どうも!ゆるちょです!
いやあ、今日、二本目の記事ですが、まあ、今日は、
「江」は、「信長の秘密」だそうですから、
まあ、信長について、いろいろわかったことを、書いてみましょうか。
まあ、信長論考!の他にも、いろいろ記事にしてきましたからねー。
「わたしは、自分だけを信じるものである」
というセリフがどうも、あるようですが、これ、まあ、よく信長要素を現していますね。
信長、というひとを考えてみると、まあ、彼の時代に大学があったわけではないし、
どういう教育がなされたかは、具体的にはわかりませんが、
多くの文献を読んだところからわかるのは、彼は、超経験主義の論考者だった、ということです。
彼は実証主義でもあり、例えば、ある池に守り神の大蛇がいる・・・なんてことを聞くと、
「水をかきだせ!」
とやる。そして、水を全部かきだすのは、無理となると、自分が潜っていって、中を全部調べて、
「うん。そんな守り神なんぞ、おらん」
と、確信する。まあ、すべてに渡って、そういう感じなんですけど、
おもしろいのは、このひと、火起請を信じていたり、するんですね。
火起請ってのは、嘘をついたのではないか、と疑われる人物に、火のついた炭を持たせ、
「あちっ!」
と熱がったら、うそつき。へーきな顔をしていたら、本当のことを言っている・・・と判断するもので、
現代の僕らから言えば、
「根拠ねーじゃん!」
と、ツッコミをいれるものなんですが、信長は、多分、それに類する経験をしていて、
この火起請が、案外、的を得ている、と思う経験をしたんだと思うんです。
例えば、簡単に嘘をつくような奴は、精神の鍛錬もできていないから、結果的に、熱がった、とか、
結果的に嘘かもしれないけど、その人間は、それは、本当のことだ、と強く思っている、精神的に強い人間は、
熱がらない、という事実があったりして、結果的に、火起請が、的を得ていたのかもしれません。
僕はこれに類することって、すごく多くあると思っていて、まあ、僕らは知識として、火起請を、
「根拠なし」
と見ますが、経験的には、案外あっているかもしれない・・・いろいろな事実が組み合わせって、経験的にこれは、正しいんだと
言える、信長こそ、非常に合理的なんですね。
自分が経験しているから、経験から、モノを言うから、いろいろなモノが見えていたのが、信長です。
僕は理系の世界に長く身を置いていた、特にコンピューターについては、マスターまで行って勉強したので、
実はコンピューターは、単にひとが教えたやり方をマスターするだけの、真似しんぼ機械にすぎないことを知っています。
だから、考える、ということのメカニズムが解き明かされなければ、人工知能なんて、永遠にできないことを知っています。
なぜなら、真似しかできないからです。
人々が科学と言っている知識なんて、大自然のほんの、0,00何%くらいしか、解き明かしていないと思っています。
だから、
「これは、科学的には、考えられない」
なんて、科学者のおっさんが言っていますが、
「そりゃ、自然への冒涜的な言説だ!」
と、僕は思っています。
「まーだ、何もわかってないくせに、無い頭で、なーにを言っているんだ」
と、思っているんですね。
だから、火起請が、実は的を得ているかもしれない、という仮説は、確実に否定できない。
それより、何らかの経験が、信長に、火起請は、結果的に、信じられると教えて、それを信じているとしたら、それこそ、経験至上主義で、
「ブレてない」
ってことになるんですね。
だから、彼は、ひとの言う事なんて、聞かないんです。
自分が経験したことのみ、それを至上の価値として、情報にしていたんですねー。
そして、僕の論考からは、彼は、
「日本を平和にするには、どうしたら、よいか?」
という質問から、自分の考えを出発させた、論考者だ、ということを結論としています。
「そのためには、俺が、この日本を占領すればいい」
と、なって、
「そのためには、俺が、この日本で最大の軍事力を握る必要がある」
「そのためには、全国平定に力を貸してくれる、能力者をたくさん、自分の元に、集める必要がある」
「そのためには、俺は、血筋、家柄に関係なく、能力者を見極め、適材適所に配置し、奴らが喜ぶ、俸禄をあげる必要がある」
「そのためには・・・」
そうやって、いろいろ考えた結論、
「まず、尾張をこの手にすることだ」
から、やり始めた人間だ、ということがわかっています。
つまり、彼は、大目標をまず、設定し、それについて、論考しまくり、まず、やるべきことを見出し、それをひとつひとつ、具現化していった人間だ、
