「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

日本文化「善意の隣人」問題!と「公共の敵は絶滅させろ」問題!

2014年07月29日 | 夜の日本学


一人の髪の毛の長い、背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。

彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。

「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「対決、山本七平編」・・・お願いします。今日はどんな内容について語ってくれるんですか?」

と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。

「うん。そうだな・・・」

と、タケルはテキストとしている「谷沢永一著 山本七平の知恵」という本をパラパラとめくります。

この本自体は、1996年12月に出版されています。

ただし、正しい「知恵」は時代を越えると僕は考えているので、その時代性の評価も一緒に話していくことになりそうです。

「んじゃ、この内容について話すか・・・「困りものの「善意の隣人」」だそうだ。ま、相変わらず笑かしてくれそうだ」

と、タケルは笑顔になりながら、話し始めます。


今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。


「まずは、山本七平氏の主張するところを抜書きしてみようか。それが無いとちょっと説明が出来ないからね」

と、タケルは笑うと彼の用意した紙の資料をレイカに渡す。

「えーと、これね。僕が相当意訳してるけど・・・」

と、タケルが説明すると、レイカはタケルの資料をゆっくり読み始める。


「ある大学教授が面白いエッセイを書いていた。その教授が大学時代下宿していた先の老人は大変親切な人物だった。ある冬の寒い日、その老人は「あまりに寒かろう」と」

「考えて、飼っていたヒヨコにお湯を飲ませた。もちろん、お湯を飲まされたヒヨコ達は全部死んでしまった。「君、笑ってはいけない。日本人の親切とはこういうものだ」」

「と、その大学教授はそうエッセイに書いていた」

「よく「善意が通らない」「善意が通らない社会は悪い」という言葉を聞くが、こういう善意が通ったら、それこそ命がいくつあっても足りない」

「「こんな善意は通らない方が良い」などと言うと、おそらくその反論は「お湯を飲ましても死なないヒヨコを作らない社会の方が悪い」と言われるのではないだろうか」

「じゃあ、この話の問題点は何か?要は日本人は感情移入を絶対化してしまう人達だから、と言えるのである」

「要はヒヨコに対して感情移入を絶対化してしまい、自分とヒヨコとの区別がつかず、「自分が気持ちよいことを相手にやってあげれば、相手は絶対に喜ぶはずだ」と」

「言う思いこみをしてしまうことにある。そして、日本人はそういう状態になることを望み、それを阻む障害やそれを阻む対象・・・別の日本人を」

「絶対悪として、排除する論理を持ってしまうのが日本人なのである」

「それをより具体的に言えば、ヒヨコにお湯を与えようとした時に手伝ってくれる妻は味方であり、それを阻止しようとする・・・自分の息子は絶対悪とみなされると」

「言うことなのだ」



「随分長く意訳しちゃったけど、具体例にしろ、何にしろ、いろいろ僕が文章を加えている。何しろ抽象的な言葉が多くて、理解しずらい文章だからね、元の文章は」

と、タケルは説明する。


「これね・・・ちょっとわかりづらい文章だから、解説の谷沢永一氏の文章も先に提示しちゃおう。その方が幾分わかりやすいだろうから」

と、タケルは言葉にした。


「日本人の人間関係論はすべてこれである。日本人にとって、一番困るのは、そういう善意に溢れる隣人を持つことである。それはいろいろしてくれる」

「一方、悪意の隣人は・・・これほどつきあいやすいものはない。これは遮断すればいいのだから。ところが善意の隣人がいたら・・・しかも、家庭内にそれがいたら」

「もう、最悪な事になるのだ」

「しかし、日本人の母親は未だにそれをやっている。わたしの家内は自分が寒がりなものだから、常にわたしに「寒くないか?」と問う始末で」

「常に厚着をさせようとするのだが、わたしは逆に暑がりなものだから、どうにも始末に終えない。日本人はどうして、他人も自分と同じだと考えがちなのだろうか」

「これが社会問題になると極端な反応になる。例えば原発の問題であれば、「原発の数を少なくする」、や「放射能が漏れないような絶対的システムを構築する」等と」

「言うような方法論は到底受け入れられず、「原発推進派は悪!」「原発はすべて廃炉、絶滅させろ!」というところまで行き着いてしまう」

「つまり、自分に害を与えるモノは、その存在があってはならないものなのである」

「この感情移入と言うのは、相手に対して存在権を認めない議論になる。「あなたもちょっと手控えてください。わたしもちょっと我慢しますから」という」

「両者痛み分け・・・言わば「三方一両損」みたいな議論は日本では実際には認められないのである。自分は絶対にあらゆる害を与えられてはいけない存在であり」

「その害を与えたモノは、絶対に絶滅されなければならないのである。まさに絶対悪は粉砕されるのである」


「まあ、これ、実際の文章は公害について例をあげたり、嫌煙権を例にあげたりしているんだけど、今日的に原発に例を変えてみたら、わかりやすくなったね」

と、タケル。

「確かに、嫌煙権の問題も・・・喫煙者は、子供のいるたばこを吸わない母親の間では、絶対悪と化していますね」

と、レイカ。

「これ、実は話としては、二つあるんだよね・・・「善意の隣人は何をしてもいいのか?」という問題と「言わば「公害」を起こす組織や人は絶対悪として扱われる」」

