猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

傘の骨。

2011年10月10日 09時02分05秒 | ルーツ

 

台風が去ると、たくさんのビニール傘が街中にゴミとして残される。

かつて、傘は、大切に大切にひとつのものを修理して使うものだったはずだが.....

気づけばいつしか、
それを修理してくれる店の姿はどこにもなくなり、
今や傘は『使い捨て』の時代となった。

私が通った、
木造の古い『傘、修理』の店も、
今はもう、ない。

 

母の郷里で広く食べられている、『もってのほか』は、
美しい紫の菊の花びら。
色よく茹で揚げ、シャキッとさせて。
香りと色を楽しみます。
(黄色はこちら

 

~~~~~ 

子供の頃、突然家を出て行ってしまった母が、
どこかで私と妹の姿を見たのか、
噂を聞いたのか、
「あまりにみすぼらしいから」と、
傘と長靴を買ってくれたことがあった。

父の不在にかかってきた電話で、母に会いに行き受け取った、
可愛らしい、傘と長靴。

しかしそれは当然、持ち帰れば父の知るところとなり、
私は、こっそり母と会ったことや、モノを受け取ったことを強く咎められ、
それは酷く叩かれたものだった。

「あんな女に!」というのが父の言い分だったのだろうが.....

考えてみれば、幼い子供が別れた母親に会って嬉しくなかろうはずもなく、
逆をいえば、だからこそ父はあれほど激昂したのかもしれない。

 

茹でたキノコと和えて。
すだちできりっと、もう一種、和えものを添えて。

 

しかし実は、この、
『子供の頃、久しぶりに会った母から貰った傘と長靴』の件を、
私はついさっきまで、ぽっかりと忘れており。

あの酷く叩かれた時の原因が、
母にこっそり会ったからという理由のみだと、勘違いしていた。

もしかしたら、忘れてしまったのは、
「忘れたかったから」なのかもしれないが、
そう....

その傘と長靴の存在を急に鮮やかに思い出したのは、
店に誰かが残していった、骨の折れたビニール傘を見たからだ。

ああ、そうだ。

確か、あの、母がくれた傘と長靴は、
共通の知人を通して、父から母の元へ返されたのではなかったか。

そのことで私が、どれだけ父に責められたかという、
事実と共に.....。

「だからもう、erimaちゃんに会わないであげて」と。

 

塩昆布と『もってのほか』で簡単混ぜ寿司。
いい香りと優しい味わいで、おかわりの手が止まらなくなります。

 

.....傘の骨。

折れた傘の骨は、直せばまた使えるが、
今はもう、誰も修理してはくれない。

母がくれたあの傘は、結局一度も使われることがなかったが.....

それでも30余年が経って、今こうして思い出されているということは、
確かにそれは「私のもの」だったということか。

嬉しげに手にした、ひとときではあっても。

久しぶりに会った母に買ってもらった、可愛らしい傘と長靴。

使い捨てには決して出来ない。

ビニール傘にはない思い出。

.....あの、傘を直してくれる店は、今はもうなくなってしまったが。

古ぼけて鮮やかな記憶だけは、
今もここにある。

痛い、痛い、傘の骨。

どこかに刺さった。

 

 


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