ということが、わかるんです。
だから、彼は、一歩一歩着実に、成果をあげていった。
ここで、大事なのは、大目標が既に規定されている、ということなんですね。
その目標のためになるか、どうかを常に判断していけば、いいから、最短距離を走れるんです。
信長は桶狭間の戦いで、今川義元を破っていますが、この時、宝の山とも言われる彼の領地に興味を示さず、東の驚異を松平元康に任せ、
自分はさっさと、京に出るための策としての、美濃攻略に早速出ています。
これは、大目標としての、全国平定を既に若い時に定めていたから、そういう行動に出られたことを示しています。
はっきり言って、そういう大目標を持っていたのは、当時の戦国大名の振る舞いから考えて、信長ひとりだけ、だったと思います。
目標があるからこそ、行動は、そっちにベクトルを持っていく。
他の大名には、そういうベクトルがありません。ベクトルがあるか、ないかを見れば、その人間が何を考えているか、なんて、たやすく把握できます。
領地を拡大したい、とか、現状維持したい、とか、
目の前にある現実的に課題の解決にのみ、目標を持っているから、低いベクトルしか設定されないし、引っ張られる現実も、レベルの低い現実だ。
それに比べて、信長は、高い目標を持っているから、視界も広いし、高いベクトルを持った策も打てる。
それに、経験に裏打ちされた知恵を背景に物事を考えているから、つまり、彼は人間の本質などを見ていたんだと思うんですよ。
ひとが研究した本を読んで、知識を増やしたのではない、経験による知恵ですからね。
だから、社会の方をうまく動かしていったんです。
自分のみを信じる者とは、そういうことだと、思うんですね。
僕もこのことについては、非常に共感をしています。
本からもらえる知識なんぞ、ほんとに微々たるものです。それに比べて体験から、得られる知識は、桁も違うし、自分を強くします。
だから、
「書を捨てよ、街へ出よ!」
と、寺島修司が言ったんでしょ。
「書でなく、経験を積め!」
これが、究極の自分磨きですからね。
信長は、それを実施し、実施した自分を信じたに過ぎない。超経験主義の彼は、実際に、社会を動かし、自分の思うどおりの現実を引っ張った。
これは、坂本龍馬と同じです。
だから、僕は、知識にとらわれてがんじがらめになっているひとを、思考停止者と言って笑います。
まあ、よく言われますが、専門家が、将来こうなる、という予言をすると、たいていはずれるんですね。
なぜなら、専門家になりすぎて、知識のガラパゴス化が起こるんですよ。
ある偏った知識しかないことになるから、その知識からでは、全体のことが見えない。
例えば、今から、10数年以上前、コンピューターについて、
「フォン・ノイマン型コンピュータとともに、ニューロン・コンピュータが発達する」
と、言った専門家がいました。けっこう有名だったし、実際、僕は、富士通の研究所に見学に言って(学生でしたから(笑))、
有名な研究者に、そう説明されたことを覚えています。
しかし、実際は・・・?(笑)。
知識に頼るのではなく、経験に頼る方が、結果的に、巨大な情報を獲得できるんだと思うんです。
しかも、生きた情報であり、実際に、自分が体験的にその情報を獲得することで、自分が成長するんです。
だから、僕は信長の成功は、いろいろな要素がありますが、経験を重視し、論考に論考を重ねたおかげだ、と思っています。
だから、僕は、信長の真似をして、生きています(笑)。
偉人を抜くには、まず、偉人のいいところを真似ることです。
真似から入り、その偉人の考えを知り、そして、すべてを吸収する。
そうすれば、新たな境地に迎えると思っています。その先にある、自分の設定した目的に、高い目的に少しでも近づける。
そのために、僕は信長のやり方を、しっかりと真似して、自分と、自分の周りの人間をしあわせにいきたい、と思います。
「自分だけを信じる」
その生き方は、経験主義で生きてきた、自信が、そう言わせているんだ、と、よーく理解できます。
だから、僕も、経験主義と、信じられる偉人を信じながら、生きていこう!
今は、そう思いますね。
織田信長。
彼の生き方は、多くの示唆を含んでいます。
だったら、素直に、その示唆に耳を傾け、自分のしあわせのために、最大限利用すれば、いい。
それが、先人とのつきあい方ではないでしょうか。
それを、信長も、望んでいると思いますね!
じゃ、やりゃあいいじゃん!
