ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

多幸感について

2020-09-13 12:37:44 | 日記
他人(ひと)様が書いた日々のブログを読むのは楽しいが、書き手の思い入れを理解するのには、それなりのリテラシーが要る。たとえば、私がほぼ毎日読ませてもらっているブログに、こんな文章が書かれていた。

「毎日いろいろなことから随所で感謝 感謝いっぱいの生活を続けているが、今日は先日のMRI検査診断をYCHへ聞きに行った。(中略)
報いを覚悟していた診断結果に再び感謝の涙を流した。 
75歳にして人生をやり直せることにただただ感謝の涙でいっぱいだ。」

どんなことにもひたすら感謝、感謝、・・・感謝の嵐。普通に読めば、「この人、なんておめでたい人なのだろう」と思う。「この人、何かの宗教ーーオメデタ教ーーにでも洗脳されているのだろうか」という疑問すら湧いてくる。

だがそうではない。この人の思いの丈は、(別の日に書かれた)次のような文章によく表れている。

「生き急いでいるわけでもなく、今のこの時間を大切に感謝して精いっぱい生き生きと自分らしく そして悔いのない人生を・・ と自分はそう思って一日を生きている・・ つもりだ。」

ここには、この人の生の実感が示されている。生きている時間の、その一瞬一瞬が充実し、歓びに充ちあふれている。「この一瞬一瞬の生は、神仏に感謝したくなるほど、それほど素晴らしい!」ここに示されているのは、そういう歓喜の気持ちなのだ。羨ましいというしかない。

これは、老人に特有の「多幸感」という奴なのかもしれない。Wikipedia を見ると、「多幸感」の項目には次のような説明がある。

「多幸感(たこうかん、英語: Euphoria)、ユーフォリアとは、非常に強い幸福感、ウェルビーイングのことである。 特定の自然報酬、有酸素運動、笑い、音楽の聴取、作曲、ダンスなどの社会的活動は、多幸感を引き起こしうる。
愛情による至福感や、競技で勝利したときの陶酔感、オーガズムは、多幸感の例である。 また、多幸感は宗教的儀式や瞑想によっても生じうる。 特定の薬物の副作用として生じる場合もあり、また、精神や神経の疾患によって生じる場合もある。 高齢者が自然と感じるようになる幸福感も多幸感の一種とされる(老年的超越)」

なぜこのような文章を引用したのかというと、多幸感が「特定の薬物」の摂取によっても生じるという周知の事実が、ここには記されているからである。この文章を読んで大方の読者が連想したように、先日、俳優の伊勢谷友介氏(44)が大麻取締法違反容疑で逮捕された。マスコミはご多分にもれず、連日この話題を取りあげているが、嘆かわしいことに、マスコミの報道には「なぜいけないのか?」の問いが決定的に欠けている。

Q:なぜ大麻の所持はいけないのか? A:それは、大麻取締法に違反するからである。Q:では、大麻取締法はなぜ定められたのか? A:それは、大麻の所持がいけないからである。

これは、堂々めぐりのトートロジー以外の何ものでもない。私は以前、本ブログで大麻取締法の法的根拠について、次のように書いたことがある。

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「この種の事件が起こるたび、いつも思うのだが、コカインなどの違法薬物はなぜ『違法』薬物とされ、使用が禁止されるのだろうか。使用していたことがバレて逮捕されると、当事者はなぜ極悪人扱いされなければならないのだろうか。(中略)
いろいろ調べてみると、国家が麻薬の使用を禁止する理由は、行き着くところ、それが国益に反することにあるようだ。日本で「大麻取締法」が制定されたのは、昭和23年(1948年)のことであるが、このときに行われた衆院厚生委員会での法案審議で、当時の厚生大臣・竹田儀一はこの法律の目的について、次のように説明している。
「誠に麻藥の取締りの如何は民族の興亡に影響するといつても過言ではありません。從つて麻藥の害毒を排除しつつ一方医療上学術上必要なものを確保し以て國民医療の完璧を期するためには、國内的にも國際的にも適切且つ強力な施策が講ぜられなければならないことは申すまでもありません。」
たしかに、大麻を摂取して、国民の大半がまったりした気分になり、働く意欲を失えば、産業も社会も活気を失い、経済は停滞するだろう。それだけではない。自衛隊員の大半がドラッグにハマり、部隊の士気が衰えたりすれば、国家の防衛は一体どういうことになるのか。」
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要するに、「麻薬は多幸感をもたらす。多幸感は壮年の勤労意欲を削ぎ、若者の戦闘意欲を削ぐから、国益に反する。したがって麻薬の摂取は厳しく取り締まらなければならない」という理屈である。

ーーあ、そこのあなた、日々多幸感に浸っている、幸せなそこのあなた、あなたは別に心配しなくてもいいんですよ。あなたがた年寄りが多幸感に浸っても、国家社会には何の影響もありませんから。リタイアした人の多幸感は、大きなインフルエンサーである芸能人の場合とは訳が違うのですから。
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