大小迫 つむぎの家

よみがえれ!大小迫の里山。 人と人、人と自然をつなぎ、つむぐ「つむぎの家」

固定電話つながる

2011年04月02日 | 震災と復興

前の記事で、固定電話は4月半ばと書きましたが、何と昨日から固定電話がつながるようになりました。スピーディな展開、日本の技術力のすごさに感心してしまいます。回線が安定しているかどうか確認できていませんが、かけるよりも受ける方は繋がりやすいようです。

インターネットはまだですが、時間の問題でしょう。私がこの更新をするのも、そろそろお役御免かもしれません。

昨日、綾里の津波のニュースを見ました。

http://youtu.be/feJxpxxQ1jQ

この状況が身近に起こっていて、それで今これだけの生活を送ることができているのは、地形的に恵まれている点も大きいのかもしれません。便利な生活に慣れた私は、なぜあんなに不便なところで生活をするのだろう…、家や土地を守るってどういうことだろう…と、常々疑問に思っていましたが、今回のことを通じて、ひとつ答えが見えたような気がします。

小さい頃、祖父に教わったことの意味、もう一度考えてみます。横須賀の小学生が津波の自由研究を発表した時、誰もピンとこなかったのは当然で。祖父から聞いたことは、避難場所であったり、大小迫が地域の復興の拠点にならねばならぬ、ということであったり。地域の伝承なのですから。唯一「すげー」という反響があったのは、「明治の津波で綾里村で観測された38.2mが本州最高」という情報でしたが・・・それも、図書館で調べた情報と、祖父から聞いた「もっと高い」「だからここに逃げる」という情報の違いに、戸惑いながら作成した自由研究だったことを、思い返します。

(余談ですが、小迫の家系はひとまわりふたまわり、話を大きく言うところがあって、差っ引いて聞かないと事実がわからないため、いつも戸惑っていましたが・・・でもそれも、この歴史に裏付けられたものなのかもしれないと拡大解釈し、一人納得してしまいました。)

この震災で、これまでマイナスに捉えがちだった物事の、また違った側面を、たくさん発見できました。

さて、これから考えていきたいのは、もっともっと大きな悲しみに包まれた人や場所のために、何ができるか、そして美しい以前の景色を取り戻すのに、何ができるか、ということです。