ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「不都合な真実」に向き合う

2019-06-11 15:07:47 | 日記
「汝自身を知れ」。
この言葉は、古代ギリシアのアポロンの神殿にかかげられていた格言である。「無知の知」というソクラテス思想の核心を端的に言い表す標語としても名高い。

しかしながら、言うは易く行うは難し。自分自身を知ることはそう容易ではない。そのことを教えてくれたのは、OT(作業療法士)のMさんである。Mさんが撮ってくれた動画のお陰で、私は、自分に関わる「不都合な真実」というか、自分がはしなくも抱え込んだ「忌々しい現実」に気づかされたのだった。

電動車椅子 Whill の操作にもだいぶ馴れた近ごろ、私の「電動お散歩」はほぼ独り立ちの段階に達したが、これまでの経緯(いきさつ)もあり、大事をとって、私は今でもMさんに「電動お散歩」の付き添いをしてもらっている。Mさんは暇を持て余したのか、それともサービス精神からか、Whill に乗って街路を疾駆し、あるいはお店で買い物をする私の姿を、動画に撮り、それをLine で私のスマホに送ってくれるのである。

問題は、その動画に映し出された〈真実〉である。Mさんは背後から、私を見下ろす形でスマホを構えるので、どうしても私の頭頂部が動画の主要な部分を占めがちになる。それを見て、私は愕然とした。自分の頭がこんなにもハゲ上がっていたとは! これではまるで70代のジジイではないか!ーーとはいえ、冷静になってふり返れば、当の私は実際、なんともうすぐ70歳である。その意味では、私の頭髪の状態は年相応とも言えるのだが、ただ、それは私の自己認識とはだいぶズレがある。自己認識からすれば、私はそれほど老いぼれであるはずはないのだ。

そんな自己認識が誤りもしくは幻想(もしくは妄想)であることを、その動画は私に教えてくれた。Mさんが撮ってくれたLine の動画は、私が「老いぼれのジジイだ」という私自身の「不都合な真実」を、否応なく私の心に突きたてたのである。

幸か不幸か、自分の頭頂部は自分では見られない。それ以外にも、自分で見られないものはたくさんあるに違いない。自分の内蔵だとか、自分の尻の穴だとか、自分の脳みその状態だとか・・・。そういうことを考えれば明らかだが、自分の真実の大半は、自分自身の目には覆い隠されている。「自分自身を知る」ことは、いかに難しいことか。もしかしたら、私自身の目に見えないところで、死神は私にそっと忍び寄っているのかも知れないのである。それが老いということなのだろう。参ったなあ。
コメント
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