ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

失敗が許される職業

2018-12-02 08:50:19 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「失敗が許される?」11月25日
 心療内科医海原純子氏が、『チャレンジと失敗』という表題でコラムを書かれていました。ジャズボーカリストでもある海原氏は、その中で、『(心療内科医としての)私はふだん仕事で絶対失敗が許されないという意識で生きている』とした上で、『音楽やスポーツのもつアートという部分は、チャレンジして失敗してもそれを許容し次のステップに後押ししてくれる厳しいが寛容なエネルギーをもつ世界』ではないかという見解を述べていらっしゃいました。
 そして、『次のステップに進もうとチャレンジすると失敗することは必ずある』『失敗しないことは上達しない』『安全圏の中にとどまっていると自分が不完全燃焼した気分になる』と、失敗と挑戦の関係について語っていらっしゃいます。その通りだと思います。教員も、教えるプロ、授業の専門家として成長しようとするならば、失敗を恐れて安全圏にとどまることなく挑戦する必要があります。
 教壇に立って、4,5年経つと、自分のやり方にそれなりの自信もつき、授業も子供との関係もうまくいっているという実感をもつようになります。私がそうでした。教員になって3年目から6年目まで、途中でクラス替えはあったものの同じ学年を受け持ちました。子供だけでなく保護者との関係も良好で、研究していた社会科指導法の分野でも全小社研の論文で入選しました。子供をよく知っているということで、同学年の教員からも相談を受けるようにもなっていました。校長からも教務の仕事を任されるようになり、正直なところ「自分はけっこう優秀な教員なのかも」と思ったりもしました。
 しかし、7年目、1年間だけ受け持った6年生の学級経営では苦労しました。5年生のときの担任を慕う子供が多く、子供との関係づくりが思うように進みませんでした。当然、保護者ともギクシャクしました。今思い返せば、それまでの子供たちとうまくいっていたのは、単に偶然にも相性がよかっただけだったのです。幸運を実力と錯覚していたということです。
 授業も同じでした。3年生という時期は、私流のやり方で染め上げることが可能な発達段階でしたが、6年生で受け持った子供たちは、既にそれまでに彼ら流の授業の受け方が身についていたのです。私がこのブログでよく触れる「授業記録」を作成し分析を始めたのは、このときからでした。それまで、尊敬する先輩から勧められていたにもかかわらず、面倒臭いと放置していたのですが、何とかしなくてはという思いが、怠惰な私を鞭打ったのです。
 私は「天狗の鼻」を折られました。翌年、他区の学校に異動した私は、校風になじめず、区の社会科研究部にも居場所がなく、孤立感を感じていました。幸い、子供と保護者に恵まれ、授業記録・分析の成果(?)もあり、徐々に子供とも保護者とも良好な関係を築くことができ、下降気流を上昇気流に変えることができたのです。
 私の場合は、マンネリの危機感に基づいて自ら積極的に新しいことに挑戦したわけではありません。失敗が先にあり、しかたなく授業記録・分析という挑戦を始めたということです。もっと自覚的に失敗を恐れず挑戦する姿勢が大切です。ただ一つ気になることがあります。それは、海原氏が、「心療内科医の仕事は絶対に失敗が許されない」とする一方で、「ジャズボーカリストは失敗を許容され~」と述べているように、絶対に失敗が許されない職種があるということです。教員は何回も担任をし、授業をしますが、子供にとってはただ1回しかない授業であり、学級生活なのです。子供を実験対象にすること、モルモットにすることは道義的にも許されません。つまり、教員もまた失敗が許されない職なのだということです。
 指導主事時代、私は教員に、「モルモット視はだめ。良かれという善意で新しい手法に取り組んだのであれば、失敗しても仕方がない。精いっぱい取り返す努力をすればよい」という趣旨のことを話してきましたが、それでよかったのでしょうか。

 

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