ということで、人生やったもん勝ち!です。
しあわせに、ならないとね(笑)。
ではではー(笑)。
いやあ、今日、二本目の記事ですが、まあ、今日は、
「江」は、「信長の秘密」だそうですから、
まあ、信長について、いろいろわかったことを、書いてみましょうか。
まあ、信長論考!の他にも、いろいろ記事にしてきましたからねー。
「わたしは、自分だけを信じるものである」
というセリフがどうも、あるようですが、これ、まあ、よく信長要素を現していますね。
信長、というひとを考えてみると、まあ、彼の時代に大学があったわけではないし、
どういう教育がなされたかは、具体的にはわかりませんが、
多くの文献を読んだところからわかるのは、彼は、超経験主義の論考者だった、ということです。
彼は実証主義でもあり、例えば、ある池に守り神の大蛇がいる・・・なんてことを聞くと、
「水をかきだせ!」
とやる。そして、水を全部かきだすのは、無理となると、自分が潜っていって、中を全部調べて、
「うん。そんな守り神なんぞ、おらん」
と、確信する。まあ、すべてに渡って、そういう感じなんですけど、
おもしろいのは、このひと、火起請を信じていたり、するんですね。
火起請ってのは、嘘をついたのではないか、と疑われる人物に、火のついた炭を持たせ、
「あちっ!」
と熱がったら、うそつき。へーきな顔をしていたら、本当のことを言っている・・・と判断するもので、
現代の僕らから言えば、
「根拠ねーじゃん!」
と、ツッコミをいれるものなんですが、信長は、多分、それに類する経験をしていて、
この火起請が、案外、的を得ている、と思う経験をしたんだと思うんです。
例えば、簡単に嘘をつくような奴は、精神の鍛錬もできていないから、結果的に、熱がった、とか、
結果的に嘘かもしれないけど、その人間は、それは、本当のことだ、と強く思っている、精神的に強い人間は、
熱がらない、という事実があったりして、結果的に、火起請が、的を得ていたのかもしれません。
僕はこれに類することって、すごく多くあると思っていて、まあ、僕らは知識として、火起請を、
「根拠なし」
と見ますが、経験的には、案外あっているかもしれない・・・いろいろな事実が組み合わせって、経験的にこれは、正しいんだと
言える、信長こそ、非常に合理的なんですね。
自分が経験しているから、経験から、モノを言うから、いろいろなモノが見えていたのが、信長です。
僕は理系の世界に長く身を置いていた、特にコンピューターについては、マスターまで行って勉強したので、
実はコンピューターは、単にひとが教えたやり方をマスターするだけの、真似しんぼ機械にすぎないことを知っています。
だから、考える、ということのメカニズムが解き明かされなければ、人工知能なんて、永遠にできないことを知っています。
なぜなら、真似しかできないからです。
人々が科学と言っている知識なんて、大自然のほんの、0,00何%くらいしか、解き明かしていないと思っています。
だから、
「これは、科学的には、考えられない」
なんて、科学者のおっさんが言っていますが、
「そりゃ、自然への冒涜的な言説だ!」
と、僕は思っています。
「まーだ、何もわかってないくせに、無い頭で、なーにを言っているんだ」
と、思っているんですね。
だから、火起請が、実は的を得ているかもしれない、という仮説は、確実に否定できない。
それより、何らかの経験が、信長に、火起請は、結果的に、信じられると教えて、それを信じているとしたら、それこそ、経験至上主義で、
「ブレてない」
ってことになるんですね。
だから、彼は、ひとの言う事なんて、聞かないんです。
自分が経験したことのみ、それを至上の価値として、情報にしていたんですねー。
そして、僕の論考からは、彼は、
「日本を平和にするには、どうしたら、よいか?」
という質問から、自分の考えを出発させた、論考者だ、ということを結論としています。
「そのためには、俺が、この日本を占領すればいい」
と、なって、
「そのためには、俺が、この日本で最大の軍事力を握る必要がある」
「そのためには、全国平定に力を貸してくれる、能力者をたくさん、自分の元に、集める必要がある」
「そのためには、俺は、血筋、家柄に関係なく、能力者を見極め、適材適所に配置し、奴らが喜ぶ、俸禄をあげる必要がある」
「そのためには・・・」
そうやって、いろいろ考えた結論、
「まず、尾張をこの手にすることだ」
から、やり始めた人間だ、ということがわかっています。
つまり、彼は、大目標をまず、設定し、それについて、論考しまくり、まず、やるべきことを見出し、それをひとつひとつ、具現化していった人間だ、
