柔らかく光を映すものたち。
旧東海道で写真を撮ろうと、
のどかな田園風景にカメラを向ければ、
そこには必ず、現代的なものが写りこむ。
電線、電柱、ガードレール、
重機にパイロン、ビニールシート。
勝手に往時を偲び『たがり』ながら、
「邪魔だなぁ」などと、
様々にアングルを変えれば、
いつも、日射しに反射する、
キラキラしたものの存在に気が付く。
【赤坂宿】にある『大橋屋』さんは、無料公開されているかつての旅籠。
建物を寄贈された方からの条件は、
「出来得る限り現代的なものを置かないこと」だったそう。
運営されている自治体共に、本当に凄い。
あれは車のフロントガラス。
そして民家の窓ガラス。
何かしら、大きく、固そうな鉄骨たち。
工場の施設?
ショーウィンドウ?
ああ、そうだ。
何かが違うと思う『根っこ』。
きっと昔は、こんな風に硬い光は、
なかったに違いないのだ。
紙と木と布と、石と少しの金属で、
何もかも出来ていた時代には、
およそこんな風に、キラキラするものは、
刃物をのぞいては、
なかったのではないか、と。
【有松】は宿場ではないものの、これまで歩いてきた中で、
最も面影を残す場所のひとつ。
のれんに見られるように、『有松しぼり』で栄えた町。
水は形を変えるものだから、
反射をしても、柔らかいだろう。
おそらく鏡すら、当時の素材じゃ、
映す光を優しくしたはず。
...なのに。
なのに。
新しい時代は硬い。
...私たちが望んだものは。
旧東海道の顔は様々。
豊橋はブラックサンダーのご当地!
安全安心、便利で清潔。
食べるものに溢れ、
あっという間に移動も出来る。
新しい疫病のせいで時間が出来て、
歩いてみたら、
見え、聞こえ、感じること。
溢れる光の中で、想像してみる。
「硬い光のない世界はどんなだったろう?」
便利でも清潔でもなかっただろうけど、
美しかったろうな。
街道脇に据えられた、
解説板の浮世絵の中。
旅人は暢気に、ユーモラスに憩う。
顔はいろいろ変わっても、そこはいつも『人の暮らす場所』
この旅もたくさんの人と出会い、親切にして頂き、
益々、「おかげさまで」が、日焼けした身に沁みる。
まだまだ続きます。
(※写真は順不同です)
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