも、年に一度の敬老の宴で、村人たちは夜のふけるまで、酒をくみ、踊った。
母の踊りは、かがり火に映え、悲しみをはくような胸苦しいまでに美しい踊りであった。
そして、冬のある晴れた日、サンゴ礁で、草舟を浮かべたり、魚を捕ったりして、半日を遊んだ母とわたし。
それが、母とわたしの最後の日であった。


寸評
カメラマンだった成島東一郎の初監督作品で、僕は学生の頃にこの映画を見たのだが、恥ずかしいことにそれまで沖永良部という島の存在を知らなかった。
「青幻記 遠い日の母は美しく」は、沖永良部島の岩場で海に飲まれるようにして死んだ母の姿を息子の眼で描いた作品で、母子の6か月間の沖永良部島での暮らしと、母の死を経て、成人した稔が36年ぶりに島に帰ってきて、母の骨改めをすませたのち、母の遺骨を東京に持ち帰るまでが描かれている。
主人公は母サワを演じた賀来敦子だが、もう一方の主人公は紛れもなく沖永良部島である。
沖永良部島の背景なくしてこの映画の存在はない。

壮年となった稔が、36年ぶりに故郷に帰ることを思い立ち、ひとり島を訪ねて少年時代を回想するシーンが織り交ぜられて映画は進んでいく。
少年時代の稔を、成人した稔が見つめている構図が度々出てくる。
成人した稔が世話になるニシ屋敷の老人は、かつて母のサワを愛した人でもあった。
稔は幾晩かをこの老人と語り合い、サワの過去、そしてサワがどれほど美しかったか、いまでも語り草になっているサワが舞った「上り口説(のぼりくどき)」のいかに見事であったかを聞かされる。
老人の家、舞を舞う母とその衣装、沖永良部島に咲く美しい花々。
映画を見ている僕は少年の稔と旅をし、沖永良部の浜辺を歩くという一体感に包まれた。

母子はつねに引き裂かれる運命にあって、父は早くに亡くなり、母子は引き裂かれる。
稔は祖父に養育されながらもいじめにあっていた。
母は再婚相手の暴力から逃れるようにして息子の稔を連れ去るようにして、生まれ故郷の沖永良部に帰ってきたがすでに結核を患っていた。
幸せとは言えない人生を送ってきた母子だが、稔は幼くして母を亡くしたからか母を恋いていて、幼い頃の自分と母との出来事を鮮明に覚えている。
稔の記憶にある母は優しいながらも強い母であり、美しい母だ。
稔は島での友人から、「君は、東京で、あまり幸せでなかったようだな。その年になって、まだ、母親がこれほど忘れられんのじゃからな。いろいろ母親に聞いてもらいたいことがあったんだろ」と言われる。
しかしそれでも、そのように慕える母と母との思い出を持つ稔は幸せ者だと思う。
僕は亡き母との思い出をどれくらい持っているだろう。
哀しいぐらい思い浮かばないのだ。
稔のような鮮明な記憶がないことに我ながら驚いてしまう。
出来事の一つや二つは語ることもできるが、それが記憶の中の映像として浮かんでこない。
僕はあまりいい息子ではなかったのかもしれない。

子を恋い、母を恋う物語だが、物語としては迫ってくるものがない。
しかしそれを補って余りあるのが、島独特の風景であり文化だ。
僕に成島東一郎という名前と、沖永良部島を知らしめていつまでも心に残る作品となった。


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2 コメント

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こんなにきれいな母なら (指田文夫)
2021-04-27 08:25:34
私は、41歳の時の子だったので、母は非常に「年寄り」に見えで、嫌でした。
この賀来敦子さんのように、美しい母親だったらなあ、と思いました。
母物映画として、最高だと思います。
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美しい母へのあこがれ (館長)
2021-04-28 07:45:02
私の母は今で言うシングルマザーでした。
小学生の頃は時として父親の役目をすることもあって、男たちに交じり学校行事に参加する母がいました。
訳も分からず女らしい母に憧れた記憶があります。
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