「という問題の二つ・・・まあ、これ、根っこは一緒なんだけどね」

と、タケル。

「山本七平氏と谷沢永一氏は、その原因は「感情移入の絶対化」だと言っていますけど・・・ちょっとそのあたり、どうもわかりづらいんですけど・・・」

と、レイカ。

「僕もそう思う・・・ま、とりあえず、ひとつひとつ、解きほぐしていこう。ま、いつものことだよ・・・抽象的表現で、わかりにくい文章なのは」

「ま、この二人、絶対的にアホだからね」

と、タケルは言い切った。


「まず、「善意の隣人」問題から、行こう・・・これはつまり、「自分はこう考えるから、相手もこう考えるだろう」と言う日本人の誤解をさしているんだね」

と、タケル。

「でも、それって・・・「おもてなしのこころ」に辿り着いている日本人だからこそ、相手の気持ちになって・・・サービスをしてあげるって事なんじゃないですか?」

と、レイカは言う。

「そう。そういう意味では、完全に日本文化なんだよ・・・だから、山本七平氏の文章の「親切なお爺さん」問題の場合は、これは簡単で・・・」

「その後を考えてみればいいんだよ。「このお爺さんは、ヒヨコにお湯を飲ませた後、死んだ結果について・・・自分がヒヨコを殺してしまった事に非常に後悔をし」」

「「その後、ヒヨコにお湯だけは絶対に飲ませず、ヒヨコ部屋にヒーターを設置しました。おしまい」という話になるんだよ、親切な日本人なら」

と、タケル。

「確かに、そうですね」

と、レイカ。

「つまりだ・・・例えば、谷沢永一氏の文章に出てくる家内の場合、谷沢永一氏が「俺は暑がりだから、何枚も服を着せないでくれ」と言えばいいだけだし」

「要はコミュニケーションを取れば、誰だっていつか、わかってくれるわけ。それだけの話でしょ?善意の隣人だったら、尚の事」

「「いやあ、人参たくさんもらっちゃったけど、僕、人参食べられないんで・・・別の食材だったら、すっげー、オーケーですけど」くらい言えば」

「善意の隣人は、もう人参だけはくれないで、他の食材をガンガンくれるようになる・・・それだけの話でしょ?」

「だから、「善意の隣人」とはコミュニケーションを密にする・・・それだけの話だよ。それに悪意の隣人なんて欲しくないよ。火をつけられたら、それこそ終りだもん」

と、タケル。

「なるほど・・・谷沢永一氏の説は木っ端微塵ですね」

と、レイカ。

「ま、こいつアホだからね・・・」

と、タケル。

「で、だ・・・じゃあ、日本人は何故、原発の絶滅を狙うか?と言えば・・・これはもう、日本の最高正義が「和を以て貴しとなす」だからであって」

「・・・原発は「日本人の和」を破壊する施設なわけだ・・・そう日本人誰もが、認定しているんだね・・・ただし、現実的に考えた場合」

「自然エネルギーだけで、原発が作り出してきた日本のエネルギー量を賄えないという現実もまたある・・・だから、今すぐに原発をすべて廃炉する」

「という手段は、これまた、日本人全体が困る・・・ということで現実的に今の原発問題の綱引きがされている、という現状だね」

と、タケル。

「子供のいる母親の多くが、原発の再稼働に反対なのも、頷けますね」

と、レイカ。

「まあ、日本人の母親が最も大切なのは、子供だからね・・・一番大事なモノは、自分が身代わりになっても守りたい・・・そこはサムライ精神が息づいているのが」

「日本の母親達だよ・・・」

と、タケル。

「・・・ということは、日本人がサムライ精神を持っているからこそ、大事なモノに害を与える可能性のあるモノは、自分が身代わりになっても大事なモノを守る為に」

「公共の敵として、雄々しく戦う・・・それが日本文化と言うことになるんですね?タケルさん」

と、レイカ。

「そういうことだ・・・すさまじいサムライ精神と言ってもいいだろうね・・・特に女性は事、子供の事になると・・・徹底して守るからね。自分の身など顧みないよ」

と、タケル。

「・・・というわけで、日本には何故、善意の隣人が存在するかと言えば・・・日本人の文化は、「おもてなしの心」に行き着いているから」

「「相手の身になって考える」が当然の日本人の意識になってるから、善意の隣人が生まれてくる」

「・・・と言うことで、その善意の隣人とは上手くコミュニケーションを取れば、これほど、素晴らしい存在はない・・・という結論がまずひとつ・・・」

と、タケル。

「そして、もうひとつの結論は、日本人は大事な存在を守るためには、自分の身など顧みず、「和を以て貴しとなす」を破壊する公共の敵を絶滅させるまで、行動する」

「・・・そういうことだね・・・」

と、タケル。

「なるほど・・・やっぱり、タケルさんの解説があって、初めて理解出来ました・・・ほんと、山本七平も、谷沢永一も、何言ってるか、さっぱりわかりませんから」

と、レイカ。

「ま、だから、言ったじゃん。こいつら、舌っ足らずのアホだって・・・まったく、こんな奴ら・・・呆れてモノも言えないよ・・・」

と、タケル。


「しかし、まあ・・・どうして「知識者」って、こんなにアホなんだろうねー。軽く言い負かせちゃうじゃーん。っていうか、何もわかっていないよ、こいつら」

と、タケルは言う。

「ま、こんな感じで、今後もやっていこう。言ったろ、全勝で勝つって」

と、タケルは笑う。

「まあ、とにかく、頭の悪い、ださいオヤジは見たものの事しかしゃべれないけど、「知恵者」は現象の元になった「原因」をしっかりと説明出来るのさ」

と、タケルは笑った。

「さ、飲みにでも行こうや、レイカちゃん」

と、机の上を片付けだすタケルでした。


(おしまい)


という感じになりました。

山本七平氏も谷沢永一氏も、何もわかっていませんね。

これが日本学の祖?最強の評論家?

笑っちゃいますねー。


やはり、「知識者」は頭が悪くて、だっさいよねー。


それが結論です。


ではでは。

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