おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

笛吹川

2023-02-15 08:35:02 | 映画
「笛吹川」 1960年 日本


監督 木下恵介
出演 田村高広 高峰秀子 市川染五郎 岩下志麻 川津祐介 中村万之助
   渡辺文雄 中村勘三郎 加藤嘉 織田政雄 松本幸四郎 山岡久乃

ストーリー
戦国時代。甲斐国の笛吹橋の袂に一軒の貧しい家があった。
この百姓家には、おじいと婿の半平、孫のタケ、ヒサ、半蔵が住んでいた。
もう一人の孫は竹野原に嫁いでいた。
おじいは、半蔵がお屋形様(武田信虎)の戦についていき、飯田河原の合戦で手柄をたてたのに大喜びである。
お屋形様に生れた男の坊子(ボコ)の後産を埋める大役を半平が申しつかった。
おじいがその役をひったくったが、御胞衣を地面に埋める時血で汚し、家来に斬られた。
やがて、半蔵もおじいと同じ左足に傷を受け、遂には討死してしまった。
年は移り、ミツの子・定平がおけいを嫁にし、おけいはビッコだったが、よく働いた。
そのうち半平は病死し、歳月は流れた。
定平とおけいの間には長い間ボコが生れなかったが、双子嫁の万丈さんが死んだ日、惣蔵が生れた。
一年を経て、次男の安蔵が生れた。
タケとヒサが死んで惣蔵が三つになった時、ミツが後妻に行った山口屋が大金特になりすぎたためにお屋形に嫉まれて焼打をくった。
ミツは殺され、子供タツは娘のノブを連れて甲府を逃げ出し、定平の世話でかくまわれた。
タツはお屋形様に恨みを抱き、武田家を呪った。
ノブは男に捨てられ、男のボコを生み落したが寺の門前に捨て、死んだ。
やがて、定平とおけいの間には三男平吉が生れ、三人の男の子と末娘ウメを抱え、夫婦はオヤテット(手伝いに行くこと)に出て働いた。


寸評
モノクロフィルムに部分的に色を焼き付ける手法が用いられており、それが僕にとっての「笛吹川」の全てである。
高峰秀子はこの作品で18歳の少女から85歳の老婆までを一人で演じている。
そのために”重ちゃん”と高峰が親しみを込めて呼ぶ小林繁雄を東宝から借り受けることが出演条件だった。
高峰は彼女のエッセイである「わたしの渡世日記」の中でそのことに触れている。

「重の奴、いったいどうやって私の顔を八十五歳の老婆に仕立てるつもりなんだろう?」
私の胸は期待でワクワクしていた。(中略)
「これなァ、プラスチックや」重ちゃんはそう言いながら、ネットリとしたそのプラスチックなるものを私の顔一面に五ミリほどの厚さに盛り上げた。(中略)
出来上がった八十五歳の私の顔を見た木下恵介と楠田キャメラマンが、一瞬ギョッとなって棒立ちになった姿が、私は今も忘れられない。
その後にこんなエピソードも書かれている。
「笛吹川」が封切されたとき、ある人が、私に向かって言った。
「『笛吹川』、観たんですけど、高峰さん出ていませんでしたよ」
「あらやだ、お婆さんが出ていたでしょう? あれ、私です」
「ええっ? あのお婆さんが? ヒェーッ・・・」
そのくらい、重ちゃんのメークアップは巧妙だった、ということである。

若い時を演じる高峰さんのシーンもあったのだが、この映画では主演女優である高峰さんのアップは少ない。
この映画は人気女優を見せる映画ではないのだ。
映画はこの一家の者たちが、武田信虎、武田信玄、武田勝頼という三代の領主が引き起こした戦いによって死に追いやられた物語である。
木下恵介にとっては戦時中に撮った「陸軍」と相通ずる気持ちがあったのだろう。
老婆となったおけいが武田軍に従う息子や娘を見つけ出しては家に帰れと言い寄る姿は、「陸軍」における息子を見送る母親像と重なる。
深読みかもしれないが、武田家は日本国であり、ラストで流されれる旗の武田菱は日の丸なのだろう。
武田信虎の有無を言わせぬ命令によって一家のおじいは殺される。
ある者は手柄を立てて出世することを夢見て足軽となって出ていく。
又ある者は徴兵されるような形で戦地に赴く。
勝っている時は立身出世もあるだろうが、負けが込んでくると悲惨な結末が待っているだけである。
敗軍の兵の一員となって武田家と共に死んでいく。
結局生き残ったのは年老いた定平だけだ。
その姿は日本軍に翻弄されて死んでいった多くの一般庶民に通じるものである。
その意味でこの映画は反戦映画なのかもしれない。
そう思わないと、物珍しさだけで終わってしまう映画だったと言うことになってしまう。
でもあのカラー処理は何の意味があったのだろう?