ということが、わかるんです。
だから、彼は、一歩一歩着実に、成果をあげていった。
ここで、大事なのは、大目標が既に規定されている、ということなんですね。
その目標のためになるか、どうかを常に判断していけば、いいから、最短距離を走れるんです。
信長は桶狭間の戦いで、今川義元を破っていますが、この時、宝の山とも言われる彼の領地に興味を示さず、東の驚異を松平元康に任せ、
自分はさっさと、京に出るための策としての、美濃攻略に早速出ています。
これは、大目標としての、全国平定を既に若い時に定めていたから、そういう行動に出られたことを示しています。
はっきり言って、そういう大目標を持っていたのは、当時の戦国大名の振る舞いから考えて、信長ひとりだけ、だったと思います。
目標があるからこそ、行動は、そっちにベクトルを持っていく。
他の大名には、そういうベクトルがありません。ベクトルがあるか、ないかを見れば、その人間が何を考えているか、なんて、たやすく把握できます。
領地を拡大したい、とか、現状維持したい、とか、
目の前にある現実的に課題の解決にのみ、目標を持っているから、低いベクトルしか設定されないし、引っ張られる現実も、レベルの低い現実だ。
それに比べて、信長は、高い目標を持っているから、視界も広いし、高いベクトルを持った策も打てる。
それに、経験に裏打ちされた知恵を背景に物事を考えているから、つまり、彼は人間の本質などを見ていたんだと思うんですよ。
ひとが研究した本を読んで、知識を増やしたのではない、経験による知恵ですからね。
だから、社会の方をうまく動かしていったんです。
自分のみを信じる者とは、そういうことだと、思うんですね。
僕もこのことについては、非常に共感をしています。
本からもらえる知識なんぞ、ほんとに微々たるものです。それに比べて体験から、得られる知識は、桁も違うし、自分を強くします。
だから、
「書を捨てよ、街へ出よ!」
と、寺島修司が言ったんでしょ。
「書でなく、経験を積め!」
これが、究極の自分磨きですからね。
信長は、それを実施し、実施した自分を信じたに過ぎない。超経験主義の彼は、実際に、社会を動かし、自分の思うどおりの現実を引っ張った。
これは、坂本龍馬と同じです。
だから、僕は、知識にとらわれてがんじがらめになっているひとを、思考停止者と言って笑います。
まあ、よく言われますが、専門家が、将来こうなる、という予言をすると、たいていはずれるんですね。
なぜなら、専門家になりすぎて、知識のガラパゴス化が起こるんですよ。
ある偏った知識しかないことになるから、その知識からでは、全体のことが見えない。
例えば、今から、10数年以上前、コンピューターについて、
「フォン・ノイマン型コンピュータとともに、ニューロン・コンピュータが発達する」
と、言った専門家がいました。けっこう有名だったし、実際、僕は、富士通の研究所に見学に言って(学生でしたから(笑))、
有名な研究者に、そう説明されたことを覚えています。
しかし、実際は・・・?(笑)。
知識に頼るのではなく、経験に頼る方が、結果的に、巨大な情報を獲得できるんだと思うんです。
しかも、生きた情報であり、実際に、自分が体験的にその情報を獲得することで、自分が成長するんです。
だから、僕は信長の成功は、いろいろな要素がありますが、経験を重視し、論考に論考を重ねたおかげだ、と思っています。
だから、僕は、信長の真似をして、生きています(笑)。
偉人を抜くには、まず、偉人のいいところを真似ることです。
真似から入り、その偉人の考えを知り、そして、すべてを吸収する。
そうすれば、新たな境地に迎えると思っています。その先にある、自分の設定した目的に、高い目的に少しでも近づける。
そのために、僕は信長のやり方を、しっかりと真似して、自分と、自分の周りの人間をしあわせにいきたい、と思います。
「自分だけを信じる」
その生き方は、経験主義で生きてきた、自信が、そう言わせているんだ、と、よーく理解できます。
だから、僕も、経験主義と、信じられる偉人を信じながら、生きていこう!
今は、そう思いますね。
織田信長。
彼の生き方は、多くの示唆を含んでいます。
だったら、素直に、その示唆に耳を傾け、自分のしあわせのために、最大限利用すれば、いい。
それが、先人とのつきあい方ではないでしょうか。
それを、信長も、望んでいると思いますね!
じゃ、やりゃあいいじゃん!
ということで、人生やったもん勝ち!です。
しあわせに、ならないとね(笑)。
ではではー(笑)。