感覚の麻痺 2007年06月09日 15時27分12秒 | 携帯から これはとあるスーパーの一コーナー。 小さな虫に申し訳ないと思いながら、駆除するのならまだしも、『祭』だなんて銘打てるなど… 人間の感覚はどこまで麻痺出来るんだろう。 « 二人のパー子とそれを見守る... | トップ | なにげに忙しい。 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 山瀬まみが… (まきまき) 2007-06-09 22:53:48 一寸の虫にも五分の魂。そんな言葉も昔からあるのにね。無農薬野菜を作り、アシタバちゃんを始めとした虫達とも共存しているerimaちゃんには許しがたい感覚だね。そりゃー、私も、もしも家でゴキブリなんか見つけようものなら決死の思いでなんとか始末をするだろうし、窓からハエが入ってきたりしたらこれまたせっせと追い出そうとする。でも、特売を謳いたいのなら、大セール、大特価、そんな普通の言葉でいいんじゃない?それと、そんな祭りにビニール人形として借り出されてる山瀬まみもかぁいそうだなー。 返信する 前略、ご無沙汰しております2 (まっちゃん★) 2007-06-11 23:57:22 麻痺してるのは買い手の主婦(私)かもしれないなぁって。erimaさんの言うとおりやねんけど子供がこの間、虫に刺されてボコボコに腫れて帰ってきて学校やらそこらじゅう殺虫剤まきまくろうかと思ったもん。それにね、売り手(メーカー)は大セール、大特価なんて言葉に慣れてしまった主婦(私)によりインパクトを与えて殺虫剤商戦をいち早く頭一つ先を行きたいんやと・・・それには働いている社員の家族を路頭に迷わすわけには行かないし・・・それにね、こういう業界(殺虫剤メーカーだけでなく)は供養してるって聞いた事があるよ。きっと主婦(私)が麻痺してるんやと思う。ココに来ると本当に人間の原点を思い出します。ありがとう。 返信する 一番怖いこと (erima) 2007-06-12 01:31:15 まきまき様私が一番怖いと思うのは、こういう感覚の麻痺。何気なく使っている言葉で、段々心が不感症になってゆくというか、言葉に抵抗がなくなることによって、その行為にも抵抗がなくなるってことなの。そりゃね。私だって『害虫』と呼ばれる虫を殺すこともある。ちゃあこのご飯に一瞬でも子を産みつけられては大変と、ハエを追い出しきれないときなんかは、叩いて殺したりもするわ。薔薇にアブラムシが大発生すれば、それも『駆除』するし、何も「自分だけ殺していない」と言うつもりもない。でも、虫を殺すことがあたかも良いことであるような、この幟にはものすご~く違和感を感じるのよね。ホント、日本はまきまき様の言うとおり、一寸の虫にも五分の魂って言葉がある国なのに、それを忘れたのかしら?だいたい、何より怖いのは、この幟を作る過程で、誰も異議を唱えなかったのかしら、ということよ。そして、ここを通る人も、この幟に何も違和感を感じなかったのかしら、と。他社よりもインパクトを持ちたいがために、越えてはいけない一線を越える。マスコミでもなんでもそうだけど、利益のために日本人が捨てたものはあまりにも大きいと思うわ。ホント、山瀬まみもかわいそう。 返信する お元気でしたか?2(笑) (erima) 2007-06-12 01:47:57 まっちゃん★様まきまき様へのお返事にも書いたけど、私もね。まっちゃん★と同じで、我が子を守る為にはやはり『害虫』を殺したり、『駆除』したりするのだと思う。実際ちゃあこのためには迷わずハエを叩いたりするし、アリが大挙してベランダに上ってくれば、ご近所に迷惑がかからないように、駆除の薬を置いたりするし。でも、きっとそれにはいつも申し訳ないという思いが必要で、虫の命も私たちの命と同じ『命』であるという思いだけは忘れてはならないんだと思う。ちょっとした感覚の麻痺は、さらなる麻痺を呼び、だんだんと人間は不感症になってゆくから。いつだか読んだ、仏教の本に『小さな命を奪ってはいけないというのは人間には不可能だけれども(食べなきゃいけないし、病気を防ぐ為に虫なんかも駆除しなきゃいけない場合もあるし)、だからこそその命を奪ってしまったことに、心からごめんなさいの気持ちを持たねばならない。そのごめんなさいと思う気持ちを持つことが重要なのだ』というようなことが書いてあったのね。私には、この大売出しの幟を責める資格なんかないとは思うけど、こういうところに違和感を覚える感覚だけは失くしたくないと思う。ホント、偉そうなこと言える立場ではないんだけどね~。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
そんな言葉も昔からあるのにね。
無農薬野菜を作り、アシタバちゃんを始めとした虫達とも共存しているerimaちゃんには許しがたい感覚だね。
そりゃー、私も、もしも家でゴキブリなんか見つけようものなら決死の思いでなんとか始末をするだろうし、窓からハエが入ってきたりしたらこれまたせっせと追い出そうとする。
でも、特売を謳いたいのなら、大セール、大特価、そんな普通の言葉でいいんじゃない?
