おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

陽炎座

2020-12-12 10:30:52 | 映画
「陽炎座」 1981年 日本


監督 鈴木清順
出演 松田優作 大楠道代 中村嘉葎雄
   楠田枝里子 加賀まりこ 大友柳太朗
   麿赤兒 東恵美子 沖山秀子
   佐野浅夫 佐藤B作 原田芳雄

ストーリー
大正末年で昭和元年の東京、新派の劇作家の松崎春狐(松田優作)は偶然に、美しい謎の女、品子(大楠道代)と出会う。
三度重なった寄妙な出会いを、松崎はパトロンである玉脇(中村嘉葎雄)に打ち明けた。
ところが、広大な玉脇の邸宅の一室は、松碕が品子と会った部屋とソックリ。
品子は玉協の妻では……松崎は恐怖に震えた。
数日後、松崎は品子とソックリの振袖姿のイネ(楠田枝里子)と出会う。
イネは「玉脇の家内です」と言う。
しかし、驚いたことに、イネは、松崎と出会う直前に息を引きとったという。
松崎の下宿の女主人みお(加賀まりこ)は、玉脇の過去について語った。
玉脇はドイツ留学中、イレーネと結ばれ、彼女は日本に来てイネになりきろうとしたことなど。
そして、イネは病気で入院、玉脇は品子を後添いにした。
そこへ、品子から松崎へ手紙が来た。
「金沢、夕月楼にてお待ち申し候。三度びお会いして、四度目の逢瀬は恋死なねばなりません……」金沢に向う松崎は列車の中で玉脇に出会った。
彼は金沢へ亭主持ちの女と若い愛人の心中を見に行くと言う。
金沢では不思議なことが相次ぎ、品子と死んだはずのイネが舟に乗っていたかと思うと、やっとめぐり会えた品子は、手紙を出した覚えはないと語る。


寸評
映像的には絢爛豪華で見所満載だが、正直何が何だかわからず辟易した。
演技は前衛劇の様でもあり、それぞれのシーンは絵画的であったり芸術写真的であったりする。
シュールな映像と演技が続き、一体それが何のためなのかがよくわからない。
芝居小屋で松崎が子供たちのやっている歌舞伎を見て、女に「この芝居の筋はどうなっているのか」と聞くと、女は「あってないようなもの」と答えるのだが、まさにこの映画はそのような感じだ。
従って一つ一つのシーンに限ってみれば映画的だし、その映像を楽しめるのだが、物語として追っかけると頭の中が混乱をきたす。
あらすじは、松崎という劇作家が大富豪の妻や外国人妻と不思議な関係に陥っての道行となるが、最後に不可解なドンデン返しで終わるというものだが、それがどうしたといった内容は語ったところであまり意味がない。

イネはあちらの世界の人なんだろうな。
大富豪の玉脇が心中を見物に出かけるなどと言っているので、現世とあの世の境界をさまよっているようにも感じるのだが、それがはっきりと表れるのが最後の陽炎座の舞台が崩壊していく過程をゆっくりとしかし絢爛たる仕掛けを尽くして描写するシーンだった。
現実としての陽炎座がゆっくりと崩壊してゆくと、冥界と思われっる世界が浮かび上がり、こちら側とあちら側とが逆転してしまう。
このシーンが現世と彼岸の境目となって、玉脇や品子たちは彼岸へと旅立つ。
玉脇が言っていた心中とは松崎と品子の心中ではなく、玉脇自身の心中だったのだ。
品子と心中したと思われた松崎松崎は身体としては生き残ったものの、魂がすでに死んでおり、この世とあの世との区別もつかぬまま、精神はすでにこの世の人ではなくなっているというこのなのだろう。
生と死が同居しているので摩訶不思議な感覚はぬぐい切れない。

品子を巡る松崎と玉脇の三角関係があったかと思うと、松崎を巡る品子とイネの三角関係もある。
品子は松崎と関係を持ったイネに嫉妬するが、それは死人に嫉妬したと言うことなのだろうか。
しかし、恋文を送ったのはイネだから品子の恋にイネは嫉妬して山崎に迫ったと言うことかもしれない。
幽霊と交わった松崎はあの世に近づいて行ったということなのだろうか。
よくわからない。
よく分からなかったのはそれだけではない。
男女関係の魑魅魍魎が人形を使って表現されているが、それを語る大友柳太郎の老人や、松田優作にからんでくる原田芳雄の和田の存在など、僕には理解不能な役回りでよくわからなかった。

前作「ツィゴイネルワイゼン」の二番煎じ的な感じがして、前作ほどの感銘と衝撃を受けなかった。
「ツィゴイネルワイゼン」では生と死が分離されていて、こちらに比べれば複雑でなかったことが、頭の回転の鈍い僕には受けたのかもしれない。
僕はこの作品を評価しないけどなあ・・・。


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