日本テレビ「~世界に誇る50人の日本人~成功の遺伝史」
(2013年12月30日 月曜18時30分~放送)で
小泉進次郎が「尊敬する人物」を問われて
「中村仲蔵」と答える映像が流れた。
歌舞伎界の家に生まれたわけではない「仲蔵」は
文字通り「一代で名を成した」という立志伝の人物で
落語にもなっているのだとか…
実は新次郎、この中村仲蔵を結構、ネタにしている。
いやがらせとして、
仲蔵の人気・実力にそぐわないような端役をふられ
役を受けても受けなくても非難される
「予定調和」的状況に追い込まれながら
斬新な演出で、
その端役を、主役を喰うまでのものにしたという逸話がそれ。
将来の首相候補の呼び声高い進次郎にとって
青年局長は、確かに「端役」でしょうねぇ…
***************************
【今週の進次郎】MSN産経ニュース
「日本一の雑巾がけ」「中村仲蔵」とは…
2013.3.16 07:00 (1/6ページ)[小泉進次郎]
自民党の小泉進次郎青年局長は
15日、首相官邸で開かれた政府の
「若者・女性活躍推進フォーラム」に自民党代表として出席し、
大学生の就職活動開始時期の「後ろ倒し」や、
地方学生の就活支援を訴え、「政治のリーダーシップ」を求めた。
ところで、国会議員として官邸を訪ねたのは、今回が初めて。
現官邸の「最初の主」だった父、小泉純一郎氏に続く
首相への意気込みを聞かれると
「今の私の中の最高ポストは青年局長だ」とキッパリ。
そこで飛び出したのが、
古典落語にも登場する歌舞伎役者の「中村仲蔵」と
「日本一の雑巾がけ」だ。2つの共通点は…。
…
「昔、有名な歌舞伎役者で、中村仲蔵という歌舞伎役者がいてね。
歌舞伎の家に生まれなかったんだけれども、あまりにすごいから、
歌舞伎の大家に引き上げられて最終的に大成をする歌舞伎役者なんですよ。
でも、歌舞伎の家に生まれてないから、最後いじめに遭ってね。
本当は大役、主役を与えられるはずなのに、
すごい端役を与えられるんですよ」
「そこで、選択が2つあって、
こんな役やってられるかといって、その役を蹴るか、
それとも、しぶしぶその役を受けるか。
どっちにしてもなんか言われるんですよ。
役を受ければね、なんだ、あいつはあんな役しか与えられないで、
といわれるし、(役を)蹴ればあいつは生意気だと。
そこで、中村仲蔵が取った行動は、その役を受けたうえで、
今までの手法とはまったく違う、革新的、斬新な役を演じて、
主役がその端役を演じた中村仲蔵に
食われちゃうような演技を確立をしたんですよね」
「そこで何が言いたいのかというと、時に嫌なことがあったりね。
何でもやっているときはそうじゃないですか。
新聞記者のみなさんも。
なんで、こんなことをやんなきゃいけない、と思うときもあっても、
そこで全力を尽くすことで初めてね。
例えば、雑巾がけだったり。
そういうのを与えられるときもね、誰よりも、ぴかぴかに磨いてやろうと。
日本一の雑巾がけになってやる!というね。
そういった思いでやんなきゃいけないなと。
だから青年局長を全力で、がんばります!」
☆ ☆ ☆
初代 中村仲蔵(しょだい なかむら なかぞう)
江戸時代中期の歌舞伎役者
俳名は秀鶴、屋号は堺屋(のちに榮屋)。
紋は中車紋・三つの人の紋。
「名人仲蔵」とよばれた名優。
元文元年(1736年):浪人斉藤某の子として生まれる
江戸平井村渡し守の子の説あり
1740年:舞踊の師匠志賀山お俊の養子となる
お俊の夫長唄の師匠六代目中山小十郎の名をもらい中山万蔵と名乗る
寛保3年(1743年):役者に転向
二代目中村勝十郎門下で中村市十郎と名乗る。
延享2年(1745年):初舞台…中村中蔵の名で中村座に立つ
寛延3年(1750年):贔屓にされていた吉川某に身請けされ、一時役者を廃業
人形町で酒屋を営んだり、志賀山流の稽古屋を開いたり
その傍ら能楽や音曲などを習得
宝暦4年(1754年):舞台に復帰
4年のブランクに不振を極める
先輩同輩から「楽屋なぶりもの」にされるなど自殺未遂に至るほど苦しむ
奮起して一心不乱に芸を磨く
その有様を見て人々は、中蔵を「芸きちがい」と呼ぶ
その才能を四代目市川團十郎に認められる
明和3年(1766年):『仮名手本忠臣蔵』五段目
斧定九郎を現行の姿で演じ、大評判となる
天明5年(1785年):中村仲蔵と改名
一代で仲蔵の名を大名跡とする
舞踊では、八代目(一説には六代目)志賀山万作と名乗り、
志賀山流を発展させる
寛政2年4月23日(1790年6月5日):他界
門閥外から大看板となった立志伝中の人。
立役・敵役・女形のほか、所作事を得意とした。
『舌出三番叟』のほか、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、
『義経千本桜』の権太と狐忠信、
『関の扉』の関兵衛、
『戻籠』の次郎作、
『娘道成寺』の白拍子などが当たり役。
著書に『秀鶴日記』、『秀鶴随筆』、自伝『月雪花寝物語』など。
墓所は常在寺、戒名は「浄華院秀伯善量信士」。
落語で現在も口演される人情噺『中村仲蔵』の主人公。
落語『淀五郎』では主人公の澤村淀五郎を励ます役で登場する。
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(2013年12月30日 月曜18時30分~放送)で
