ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

高望み

2011-05-22 08:03:32 | Weblog
「改革のためには」5月16日
 ニュース争論『大相撲八百長、根絶できるか』という対談の中で、スポーツライターの二宮清純氏が次のようなことを話していました。『再発防止には「アメとムチ」が必要だ。罰則強化はムチとなり、抑止力が働くだろう。一方のアメが抜け落ちている』という指摘です。
 当たり前の指摘だと思います。しかし、二宮氏の主張が実現するのは難しいと思います。二宮氏は、『月給100万円の十両に対し、幕下は本場所手当はあるが無給。家族を持った力士がその格差を前にした時、八百長の誘惑に耐えられるか』と話しています。要するに、幕下力士にも30万円か40万円くらいの月給を保証するようにすべきだということでしょう。こうした意見には、八百長という不祥事をおこしながら給与が増えるというのでは泥棒に追い銭、焼け太りだ、という批判が予想されるからです。潔癖を好む日本人の多くは、悪事を働いたものには厳しい罰を与えるべきだと考えがちです。ですから、ムチへの共感は得られても、アメへの共感は得られないのです。
 学校の教員の待遇についても、同じ構造が見られます。私は、様々な服務事故を起こした教員に接してきました。のぞきで逮捕された者、自宅近くの工事がうるさいと怒鳴り込んで訴えられた者、泥酔して他人の家の庭に入り込んで検察に突き出された者、みんな免職になりました。教員失格です。とんでもない人間です。私も怒りを覚えました。同じ教職を経験した者として、一般の人よりも怒りは強く深かったように思います。しかし、同時に彼らの事件の陰には、そこまでの大事には至らず表面化しなかった小さなトラブルがたくさん隠れているように思います。そしてその背景には、教員の多忙化、モンスターペアレントという言葉に代表される保護者の変化、成果主義がもたらすプレッシャーなど、かつての牧歌的な時代とは異なる学校を取り巻く環境の変化があると思います。
 こうした状況を改善しない限り、いくら教員を叱咤激励し、管理監督を強め、研修を強化しても、同じような事件はなくならないでしょう。やはり、「アメ」が必要なのです。しかし、そうした主張は、大相撲の場合と同じように、共感は得られず、「甘い!」という非難にさらされることになるのです。
 私は、給与を上げろと言っているのではありません。以前も述べたとおり、教員としてのアイデンティティー、授業の専門家としての誇りを与えられるということだけを望んでいるのですが、高望みなのでしょうか。

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