台風が去ると、たくさんのビニール傘が街中にゴミとして残される。
かつて、傘は、大切に大切にひとつのものを修理して使うものだったはずだが.....
気づけばいつしか、
それを修理してくれる店の姿はどこにもなくなり、
今や傘は『使い捨て』の時代となった。
私が通った、
木造の古い『傘、修理』の店も、
今はもう、ない。
母の郷里で広く食べられている、『もってのほか』は、
美しい紫の菊の花びら。
色よく茹で揚げ、シャキッとさせて。
香りと色を楽しみます。
(黄色はこちら)
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子供の頃、突然家を出て行ってしまった母が、
どこかで私と妹の姿を見たのか、
噂を聞いたのか、
「あまりにみすぼらしいから」と、
傘と長靴を買ってくれたことがあった。
父の不在にかかってきた電話で、母に会いに行き受け取った、
可愛らしい、傘と長靴。
しかしそれは当然、持ち帰れば父の知るところとなり、
私は、こっそり母と会ったことや、モノを受け取ったことを強く咎められ、
それは酷く叩かれたものだった。
「あんな女に!」というのが父の言い分だったのだろうが.....
考えてみれば、幼い子供が別れた母親に会って嬉しくなかろうはずもなく、
逆をいえば、だからこそ父はあれほど激昂したのかもしれない。
茹でたキノコと和えて。
すだちできりっと、もう一種、和えものを添えて。
しかし実は、この、
『子供の頃、久しぶりに会った母から貰った傘と長靴』の件を、
私はついさっきまで、ぽっかりと忘れており。
あの酷く叩かれた時の原因が、
母にこっそり会ったからという理由のみだと、勘違いしていた。
もしかしたら、忘れてしまったのは、
「忘れたかったから」なのかもしれないが、
そう....
その傘と長靴の存在を急に鮮やかに思い出したのは、
店に誰かが残していった、骨の折れたビニール傘を見たからだ。
ああ、そうだ。
確か、あの、母がくれた傘と長靴は、
共通の知人を通して、父から母の元へ返されたのではなかったか。
そのことで私が、どれだけ父に責められたかという、
事実と共に.....。
「だからもう、erimaちゃんに会わないであげて」と。
塩昆布と『もってのほか』で簡単混ぜ寿司。
いい香りと優しい味わいで、おかわりの手が止まらなくなります。
.....傘の骨。
折れた傘の骨は、直せばまた使えるが、
今はもう、誰も修理してはくれない。
母がくれたあの傘は、結局一度も使われることがなかったが.....
それでも30余年が経って、今こうして思い出されているということは、
確かにそれは「私のもの」だったということか。
嬉しげに手にした、ひとときではあっても。
久しぶりに会った母に買ってもらった、可愛らしい傘と長靴。
使い捨てには決して出来ない。
ビニール傘にはない思い出。
.....あの、傘を直してくれる店は、今はもうなくなってしまったが。
古ぼけて鮮やかな記憶だけは、
今もここにある。
痛い、痛い、傘の骨。
どこかに刺さった。
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