ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ひねくれ者の見方

2022-04-05 08:15:48 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「ひねくれ者」4月1日
 『訓話の定番 どこから生まれた?』という見出しの記事が掲載されました。『同じようにレンガを積む3人の職人に「何をしているのか」と旅人が聞いたところ、それぞれが異なる目的を答え、仕事に取り組む姿勢を考えさせる「3人のレンガ職人」というストーリー』の出典を探る記事です。
 そう言えば私もこの話を目にした記憶があります。念のためおさらいをしておくと、『1人目<見えれば分るだろう。仕方なくレンガを積んでいる2人目<>家族を養うために、連が積みの仕事をしている>3人目<歴史に残る大聖堂をつくっている>』と答えるという話です。
 この話から、『同じ作業をしていても、何を目的とするかによって、感じ方は違ってくる。同じ働くなら、夢を持って働く「3人目の職人」でありたい』という考え方を導き出すというわけです。『入社式の訓話などに引かれることも多い』ということです。
 違和感を覚えます。この話が入社式の訓示に使われるということは、使用者が3人目の職人のようにあれと願っていることを意味します。それは3人目の職人、つまり夢をもって働くようになってほしいと願っているということです。夢をもって働く人が使用者にとって好ましい、都合がいいということなのです。
 看護師を目指す人に、「病で苦しむ人の力になりたい」という夢をもって働いてほしいというわけです。介護士になる人に、「今まで世の中のために働き私たちが暮らすこの社会を創ってくれた高齢者が安心して過ごすことができる老後の生活を支えたい」という夢をもって働いてほしいというわけです。
 そして、給与が安い、休みが取れない、患者や高齢者やその家族からパワハラやセクハラを受ける、といった労働環境の劣悪さを訴えると、「君には夢があるんだろう。その夢を捨ててしまっていいのか」という殺し文句で、苦情を封殺されるという図式があるように思えてしまうのです。
 ひねくれた見方だということは自覚しています。しかし、そうした一面があるのは事実でしょう。私は、教職も同じだと考えています。子供のために尽くす、子供の健やかな成長を願う、一人一人の子供に寄り添う教員になる、新規採用者の面接では皆そのような思いを口にします。多少は面接対策のノウハウという面もあるでしょうが、本音でしょう。一人として、公務員で労働条件が安定しているからとか、一般の公務員より教特法によって給与が高いからとか、長期休業日には年次休暇が取りやすいからといった理由を志望動機に挙げた人はいませんでした。
 そして、世間はそれを当然とします。教員聖職論はいまだに根強く、教員は自分の給与や待遇など口にせずに、純粋に子供のことだけを考えているような人が望ましい、という発想なのです。保護者から不当な苦情をぶつけられても、子供のためを思って耐えるのがよい教員とされるのです。ハラスメントを受けたと保護者を訴えたりすれば、「教員が親を訴えるなんて!」と驚きの目で見られ、ニュースになるのです。
 私は、こうしたことを当然とする世間の目、教員自身の意識、校長や教委の考え方が、現在の教員の多忙化、教員志望者の減少につながっているのではないかと考えています。
 仕事について、過剰に夢や希望や願いといった綺麗な言葉を目的に掲げることを良しとする風潮は問題ありだと思います。それは、使用者・管理者が適切な労働環境を整備する義務を怠っていることを隠すことになりかねないからです。

 

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