猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

この世の果て。

2011年10月21日 16時24分03秒 | ルーツ

 

ひっそりとして、猫にとってはすてきな棲家。

 

子供の頃。

「ここをまっすぐどこまでも歩いたら、どこへたどり着くだろう?」と、
友達と二人、歩いてみたことがあった。

一緒によく遊ぶ近所の、わりかし大きな道を選んで、
出来るだけ馴染みのない、方向を目指して。

あれは.....

確か小学校の、3年か4年の頃だろうか。

『まっすぐ』といったのは、当然、広範囲の土地勘や、
自力で帰路を探索する力のない自分たちが、
無事に最後に家に帰り着くための、精一杯の、子供ながらの知恵だ。

当時の彼女と私は、まるで男の子みたいで、
日頃から巨大な操車場脇の水路でザリガニを獲ったり、
木に登ったりしていたが。

その頃はいたく、『俺は鉄兵』という、男の子のためのアニメが気に入っており、
よく、大声で主題歌を歌っては、棒など振り回し、
自分たちなりの『冒険』を繰り返していたものだった。

そしてそんな中でも、「まっすぐ行ってみよう」は、
一番大きな冒険であり。

夕方には家に帰らねばならない子供の、
精一杯の、勇気を振り絞った試みではあった。

だんだん見覚えのない景色となってゆく『旅路』の不安と、
その先で何に出会うのかというドキドキ感.....

私たちは、ひたすら歩き続け、
ついに、『この世の果て』にたどり着いた。

まっすぐ続いた道は、いきなり土手にぶち当たり.....

もうそれ以上は進めなかったのである。

 

ちゃあこ、アートだって。
わかる?

 

そして、そこで私たちはそれを見た。

土手の先に何があるのか見極めようとして、
登った先で、見たこともない。

深い深い鼠色の、
どこまでも暗い鼠色の、
一面に広がる、バラック小屋の群れを。

土手の向こうの河川敷に、
隙間もなく建ち並ぶバラック小屋の屋根と、
濁ってゆるゆる流れる広い川は.....

おそらく冒険の終わりには、相応しかったのかもしれず。

子供心に衝撃を与え、何か、見てはいけないものを見てしまったような、
心が咎めるような、そんな『成長』を、瞬時に与えたのだった。

行く道には一点の曇りなく、はしゃいでいた心に、
帰路には少し影を差しかけ、
けれど、なぜそんな思いがするのか、わからないままに.....。

そこで土手に立ちつくした私とその友達が、
目の前の光景について何と話したか、
もう覚えてはいないが。

私たちが大きくなり、そこで見たものがなんであったのか知った頃には、
河川敷はすっかり「きれい」になってしまって、
過ぎてしまえば、あれは、もしかして幻だったのではないかと、
そんな疑念まで抱かせる。

しかしそれは、確かにその時代にあったものであり。

鼓動や静止や蠢くものが、その先にたくさんあったのも、
紛れもない事実だと思う。

そこから生まれたたくさんの物も.....

そこを見た者から生まれた、たくさんの物も.....

そしてだからこそ今。

私たちが見たものとは少し違うかもしれないとしても、
最近の子供たちが、「明日のジョー」など見て、何を思うのか。

少し気になる。

泪橋やドヤ街はすでに『時代劇』なのかもしれない、と。

あの冒険の日からしばらく経って、
その後時代はバブルを通過、
今や、あの河川敷周辺には、小綺麗なマンションばかりが建ち並んでいるが。

思い出はそのままでも、
面影はすっかり塗りかえられ.....

あの日、家に帰り着いた私が、家族に何を話したのか。

その記憶もすでに、ない。

 

ちゃあこ、あれが『トンネル』っていうんだよ
あの向こうには何があるんだろうね?