それと、そんな祭りにビニール人形として借り出されてる山瀬まみもかぁいそうだなー。
それにね、こういう業界(殺虫剤メーカーだけでなく)は供養してるって聞いた事があるよ。きっと主婦(私)が麻痺してるんやと思う。ココに来ると本当に人間の原点を思い出します。ありがとう。
私が一番怖いと思うのは、こういう感覚の麻痺。
何気なく使っている言葉で、段々心が不感症になってゆくというか、言葉に抵抗がなくなることによって、その行為にも抵抗がなくなるってことなの。
そりゃね。私だって『害虫』と呼ばれる虫を殺すこともある。
ちゃあこのご飯に一瞬でも子を産みつけられては大変と、ハエを追い出しきれないときなんかは、叩いて殺したりもするわ。
薔薇にアブラムシが大発生すれば、それも『駆除』するし、何も「自分だけ殺していない」と言うつもりもない。
でも、虫を殺すことがあたかも良いことであるような、この幟にはものすご~く違和感を感じるのよね。
ホント、日本はまきまき様の言うとおり、一寸の虫にも五分の魂って言葉がある国なのに、それを忘れたのかしら?
だいたい、何より怖いのは、この幟を作る過程で、誰も異議を唱えなかったのかしら、ということよ。
そして、ここを通る人も、この幟に何も違和感を感じなかったのかしら、と。
他社よりもインパクトを持ちたいがために、越えてはいけない一線を越える。
マスコミでもなんでもそうだけど、利益のために日本人が捨てたものはあまりにも大きいと思うわ。
ホント、山瀬まみもかわいそう。
まきまき様へのお返事にも書いたけど、私もね。まっちゃん★と同じで、我が子を守る為にはやはり『害虫』を殺したり、『駆除』したりするのだと思う。
実際ちゃあこのためには迷わずハエを叩いたりするし、アリが大挙してベランダに上ってくれば、ご近所に迷惑がかからないように、駆除の薬を置いたりするし。
でも、きっとそれにはいつも申し訳ないという思いが必要で、虫の命も私たちの命と同じ『命』であるという思いだけは忘れてはならないんだと思う。
ちょっとした感覚の麻痺は、さらなる麻痺を呼び、だんだんと人間は不感症になってゆくから。
いつだか読んだ、仏教の本に『小さな命を奪ってはいけないというのは人間には不可能だけれども(食べなきゃいけないし、病気を防ぐ為に虫なんかも駆除しなきゃいけない場合もあるし)、だからこそその命を奪ってしまったことに、心からごめんなさいの気持ちを持たねばならない。そのごめんなさいと思う気持ちを持つことが重要なのだ』というようなことが書いてあったのね。
私には、この大売出しの幟を責める資格なんかないとは思うけど、こういうところに違和感を覚える感覚だけは失くしたくないと思う。
ホント、偉そうなこと言える立場ではないんだけどね~。