小泉進次郎が「尊敬する人物」を問われて
「中村仲蔵」と答える映像が流れた。
歌舞伎界の家に生まれたわけではない「仲蔵」は
文字通り「一代で名を成した」という立志伝の人物で
落語にもなっているのだとか…
実は新次郎、この中村仲蔵を結構、ネタにしている。
いやがらせとして、
仲蔵の人気・実力にそぐわないような端役をふられ
役を受けても受けなくても非難される
「予定調和」的状況に追い込まれながら
斬新な演出で、
その端役を、主役を喰うまでのものにしたという逸話がそれ。
将来の首相候補の呼び声高い進次郎にとって
青年局長は、確かに「端役」でしょうねぇ…
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【今週の進次郎】MSN産経ニュース
「日本一の雑巾がけ」「中村仲蔵」とは…
2013.3.16 07:00 (1/6ページ)[小泉進次郎]
自民党の小泉進次郎青年局長は
15日、首相官邸で開かれた政府の
「若者・女性活躍推進フォーラム」に自民党代表として出席し、
大学生の就職活動開始時期の「後ろ倒し」や、
地方学生の就活支援を訴え、「政治のリーダーシップ」を求めた。
ところで、国会議員として官邸を訪ねたのは、今回が初めて。
現官邸の「最初の主」だった父、小泉純一郎氏に続く
首相への意気込みを聞かれると
「今の私の中の最高ポストは青年局長だ」とキッパリ。
そこで飛び出したのが、
古典落語にも登場する歌舞伎役者の「中村仲蔵」と
「日本一の雑巾がけ」だ。2つの共通点は…。
…
「昔、有名な歌舞伎役者で、中村仲蔵という歌舞伎役者がいてね。
歌舞伎の家に生まれなかったんだけれども、あまりにすごいから、
歌舞伎の大家に引き上げられて最終的に大成をする歌舞伎役者なんですよ。
でも、歌舞伎の家に生まれてないから、最後いじめに遭ってね。
本当は大役、主役を与えられるはずなのに、
すごい端役を与えられるんですよ」
「そこで、選択が2つあって、
こんな役やってられるかといって、その役を蹴るか、
それとも、しぶしぶその役を受けるか。
どっちにしてもなんか言われるんですよ。
役を受ければね、なんだ、あいつはあんな役しか与えられないで、
といわれるし、(役を)蹴ればあいつは生意気だと。
そこで、中村仲蔵が取った行動は、その役を受けたうえで、
今までの手法とはまったく違う、革新的、斬新な役を演じて、
主役がその端役を演じた中村仲蔵に
食われちゃうような演技を確立をしたんですよね」
「そこで何が言いたいのかというと、時に嫌なことがあったりね。
何でもやっているときはそうじゃないですか。
新聞記者のみなさんも。
なんで、こんなことをやんなきゃいけない、と思うときもあっても、
そこで全力を尽くすことで初めてね。
例えば、雑巾がけだったり。
そういうのを与えられるときもね、誰よりも、ぴかぴかに磨いてやろうと。
日本一の雑巾がけになってやる!というね。
そういった思いでやんなきゃいけないなと。
だから青年局長を全力で、がんばります!」
☆ ☆ ☆
初代 中村仲蔵(しょだい なかむら なかぞう)
江戸時代中期の歌舞伎役者
俳名は秀鶴、屋号は堺屋(のちに榮屋)。
紋は中車紋・三つの人の紋。
「名人仲蔵」とよばれた名優。
元文元年(1736年):浪人斉藤某の子として生まれる
江戸平井村渡し守の子の説あり
1740年:舞踊の師匠志賀山お俊の養子となる
お俊の夫長唄の師匠六代目中山小十郎の名をもらい中山万蔵と名乗る
寛保3年(1743年):役者に転向
二代目中村勝十郎門下で中村市十郎と名乗る。
延享2年(1745年):初舞台…中村中蔵の名で中村座に立つ
寛延3年(1750年):贔屓にされていた吉川某に身請けされ、一時役者を廃業
人形町で酒屋を営んだり、志賀山流の稽古屋を開いたり
その傍ら能楽や音曲などを習得
宝暦4年(1754年):舞台に復帰
4年のブランクに不振を極める
先輩同輩から「楽屋なぶりもの」にされるなど自殺未遂に至るほど苦しむ
奮起して一心不乱に芸を磨く
その有様を見て人々は、中蔵を「芸きちがい」と呼ぶ
その才能を四代目市川團十郎に認められる
明和3年(1766年):『仮名手本忠臣蔵』五段目
斧定九郎を現行の姿で演じ、大評判となる
天明5年(1785年):中村仲蔵と改名
一代で仲蔵の名を大名跡とする
舞踊では、八代目(一説には六代目)志賀山万作と名乗り、
志賀山流を発展させる
寛政2年4月23日(1790年6月5日):他界
門閥外から大看板となった立志伝中の人。
立役・敵役・女形のほか、所作事を得意とした。
『舌出三番叟』のほか、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、
『義経千本桜』の権太と狐忠信、
『関の扉』の関兵衛、
『戻籠』の次郎作、
『娘道成寺』の白拍子などが当たり役。
著書に『秀鶴日記』、『秀鶴随筆』、自伝『月雪花寝物語』など。
墓所は常在寺、戒名は「浄華院秀伯善量信士」。
落語で現在も口演される人情噺『中村仲蔵』の主人公。
落語『淀五郎』では主人公の澤村淀五郎を励ます役で登場する。
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