ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

自分のせいではない

2019-11-05 08:03:41 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「責任転嫁」11月1日
 『24年度にも新制度 「身の丈」発言 文科相、影響否定』という見出しの記事が掲載されました。『2020年度に大学入試センター試験に代わって始まる大学入学共通テストで導入が予定されていた英語民間試験について、萩生田光一文部科学相は1日の閣議後記者会見で延期すると発表した』ことを報じる記事です。
 記事によると、萩生田氏は、『全体的に不備があると認めざるを得ない。抜本的に見直し、高校生が平等に試験を受けられる環境づくりに注力したい』と述べ、『私の発言が直接原因になったわけではない』と話したということです。大学入試制度の在り方や、受験生の戸惑い、高校側の困惑等の問題について、ここではふれません。ただ、政治家に教育行政を委ねる際の問題点について述べたいと思います。
 今回の延期が、萩生田氏の失言が要因であることは誰もが否定しないはずです。教育行政の最高責任者が、憲法に定める教育の機会均等について、不十分な認識しかもっていなかったという点について、批判が集まるのは当然です。しかし、それが国会を止めて政府を追い込む、大臣の首を取る、内閣総辞職に追い込むといった、政治闘争に転化してしまいました。その結果、政府・与党が大臣の首を守る代わりに延期という代価を野党に与えるという政治取引になってしまいました。
 私は、与党も野党も非難するつもりはありません。国会だけでなく地方議会でも、他国の議会でも似たようなことが行われてきた歴史がありますし、ある種の必要悪だと思っています。ただ、こうした動きの中で、受験生や高校側の反応、民間業者の不満などが取り上げられる一方で、文科省で制度の立案・実施に努力してきた職員たちの思いにはあまり焦点が当てられていないのが気になります。
 たしかに、新制度には不備が目立ちます。しかし、そもそも民間試験は、政治家の思惑で導入が決まり、歴代文科相が積極的に推進し、同省の職員は限られた時間の中で必死に制度化に取り組んできたのです。おそらく大臣を含めた政務三役の政治家と二人三脚で。それなのに、2年余にわたる尽力を、二人三脚で取り組んできた同志であるはずの大臣から、それも延期に追い込まれた最大の原因を作った当人から、「不備が多い、問題がある」と批判されてしまったのです。
 先生から大変だろうが頑張れと叱咤激励され、一生懸命に取り組み、よく頑張ったもう少しだと言われ、ようやくやり遂げられそうになったところで、今までやってきたことは問題だらけと、無能の烙印を押されてしまったとしたら子供はどう感じるでしょうか。もう、こんな先生の下ではやっていけないと思うはずです。同じことが、今回文科省で起きてしまったのです。職員は、大臣に不信感をもちやる気を失っているはずです。そしてこうした政治的取引によって、それまで積み上げられてきたものが、教育的な見地からの理論的な検討を経ずに葬り去られたり、歪められたりするということは、問題の大小はともかく、地方でも起きているのです。それも、首長という政治家が地方教育行政において権限をもつようになってから頻繁に、です。こうしたことが続けば、教育行政の専門家と政治家の間の信頼関係は損なわれ、それは教育行政の停滞という形になって、児童・生徒に跳ね返って行くのです。 
 公教育は民意を踏まえて行われるべきです。しかしそのことと政治取引が教育行政に介入することとは別でなければなりません。

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