ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

引きこもりと老親たちの闇

2019-06-06 11:42:14 | 日記
這えば立て立てば歩めの親心。我が子の健やかな成長を願わない親はいない。その願いは尽きることがない。五体満足であれば、次は有名進学校へ、有名大学へ、そして有名企業へ・・・。

ところが、子供ほど親の思い通りにならないものはない。これもまた事実である。有名進学校に入学できたと思って喜んだのも束の間、彼はいつか不登校になり、とうとう引きこもりになり・・・。

引きこもりの息子/娘を持った父親/母親の気持ちは、察して余りある。父親/母親は、川崎登戸の小学生殺傷事件を思い浮かべ、「我が子も、もしや・・・」と心配を募らせる。

登戸の事件を受けて、年配の引きこもり者を可能的犯罪者(犯罪者予備軍)とみなす風潮が湧き上がった。年配の引きこもりを持つ高齢の親自身がこの風潮に影響され、いたたまれない肩身の狭い思いをしている。そういうやるせない現実がある。

そんな親たちにとって、毎日新聞の社説《ひきこもりと家族 異端視する風潮を案じる》(6月5日)は、心強いエールのように響くだろう。社説は次のように書いている。
「(ネットには)ひきこもりを犯罪者予備軍のように見る意見があふれ、論争が起きている。
しかし、ひきこもりだからといって事件を起こすわけではない。家庭内暴力や『ぶっ殺す』など物騒なことを口走ることがあったとしても、ひきこもりの人が家族以外の他者に危害を加えることはめったにない。」

引きこもりはハンセン病などと同じで、忌避すべき病気ではない。この社説はそう訴えている。引きこもりの子を持った親は、要介護者をかかえる一般の家族と同様、臆することなく社会のサポートを受ければよいのだ。
「家族に過度な自己責任を求める社会の価値観も変えなければならない。子どもが中高年になってまで、老いていく親が全責任を背負っている現状を改善しよう。家族や本人が安心してSOSを発することができる社会にしなくてはならない。」

まずもって大事なのは、引きこもり者を危険人物視する、目下の社会的偏見をぬぐい去ることである。「偏見や異端視はかえって本人や家族を追いつめることになる。冷静で正しい情報を社会が共有することが大切だ」と毎日の社説は主張する。

う〜む、この社説、「禿同!」(激しく同意!)と言いたいところだが、正直に言うと、私は若干の違和感を禁じ得なかった。本ブログで何度か書いたように、私は実のところ「引きこもり大好き人間」である。その私から見ると、この社説の、引きこもり者に対する上からの目線がどことなく気になるのだ。引きこもり者と、引きこもり者をかかえる家族を、庇護すべきバルネラブルな存在とみなすことで、この社説は引きこもり者を逆差別していないだろうか。

障害者を見る健常者の視線に、私はつい不遜なものを見てしまう。これは障害者の僻みなのかも知れないけれど。
コメント
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