ひっそりとして、猫にとってはすてきな棲家。
子供の頃。
「ここをまっすぐどこまでも歩いたら、どこへたどり着くだろう?」と、
友達と二人、歩いてみたことがあった。
一緒によく遊ぶ近所の、わりかし大きな道を選んで、
出来るだけ馴染みのない、方向を目指して。
あれは.....
確か小学校の、3年か4年の頃だろうか。
『まっすぐ』といったのは、当然、広範囲の土地勘や、
自力で帰路を探索する力のない自分たちが、
無事に最後に家に帰り着くための、精一杯の、子供ながらの知恵だ。
当時の彼女と私は、まるで男の子みたいで、
日頃から巨大な操車場脇の水路でザリガニを獲ったり、
木に登ったりしていたが。
その頃はいたく、『俺は鉄兵』という、男の子のためのアニメが気に入っており、
よく、大声で主題歌を歌っては、棒など振り回し、
自分たちなりの『冒険』を繰り返していたものだった。
そしてそんな中でも、「まっすぐ行ってみよう」は、
一番大きな冒険であり。
夕方には家に帰らねばならない子供の、
精一杯の、勇気を振り絞った試みではあった。
だんだん見覚えのない景色となってゆく『旅路』の不安と、
その先で何に出会うのかというドキドキ感.....
私たちは、ひたすら歩き続け、
ついに、『この世の果て』にたどり着いた。
まっすぐ続いた道は、いきなり土手にぶち当たり.....
もうそれ以上は進めなかったのである。
ちゃあこ、アートだって。
わかる?
そして、そこで私たちはそれを見た。
土手の先に何があるのか見極めようとして、
登った先で、見たこともない。
深い深い鼠色の、
どこまでも暗い鼠色の、
一面に広がる、バラック小屋の群れを。
土手の向こうの河川敷に、
隙間もなく建ち並ぶバラック小屋の屋根と、
濁ってゆるゆる流れる広い川は.....
おそらく冒険の終わりには、相応しかったのかもしれず。
子供心に衝撃を与え、何か、見てはいけないものを見てしまったような、
心が咎めるような、そんな『成長』を、瞬時に与えたのだった。
行く道には一点の曇りなく、はしゃいでいた心に、
帰路には少し影を差しかけ、
けれど、なぜそんな思いがするのか、わからないままに.....。
そこで土手に立ちつくした私とその友達が、
目の前の光景について何と話したか、
もう覚えてはいないが。
私たちが大きくなり、そこで見たものがなんであったのか知った頃には、
河川敷はすっかり「きれい」になってしまって、
過ぎてしまえば、あれは、もしかして幻だったのではないかと、
そんな疑念まで抱かせる。
しかしそれは、確かにその時代にあったものであり。
鼓動や静止や蠢くものが、その先にたくさんあったのも、
紛れもない事実だと思う。
そこから生まれたたくさんの物も.....
そこを見た者から生まれた、たくさんの物も.....
そしてだからこそ今。
私たちが見たものとは少し違うかもしれないとしても、
最近の子供たちが、「明日のジョー」など見て、何を思うのか。
少し気になる。
泪橋やドヤ街はすでに『時代劇』なのかもしれない、と。
あの冒険の日からしばらく経って、
その後時代はバブルを通過、
今や、あの河川敷周辺には、小綺麗なマンションばかりが建ち並んでいるが。
思い出はそのままでも、
面影はすっかり塗りかえられ.....
あの日、家に帰り着いた私が、家族に何を話したのか。
その記憶もすでに、ない。
ちゃあこ、あれが『トンネル』っていうんだよ
あの向こうには何があるんだろうね?